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TICAD(アフリカ開発会議)でサイドイベントを開催

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「それでも私は将来に希望を持つ」―南スーダン難民の少女が堂々と発表

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左端からAARの兼山優希、二ボルさん。その後ろ横が雨宮知子(2016年8月26日、ケニア)

8月27日・28日、ケニアの首都ナイロビで、第6回アフリカ開発会議(TICAD)が開催されました。TICADは、日本政府主導の下、アフリカ諸国と国際機関が共同でアフリカの開発について考える、大規模な国際会議です。それに先立つ26日、AAR Japan[難民を助ける会]はピースウィンズ・ジャパンとともに、「難民のエンパワーメント:ケニア・カクマ難民キャンプからの難民の声と国際社会と日本の人道支援」と題したサイドイベントを開催しました。

司会は、AARの協力団体でもあるウガンダ地雷被害者協会(ULSA)のマーガレット・アレチ・オレチ氏。自身もかつてウガンダからスーダンへ逃れ、難民として暮らしていた経験などを織り交ぜて、冒頭挨拶がありました。次いで、UNHCRケニアのサムエル・チャクウェラ氏がUNHCRの難民支援の概要を説明。雨宮からは、AARがケニアのカクマ難民キャンプで行っている教育支援活動を紹介しました。

そして、カクマ難民キャンプでAARが建設した中等教育校の生徒である、ニボル・チュオル・デュオップさん(19歳)が登壇。南スーダンから避難してきたときの様子や、カクマでの生活で抱えている問題、それでも教育を通じて将来に抱いている希望など、心のこもった生の声に、会場は感動で包まれました。(全文はこちらから。ぜひお読みください)

最後に、ビースウィンズ・ジャパンから、活動の紹介がありました。質疑応答ではたくさんの質問の手が上がり、時間が足りず途中で終了せざるを得ないほどでした。

参加者からは次のような感想をいただきました。

  • 自分はケニア人だが、難民キャンプの状況は全く知らなかった。AARは素晴らしい活動をしている。
  • 日本の団体がケニアの僻地で活動していること自体知らなかった。もっとケニア国内でアピールしてほしい。南スーダン難民の話を直接聞くのも初めてだった。とても感動した。
  • 女子生徒の保護やライフスキル教育はコンゴの難民キャンプでも実施している。学校だけではなくコミュニティを巻き込んだAARの活動はインパクトも期待できる。とても参考になった。(コンゴの援助関係者から)

ケニアやそのほかのアフリカのNGOや国連関係者など、多くの参加者に難民支援の必要性、教育の重要性をお伝えすることができたと思います。

南スーダン難民 ニボル・チュオル・デュオップさん(19歳)の発表

世界で最も新しく、最も素晴らしい国がある日突然

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南スーダン難民の少女、二ボルさん

南スーダンは、2011年7月9日に生まれた、世界で一番新しい国です。独立の時、私を含めた多くの南スーダン人は喜びに沸き、希望に満ちていました。私にとって南スーダンは、平和で、必要なものは何でもある、世界で一番よい国でした。

し かし、2013年12月15日、すべては変わってしまいました。戦闘が始まり、人々は殺し合いを始めたのです。私たちの美しい、大切な国が、戦争で破壊されてしまうなんて、予想もできませんでした。故郷を追われるのは、とてもつらいことでした。子どもを含む何千人もの人たちが亡くなりました。孤児になった子もたくさんいます。ユニティ州では、石油輸送管が破壊され、自然環境が汚染されてしまいました。この土地では、もはや耕作はできません。

多くの人は、国境までの長い道のりを、歩いて行かなくてはなりませんでした。ある人たちは幸運にも国境を越え、隣国に避難できましたが、ある人たちは不運にも、その途中で殺されてしまいました。この間に経験したことを、私たちは決して忘れることはありません。次の世代に語り継いでいくことでしょう。

2014年2月29日、私は母と4人の兄弟、4人のいとこ、友人の女性とともに、ケニア国境に向かいました。3日間の旅でした。バスには乗れましたが、水や食料を買うお金まではなく、とてもつらい旅でした。国境近くで、私は何人もの男性が殺されるのを目撃しました。それは今でもトラウマになっています。反政府軍は、男性を見つけると車両を止め、家族が見ている前で射殺したり、なたで殺そうとしていました。そのため、多くの男性は来た道を戻らざるを得ませんでした。

カクマでの生活、女の子が直面する困難

私たちは、ケニアのカクマ難民キャンプに身を寄せることになりました。私たちに安全な生活の場所を提供し、支援してくれているケニア政府、国連をはじめとする全ての援助機関に、とても感謝しています。

しかしそれでも、難民キャンプでの生活はとても厳しいものです。

例えば、女の子が早朝や夜に一人で歩くのはとても危険です。環境も苛酷で、とても暑くて乾燥しています。蚊が多く、マラリアも流行しています。食料や薪の配給は十分にはありません。医療も不十分で、どんな症状でもマラリアだと診断されてしまいます。治安が悪く、家族のために商売を始めたくてもできません。学校には教師も教材も全く足りていません。そしてキャンプの人口が増えるに伴って、受けられる人道支援は減る一方です。

また、南スーダンには、女性を劣ったものとみなす文化があります。しかし私は、女の子も男の子と同じ権利を持つことが大事だと思います。教育の機会の平等、家事分担の平等、強制結婚の廃止、自分の意見を言う権利を認められること、などです。またカクマ難民キャンプでは、10代の妊娠は大きな問題になっています。性や妊娠などに関する知識が必要です。

教育は世界を変える最強の武器です

今は内戦をしていますが、私たちはまた団結できると希望を持っています。いつかまた、みんなで兄弟姉妹として再び平和に暮らし、国を建て直す日を、夢見ています。私はひとりの南スーダン難民として世界に宣言します。私たちは、自分たちの国を変えていくと。

南スーダンの仲間には、希望のメッセージを送りたいと思います。南スーダンは私たちの先祖代々の土地です。私たちみんなの国です。立ち上がって、私たちを分断しようとする政治家たちに、「もうたくさん!」と声を上げるべきです。

たくさんの課題があっても、私は自分の将来に希望を捨てていません。私は今、学校に通うことができて、とても幸せです。素晴らしい校舎を建て、教科書や机や実験室を提供してくれた、AAR Japan[難民を助ける会]に、とても感謝しています。

学校では、一生懸命勉強しています。子どもの頃から直面しているあらゆる困難を思い出すたび、私は自分に言い聞かせています。私は必ずこれらを克服できると。そしてそれは、私が学業を完了させたとき、現実になるでしょう。きちんとした教育を受けられれば、国を変えていけると、信じています。私はジャーナリストになりたいです。世界を旅し、私が味わってきたような困難を抱える人々のことを伝えていきたいです。

私は、すべての難民の少女が教育を受けられるように願っています。教育は、世界を変えるための最も強力な武器です。人生が困難に満ちていたとしても、希望を捨ててはいけません。困難を受け入れ、立ち向かっていくべきなのです。

【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

東京事務所 雨宮知子

ケニアでの南スーダン難民支援担当。2012年11月に入職。企業勤務を経て、青年海外協力隊員としてニカラグアで活動後、AARへ。大阪府出身

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