駐在員・事務局員日記

理事長ブログ第16回「沖縄慰霊の日に考えること~ 第4回沖縄平和賞受賞団体として」

2015年06月22日  理事長ブログ
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執筆者

AAR理事長
長 有紀枝(おさ ゆきえ)

2008年7月よりAAR理事長。2009年4月より立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授。2010年4月より立教大学社会学部教授。

記事掲載時のプロフィールです

AAR理事長、長有紀枝のブログです。

2015年7月23日(木)7時より以下のイベントを行います。たくさんの皆さまのご参加をお待ちしています。お申し込みはこちらから。

6月23日は、「沖縄慰霊の日」。日本国内で唯一地上戦となった沖縄で組織的な戦争が終結した日です。

私たちAAR Japan[難民を助ける会]は、今から7年前の2008年11月7日、第4回沖縄平和賞をいただきました。この賞は2002年に沖縄県が創設したもので、沖縄の持つ特性を生かして、沖縄の視点から新たな国際平和の創造を目指し、沖縄と地理的・歴史的に関わりの深いアジア太平洋地域の平和の構築・維持に貢献した個人・団体を顕彰するものです。

この授賞式で私は、受賞団体の理事長として「国際協力と平和」と題した記念講演をさせていただきました。私なりに、「沖縄」から「平和賞」をいただく意味や、国際協力と平和の関係について、思いを込めて準備した原稿です。

そしてこの授賞式の翌日、2008年11月8日に、AARの相馬雪香前会長が96歳で亡くなりました。とても偶然とは思えず、まるで私たちの平和賞受賞を見届けて逝ったかのようにも、「沖縄から平和賞をいただく意味をよくよく考えなさい」というメッセージにも思えました。その意味で、団体としても、個人的にも、この沖縄平和賞の受賞は、相馬先生の逝去とともに大変に思い出深い、また思い入れの深い出来事です。

沖縄県のホームページに、この賞を創設するに至った経緯が語られています。
「沖縄はかつて、琉球王国時代、『万国津梁』、いわゆるアジアの国々をつなぐ懸け橋として活躍した時代があり、また、多様なものを受け入れる寛容さや相互扶助の精神、未来を創造するたくましい県民性があります。
本県は去る太平洋戦争で、過酷な地上戦が展開され、20万人余の尊い生命と多くの貴重な文化遺産が失われました。
沖縄県民は、この悲惨な戦争体験と27年間にも及ぶ米軍施政下の歴史を通して、平和の尊さを肌身で感じており、戦争の悲劇を再び繰り返してはならないと堅く誓い、平和の実現を強く求めてきました。
世界では、今なお地域紛争が後を絶たず、貧困、難民、民族、宗教問題等多くの課題があり、これらを解決するためには、世界の人々が相互理解に努め、協力していくことが大切です。
私たちは、沖縄平和賞を創設し、賞の運営を通じて平和への思いを全国に広げていくとともに、九州・沖縄サミット首脳会合で発信した平和を希求する「沖縄の心」を引き続き世界に発信し、恒久平和の創造に貢献したいと念願しています。」

AARでは沖縄平和賞受賞5年前の2003年7月に沖縄出身のテノール歌手、新垣勉さんのチャリティ・コンサートをサントリーホールを会場に開催しました。コンサートでは、クラシックからポピュラーまで、幅広い音楽で素晴らしい歌声が披露されましたが、その中の1曲に、『さとうきび畑』(作詞/作曲・寺島尚彦氏)がありました。
さとうきび畑を風が吹き抜ける音「ざわわ、ざわわ」という大変印象的なフレーズで始まる11番からなるこの曲には、「昔 海のむこうから いくさがやってきた 夏の陽ざしのなかで」(2番)という歌詞があります。
「海のむこうから、いくさがやってきた」。この詩のとおり、戦争は、決して沖縄の方々が起こしたものではありませんでした。それなのに、3番の歌詞「あの日鉄の雨にうたれ 父は死んでいった 夏の陽ざしのなかで」にあるように、沖縄は、国内唯一の地上戦を経験する激戦地となり、当時の沖縄の人口の4人に一人の方が犠牲となりました。(沖縄戦の犠牲者は約20万人といわれます。他の都道府県出身の日本兵(約6万6千人)や米兵(約1万2500人)も犠牲になりましたが、犠牲者の大半を占めるのは沖縄の方々。そしてその多くは、沖縄出身の軍人・軍属(約2万8千人)の3倍にもあたる一般県民の方々(約9万4千人)です。)

それから70年。現在も沖縄県には全国の米軍専用施設面積の約73.9%が集中しています。第2位の青森県の約7.7%、3位の神奈川県の約5.9%と比べても抜きん出て大きな数字であり、負担です。
沖縄平和賞を受賞して改めて知った不発弾の数も尋常ではありませんでした。激しい艦砲射撃や砲爆撃を受けたことに加え、し烈な地上戦の結果、沖縄には約20万トンの爆弾総量の5%にあたる約1万トンが不発弾として残され、処理されたのは約7千4百トン、2千トン以上が不発弾として残っています(沖縄県調べ、2013年)。住宅の建て替えや建設工事の現場で、今日でさえ大きな脅威となっています。
駐留する米軍人らによる刑事事件も後を絶ちません。

しかし、沖縄の方々は、こうした一連の事柄に対して、決して暴力行為に訴えてはいません。戦後70年の今年、あれだけの暴力にさらされ、犠牲を強いられ、また現在も大きな負担を強いられている沖縄の方たちが上げている声に、今まで以上に耳を澄ますとともに、私たちは「万国津梁」の伝統のある沖縄の人々が実践しているように、武力行使ではない別の方法で、国際社会の安定と平和に貢献する、日本ならではの道を探るべきだと思います。

あらためまして、沖縄戦で犠牲になった多くの方々へ心より哀悼の意を表します。そして戦火を生きのび、今もその記憶と戦っている方々に思いを馳せ、沖縄の皆さまの平和を望む強い気持ちに、国際協力NGOとしてお応えしていきたいと思います。

(2015年6月22日)

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