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ウガンダ:押し寄せる難民...足りない支援

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ウガンダの地図

2013年末から国内で紛争が続く南スーダン共和国。2016年7月に首都ジュバとその近郊で発生した戦闘により、ウガンダへの難民の流入が一気に加速しました。ウガンダ政府は、難民定住政策を掲げており、長期的には難民が自立した生活を送れるよう、難民居住地と呼ばれる地域で各世帯に土地を割り当て、自由な移動や就労も許可しています。AAR Japan[難民を助ける会]は2016年8月7日から20日まで、難民居住地のあるアジュマニ県、ユンベ県、キリャンドンゴ県の3県で、どのような支援が必要とされているかを調査しました。

押し寄せる難民

アジュマニ県やキリャンドンゴ県の難民居住地には多くの難民が押し寄せ、入りきらない状態になっていました。すでに6万6千人を受け入れているキリャンドンゴ県(下写真)は、私たちが訪れていた8月中旬に、新たな難民の受け入れ停止を正式に発表しました。アジュマニ県には19の難民居住地があり、ウガンダで最も多い14万人の難民を受け入れています。難民の流入を受け、7月にパギリーニャ居住地が新たに開設されましたが、わずか1ヵ月で2万人の収容スペースがいっぱいになりました。日々新たに到着する難民は、各居住地にあるトランジットセンターと呼ばれる一時保護施設で保護されますが、この「一時」保護施設で何週間も過ごす人も少なくありません。

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キリャンドンゴ定住地のトランジットセンターで登録を待つ人たち。この定住地では8月11日から新たな難民の受け入れを停止。それ以降に来た人たちはビディビディ定住地に移されます(2016年8月17日)


既存の居住地が受け入れの限界に達したことから、8月1日、北西部のユンベ県に新たにビディビディ難民居住地が開設されました。ほかの居住地のトランジットセンターで過ごしている人々や新たな難民はほぼ全員、ここに移される予定です。

開設したてのビディビディ居住地

ビディビディ居住地を訪れると、いかにも開設したばかり、という目まぐるしさが見て取れました。何百人もの新たな難民が毎日夕方にバスで到着し、受け入れセンターでその夜の食糧の配給を受け、大型テントで一晩を過ごします。翌朝には、生活を開始するための食糧や生活用品が支給され、世帯ごとに居住地内の土地区画が割り当てられ、移送されます。支給品には住居を作るための材木やビニールシート、工具などが含まれており、難民は自分たちで住居を作り、生活を始めます。開設からまだ数日だったため、ほとんどの住居は、ひとまず雨風をしのげるようビニールシートを張っただけの状態でした(下左写真)。

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ビディビディ居住地にはビニールシートを張っただけの住居が散在していました(2016年8月15日)

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物資配付のためか、長蛇の列ができていました(2016年8月15日)

難民の7割近くが18歳未満の子ども(下写真)ですが、居住地に教育施設は1つもありませんでした。支援にあたる人々は、事務所も電気もなく、携帯の電波も不安定ななか、文字通り走り回っていました。

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ビディビディ定住地の子どもたちの数は日に日に増えています(2016年9月30日)

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水を運ぶ子ども(2016年8月16日)

親とはぐれた子どもたちを引き取って

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親とはぐれた子ども8人を引き取り、2つのテントにわかれて18人で暮らすジュリアさん一家。高齢の母親は目が見えません(2016年8月15日)

このビディビディ居住地に一週間前から住み始めたジュリアさん(37歳・右写真中央)一家に話を聞くことができました。2014年に紛争悪化のため、南スーダン北部の町マラカルから首都ジュバに逃れましたが、今年8月にジュバでも武力衝突が始まったため、さらにジュバから200㎞ほど離れたウガンダとの国境の町二ムレに逃げてきたといいます。現在18人で暮らしていますが、そのうちジュリアさんの母親と8人の子ども以外の8人は、南スーダンから逃げてくる途中で親からはぐれてしまった子どもたちです。「ここでは、戦火のなかで暮らすよりは安心して生活できる」と話すジュリアさんですが、居住地での生活は過酷です。「戦争で夫を亡くしたうえ、たくさんの子どもを引き取って暮らしているので、金銭的な余裕がありませんし、ここにはまだ生活に必要なものがあまりそろっていなくて困っています」。ビディビディに到着したときにござは支給されましたが、マットレスがないため、特に高齢の母親は安眠できず、心配しています。石鹸や洗剤なども足りないので衛生面での不安も大きいといいます。「うちには子どもたちが多く、南スーダンにいたときは学校に行っていたので、ここでも通学したがっているのですが、近くに学校がないので、まだ学校には行けそうにありません。一刻も早く環境が良くなって、日常をここで取り戻したいです」。

ビディビディ居住地での緊急支援を開始します

調査結果に基づき、私たちはもっとも喫緊の支援が求められているビディビディ居住地で緊急支援活動を開始することにしました。十分な衛生用品がなく、大勢の人々が密集して暮らす環境は、コレラなどの感染症の蔓延を引き起こしかねないため、衛生用品を配付します。また、子どもたちが学校に通える環境を整えるため、仮設校舎を設置します。
2013年末以降、周辺国に逃れる南スーダン難民の数はついに100万人に達しました。ウガンダへの流入も、さらに勢いを増して続いており、7月以降9月末までに新たに避難した難民数は18万人、7月以前からいた難民も合わせると、ウガンダ国内の南スーダン難民数は40万人を超えました。ビディビディ居住地も、調査をした8月中旬に1万人程度だった難民数が、9月末までに10万人に達しています。私たちは、南スーダンの平和がいち早く取り戻されることを願うとともに、ウガンダに逃れた難民の方々の生活を少しでも改善できるよう、ウガンダでの支援に取り組んでいきます。


調査に同行した専門家・村橋 勲氏(大阪大学大学院博士課程):不安定な世界を生きる
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AARの雨宮知子とともに調査にあたる村橋氏(左端、ビディビディ居住地、2016年8月15日)

2016年8月、AARのスタッフに同行して、ウガンダ3県で難民の生活状況に関する臨地調査を行った。今回の調査の約1ヶ月前、南スーダンの首都ジュバでは、政府軍と反政府軍との戦闘が再発し、ウガンダには新たな難民が押し寄せていた。2013年12月に始まった南スーダンから周辺国への難民の流入は、劣悪な治安と飢餓のため、2015年8月の和平合意後も続いていたが、7月以降、再び加速し、すでに100万人をこえている。

ウガンダの難民政策は、難民の自立と、難民と難民受け入れ地域の住民との統合を柱とする。難民は、難民居住地と呼ばれる区域に集められた後、政府から居住と耕作が可能な土地を割り当てられ、一定の生計を営むことを奨励される。そのため、難民居住区は、ケニアの難民キャンプよりも広く、家の周囲には菜園が作られ、トウモロコシや野菜などが栽培されている。

しかし、到着したばかりの難民が生活を立て直すにはしばらく時間がかかる。調査時、アジュマニ県のトランジットセンターには収容人数の4倍以上の難民が避難生活を送っており、食料や物資の配給が追い付かず、地元のウガンダ人からモロコシを買ってアシダ(南スーダンの主食である固練り粥)を作っている難民がいた。また、同県のパゲリンニャ難民居住地では、学校の建設が進んでいたが、生徒は簡易テントの中で、机も教材も足りない状況で授業を受けていた。

なかでも印象に残ったのが、ユンベ県のビディビディ難民居住地だった。ビディビディは、8月初旬に開設されたが、難民の受け入れを中止したキリャンドンゴや、十分な土地が確保できないという理由でアジュマニから移送された難民の受け入れを始めていた。開設したばかりということもあり、トランジットセンターには、まだ国連やNGOのオフィスはなく、難民居住地の大半はブッシュに覆われていた。難民たちは、公式に土地を割り当てられる前に居住地に来ており、ビニールシートを木々に括り付けただけの簡素なシェルターが道路沿いに並んでいた。水や煮炊き用の薪、衛生用品は不足しており、緊急支援に対するニーズの高さをうかがわせた。

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両親を殺害され、逃げてきたという少年(2016年8月12日)

ある難民の男の子と話をした。彼はマグイという国境近くの町に暮らしていたが、ある夜、戦闘があり、両親を殺害され、幼い子どもの手を連れて逃げてきたそうだ。写真を撮らせてほしいとお願いすると、少し躊躇いながらも了解してくれた(右写真)。同様の避難の話は複数の難民から聞いたが、実のところ南スーダンでは農村地域の戦闘に関しては報道が少なく、改めて国内の治安の不安定さを感じた。

私は、2014年からキリャンドンゴ難民居住地で、難民の生計に関する調査を行っている。キリャンドンゴでの難民の生活水準は、アジュマニやユンベよりも総じて良いが、それでも難民が他国で生計や社会生活を再建するには、外からは気づきにくい制度的かつ経済的な制約がある。新たに庇護を求めてきた難民が十分な支援を受け、一刻も早く生活を取り戻すことが望まれる。

 

【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

東京事務局 雨宮 知子

南スーダン難民支援担当。企業勤務を経て、青年海外協力隊員としてニカラグアで活動後、2012年11月よりAARへ。大阪府出身

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