理事長からのメッセージ

AAR Japan[難民を助ける会]は1979年、前会長の相馬雪香が、「困ったときはお互いさま」「日本の善意の伝統を世界にも示そう」と自ら立ち上がり活動を開始しました。しかし当時と今では、NGOが置かれた状況は、大きく違っています。

設立当初は、宗教的な後ろ盾をもたない、一般の皆さまの募金に支えられる組織が生まれたことすら奇跡的な時代でした。そして、国際協力活動を行うことそのものが、例えば、カンボジアに和平が成立した直後はカンボジアで学校を再建したり、社会の底辺にいる方々に、政治、宗教、思想に偏らない立場で支援することそのものが、NGOならではの仕事であり、NGOのレゾンデートル(存在意義)でもありました。

しかし現在では、資金的には下降気味とはいえ、日本のODAは拡充し、カンボジアでは企業や自治体が社会貢献の一環として学校建設に関わり、そしてイラクではコンサルタント会社や自衛隊も国際協力活動を行っています。

では今、この時代にNGOとして活動する、とはどういうことでしょうか。私たちNGOが行う活動は、他の機関や企業が行う活動と、どこが違うのでしょうか。

AARの原点は、支援活動を通じて、海外の難民を助けるだけではなく、日本人の心を開くこと。日本を世界の孤児にしない、AARの活動を呼び水にして、日本の社会に国際協力の大きなうねりを起こす、ということです。私は、まさにNGOの存在意義が問われる時代であるからこそ、AARの原点を受け継いでいきたいと思います。

AARだからこそできること、AARでなければできない支援を心がけ、誠心誠意務めて参ります。どうぞわたしたちの活動にご参加くださり、ご支援くださいますようお願い申し上げます。

AAR理事長 長有紀枝のブログ

理事長略歴

長 有紀枝(おさ ゆきえ)

1963年東京に生まれ、茨城県で育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。外資系銀行に勤務後復学、早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。外資系企業に勤務しつつ、1990年よりAARにてボランティアを開始、1991年よりAARの専従職員となる。旧ユーゴスラビア駐在代表、常務理事・事務局次長を経て、専務理事・事務局長(00-03年)。この間紛争下の緊急人道支援や、地雷対策、地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)の地雷廃絶活動に携わる。

2003年にAARを退職後、2004年より東京大学大学院総合文化研究科「人間の安全保障」プログラム博士課程に在籍し、2007年博士号取得。2008年7月よりAAR理事長。2009年4月より立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授。2010年4月より立教大学社会学部教授。

2006年7月より2011年3月まで認定NPO法人ジャパン・プラットフォーム(JPF)共同代表理事。
2006年7月より認定NPO法人ジャパン・プラットフォーム(JPF)理事。
2009年4月より2011年3月まで朝日新聞社 紙面審議会第19期委員。
2011年4月より『外交』編集委員。
2011年6月より福島県相馬市復興会議顧問会議委員。
2011年8月よりNPO法人相馬フォロアーチーム副理事長。
2012年10月より国連中央緊急対応基金(CERF)諮問委員会委員。
2013年12月より日本ユネスコ国内委員会委員。

著書に、『入門 人間の安全保障』(中央公論新社、2012年12月)、『スレブレニツァ~あるジェノサイドをめぐる考察』(東信堂、2009年1月)、『地雷問題ハンドブック』(自由国民社、1997年)。
共著に、『グローバル化・変革主体・NGO‐世界におけるNGOの行動と理論』(新評論、2011年6月)、『ジェノサイドと現代世界』(勉誠出版、2011年3月)、『講座 人権論の再定位第4巻 人権の実現』(法律文化社、2011年1月)、『国際緊急人道支援』(ナカニシヤ出版、2008年)、『国家建設における民軍関係 破綻国家再建の理論と実践をつなぐ』(国際書院、2008年)、『国際協力NGOのフロンティア』(明石書店、2007年)、『国連と地球市民社会の新しい地平』(東信堂、2006年)、『人道危機と国際介入-平和回復の処方箋』(有信堂、2003年)など。

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