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12月3日国際障がい者デーに寄せて

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12月3日は国際障がい者デー。AARは世界中で、障がいのある子どもや若者が暮らしやすくなるよう、学び、働き、自立できるように、活動しています。すぐに目に見えるものではありませんが、活動は少しずつ、各地で変化をもたらしています。

みんなが一緒に学べる教育環境を目指して

障がいの有無、人種や言語の違いなどに関わらず、すべての子どもが、暮らしている地域で、一人ひとりの「個性」、つまり能力やニーズに合わせて受けられる教育をインクルーシブ教育といいます。AARは特に障がいのある子どもに焦点をあて、このインクルーシブ教育を3ヵ国で推進しています。それぞれの国から、今の子どもたちのようすをご報告します。

算数や読み書きも!嬉しい変化~ハイチ~

ハイチの首都ポルトープランスでは2015年3月から、インクルーシブ教育を推進してきました。2016年4月からは日本人職員は常駐せず、現地の知的障がい児の支援団体「特別教育センター(Centre d'Education Speciale)」を通じて、活動を続けています。今年8月には今まで支援してきた4つの小学校の教員に、より実践的な障がい児の指導方法を学ぶための研修を実施しました。

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マーヴェンスくん(中央)のお母さん(右)は、マーヴェンスくんの変化に喜んでいます。左はAARの池上亜沙子(2016年8月5日)

AARが支援する学校のひとつ、リシェルシュ・デュ・サボワール校に1年前から通い始めたのは、軽度の知的障がいのあるマーベンスくん(7歳、右写真中央)。学校に通ったことがなかったマーベンスくんは、初めのうちはほかの児童を叩いたり、授業中に勝手に抜け出したりして先生を困らせていました。しかし、徐々に学校に慣れ、今では友だちがたくさんでき、元気に通学しています。マーベンスくんのお母さん(同写真右)も息子の変化にとても驚いています。「以前のマーベンスは近所の人や先生にあいさつもできませんでしたが、今ではできるようになりました。読み書きや算数も徐々に覚え、前とは違う、マーベンスの変化を感じられてとても嬉しいです」と話してくれました。変わったのはマーベンスくんだけではありません。まわりの子どもたちも、マーベンスくんの勉強を手伝ったり、学校からの帰り道にマーベンスくんが危ない目に遭わないよう、一緒に帰ったりするようになるなど、気遣う心が芽生えています。


ひとりの障がい児がまわりの多くの人を変え、障がい児もまわりの多くの人に支えられて成長する姿を、そしてハイチの人々がその文化や習慣に合わせた方法で障がい児を含めた多様な社会を創っていくことを、AARは見守り、応援しています。(東京事務局・池上亜沙子)

居場所がある喜び~タジキスタン~

タジキスタンの首都ドゥシャンベでは、車いすを使う子どものためのスロープ設置など校舎のバリアフリー工事や、自閉症やダウン症などの子どもが学べる特別支援教室の設置などを支援してきました。AARの働きかけにより、公立の54番学校は2015年に特別支援教室をスタートさせました。現在は、知的障がい児や自閉症の子どもたちが週2回ほど通ってきています。ここは障がい児を持つ親が設立したNGOによって運営されており、子どもたちのニーズに合わせて学習補助をしています。

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シュフラッドくん(後方)は学校帰りにアリシェールくん(手前)を特別支援教室に連れてきています(2016年11月8日)

私たちが54番学校の特別支援教室を訪ねると、大きな声で「アッサローム(こんにちは)!」と言ってくれた男の子がいました。立ち上がり、右手を胸に当てて、ちょうどサッカー選手が国家斉唱をするときに取るポーズ。目上の人への挨拶です。少年の名はシュフラッドくん(14歳、左写真後方)。シュフラッドくんの弟で自閉症のアリシェールくん(7歳、同写真手前)が2ヵ月前から特別支援教室に通うようになり、付き添っています。「アリシェールくんは特別支援教室に通う前はどこの学校に通っていたの?」と聞くと、「チャルボだよ」とシュフラッドくん。タジキスタンでは障がい児は寄宿学校に入るのが一般的で、チャルボはそのひとつです。「チャルボと比べてこの学校はどう?」と尋ねると、「ここは特別支援教室だけど学校内にあるから、ほかの友だちにも会うし、社会性が身につくし、そばにいて成長しているんだって実感できる。アリシェールもこっちの方が楽しそうだし、家ではパズル学習やミニチュアの車遊びなど、出された宿題を一緒にやっているんだよ」。私たちと話をしながら、シュフラッドくんは活発にボール遊びをする弟に優しい眼差しを注ぎ続けていました。

同じクラスに、外国人に興味をもったのか、恥ずかしそうにこちらを見ている男の子がいました。11ヵ月前から、お兄さんのホルサンくん(20歳、下左写真後方)と一緒に支援教室に通っているウメッドくん(12歳、同写真手前)です。ウメッドくんには知的障がいがあり、お兄さんも知的障がいと視力障がいがあります。先生役のチューターと一緒に、文字を書いたり、数字の学習に取り組んでいました。2人には父親のアニスさん(46歳、下右写真中央)が付き添っていました。柔道家であり、たまにホルサンくんやウメッドくんに稽古をつけることもあるという快活なアニスさんですが、実は過去にホルサンくんとウメッドくんを入学させようとして、学校側から断られたという苦い経験をしていました。それ以来ずっと、学校からは遠ざかっていましたが、1年前、AAR職員の家庭訪問を受けて、この特別支援教室の存在を知りました。「AARがあまりにもいいって勧めるから、そこまで言うんなら行かせるしかないなって、息子たちを連れて行くことにしたんだ」。実際に来てみての感想を尋ねると、「誰かが支援してくれるって感じられることが嬉しい。支援してもらえているからこそ、つらい状況でも、息子たちを育てていく元気も湧くんだ」と、答えが返ってきました。

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文字の書き方を練習しているホルサンくん(左後方)とパズル学習をするウメッドくん(右手前)(2016年9月22日)

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「支援教室に連れてくるのは母親ではなく僕の役割。僕じゃないと、ウメッドが泣くから」と笑いながら話すアニスさん(中央)。左はAAR現地職員のフィルズ、右はAARの佐々木忍(2016年9月22日)

特別支援教室を通じて、自分の弟や子どもたちの居場所が学校内にできること、障がい児の教育を受ける権利が実現しつつあることはとても喜ばしい、と答えてくれたシュフラッドくんとアニスさん。それでも、一番近くにいる家族にはつらいときもあります。「アリシェールくんのことをまわりの人に何か言われたことはある?」と聞くと、シュフラッドくんは大粒の涙を流しました。そして一言、「悔しい」。確かに、一歩特別支援教室の外に出れば、楽しい状況ばかりではありません。しかし、AARの支援活動を通して、希望の光を見い出してくれる人がいます。シュフラッドくんにティッシュを渡すと、とても優しい目で「ラハマッド(ありがとう)」と言って、涙を拭いました。学校帰りに弟を特別支援教室に連れてきてくれる、14歳の姿にとても胸が熱くなりました。(タジキスタン事務所・佐々木忍)

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54番学校の校舎入口に設置されたスロープを使用する子どもたち(2016年9月22日)

友だちと遊べるように~カンボジア~

カンボジアでは2013年からカンダール州クサイ・カンダール郡で、校舎のバリアフリー化や教員の研修などを行い、子どもたちの障がいに応じて眼鏡や補聴器といった補助具を提供してきました。

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手で1から10までの数字を示しながら、発音の練習をするラタナくん(右)。左はAAR現地職員のダブット(2016年11月1日)

AARが支援しているひとりがユン・ラタナくん(8歳、右写真右)です。ほとんど聴力がないため、去年まで通っていた幼稚園では先生たちがどのように対応すればよいかわからずに困っていました。そこでAARは、ラタナくんに補聴器を提供し、ラタナくんが通う予定の学校を含めた4校の教員に、障がいの基本的な知識や障がいに応じた教授法の研修を実施しました。去年11月に小学校に入学したラタナくんは、補聴器や研修を受けた教員の配慮により、以前よりもまわりの声がよく聞こえるようになり、毎日一生懸命勉強に取り組んでいます。
10月初旬、ラタナくんの様子を見るため、自宅を訪問しました。補聴器を自分でつけ、習った文字を書いてみせてくれたラタナくん。家でも、両親やお姉さんと一緒に書く練習をしているそうです。「お父さん」「お母さん」「本」など、発音できる単語も徐々に増えてきましたが、まだ発音が明瞭ではないため、毎日練習することが重要です。AAR現地職員のダブット(同写真左)はこの日、指で数を示しながら「1、2...」と数字を一つずつ発音する練習方法を家族に伝えました。家族は、クラスの友だちや教員が、授業中に筆記を手伝ってくれたり、ラタナくんと一緒に遊ぶようになったという嬉しい変化を教えてくれました。今後も、障がい児にとって重要な周囲の理解や支援を促し、子ども一人ひとりが、それぞれのニーズにあった支援を得て、学習を継続していけるよう活動を続けてまいります。(カンボジア事務所・向井郷美)

自分の力で生きていくために

AARは障がいの有無にかかわらず、誰もが自立した生活を送れる社会を創っていく手助けをしています。障がい者の「自分の力で生きていきたい」という願いを叶えるため、活動を続けているミャンマーとラオスからお伝えします。

「いろいろなことが変わった。自信がついた」~ミャンマー~

ミャンマー・ヤンゴンでは2000年から、障がいのある人のための職業訓練校を運営しています。コースは理容・美容、洋裁、PCの3種類。全寮制で、3ヵ月半にわたって訓練し、技術や社会性を身に着けます。

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「今は、自分の人生で、自分でもっといろいろなことができると信じるようになりました」と語るアウン・トゥさん(手前)(2016年8月15日)

今年9月に理容・美容コースを卒業したアウン・トゥさん(25 歳、左写真手前)は、5歳のときにポリオに感染した影響で両足に障がいがあり、松葉杖がないと歩くことができません。中学2年生のとき、家から学校が遠くなったため通うことが難しくなり、退学。以来、家畜に餌をやるなどして両親の仕事を手伝っていました。職業訓練校に入学したとき、アウン・トゥさんはこう話していました。「ほかの人に頼るといつも、『自分は障がいがあるから何もできない』と感じる。もっと自立して生きていきたい」。授業についていくのは簡単ではなく、ほかの生徒が2人分のカットをする間に1人分しかできなかったといいます。それでも先生に指導を受けながら「精一杯練習した」というアウン・トゥさん。訓練校で得たのは技術だけではありません。寮での生活も、仲間と買い物や遠足に行くのも初めての経験でした。「この3ヵ月半、すべてがよかったです。自分の中でいろいろなことが変わりました」。例えば以前は人前で話すのが苦手でしたが、今はできるようになり「自信がついた」といいます。卒業後は故郷に戻り、家族に近隣の村までバイクで送ってもらって出張散髪をしています。今では月に約3,000円の収入を得られるようになりました。「初めて自分で働いて収入を得ることができた」と喜ぶアウン・トゥさん。「支援してくださった皆さま、本当にありがとうございます。これからの人生でうまくいくときも、うまくいかなくて落ち込むときも、いつも皆さんのことを思い出して一生懸命頑張ります」。そう言って、弾けるような笑顔を見せてくれました。(ミャンマー・ヤンゴン事務所・中川善雄)

「娘を学校に行かせることができました」~ラオス~

2000年から障がい者の支援活動を実施しているラオス・ビエンチャンでは、2014年から障がいのある人が自宅で起業して収入を得られるような取り組みを行っています。具体的には、キノコやナマズなどを栽培・養殖して販売したり、裁縫技術を習得して自宅で開業できるようにします。

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「夢が叶った」と喜ぶダオヴォンさん(手前)。後方はAAR現地職員のピピー(2016年11月1日)

AARが支援している、ダオヴォンさん(36歳、右写真手前)は、2歳のころに誤って刃物を目に刺してしまい、左目の視力を失いました。ダオヴォンさんはシングルマザーで、15歳の娘を養うためにいろいろな仕事に応募しましたが、外見を理由に断られ続け、落ち込んでいました。そんなとき、AARが裁縫研修を実施すると聞いて手を挙げたのです。2ヵ月に及ぶ研修を終え、ミシンなど資材の提供を受けたダオヴォンさんは、今自宅で仕立て屋を開いています。 「仕立て屋を開くことは小さいころからの夢でした。でも技術を学ぶ場所も、資材を買うお金もなく、自分には無理だと諦めていました。今こうして仕立て屋を開いて自分で収入を得られることを本当に嬉しく思います」。ダオヴォンさんは近隣住民から注文を受け、ラオスの伝統的なスカートであるシンを縫ったり、破れた服の修理をして、月平均8,000円の収入を得ています。「稼いだお金で娘を学校に行かせ、文房具も買ってあげることができました。今後はもっと技術を磨いて、大きなお店を出したいです」。そう嬉しそうに話してくれたダオヴォンさんの目には自信がみなぎっていました。(ラオス・ビエンチャン事務所・大城洋作)

リハビリがもたらす変化

ひとりで走れるようになった!~トルコ~

隣国シリアから逃れてきた難民の支援活動を行っているトルコ。戦闘に巻き込まれ傷ついたり、生まれつき障がいのあるシリア難民にとって、トルコで公共医療サービスを受けることは、言葉の壁があったり、通院のための交通費がかかったりして難しいのが現状です。このためAARは車いすなどの補助具やリハビリを提供し、また家族に対しては家庭でのリハビリ方法を指導しています。現地で運営するコミュニティセンターに設置したリハビリルームは、シリア難民だけではなく、トルコ人にも開放しています。ここには週に2日、1日10人から15人のシリア難民と近所のトルコ人が訪れ、少しでも日常生活での体の負担が減るよう、AARの理学療法士の指導を受けながらリハビリに励んでいます。コミュニティセンターまで来ることができない人には、シリア人理学療法士が自宅を訪問してリハビリを実施しています。

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元気に遊ぶリムちゃん(2016年11月3日)

リムちゃん(5歳、左写真)もリハビリルームに通うシリア人のひとりでした。アレッポ近郊の村から、お母さん(31歳)と3人の兄と一緒にシャンルウルファに逃れてきました。お父さんは「ヨルダンに出稼ぎに行く」といったまま音信不通です。1歳の時に高熱に冒され、その後、足に障がいが残ってしまったリムちゃんのために、一緒に住んでいる親戚の一人がリハビリルームを勧めました。以前は、人の助けを借りても立っているのがやっとだったリムちゃんですが、リハビリのおかげで、今ではひとりで走れるようになりました。「リムはリハビリルームを卒業しましたが、学んだリハビリを、家で毎日実践しています。今では、近所の子どもたちや親戚の子たちと外で遊ぶのが、リムの楽しみです」とお母さんは話します。今でもリムちゃんはお母さんとコミュニティセンターへ通っていて、お母さんが法律相談などの活動に参加している間、託児所でほかの子どもたちと一緒に遊びながら、お母さんが迎えに来るのを待っています。リムちゃんがひとりで歩けるようになったことで、以前はリムちゃんを背負ってコミュニティセンターに通っていたお母さんの負担も減りました。

今後も私たちの支援が、ひとりでも多くのシリア難民の子どもたちとその家族の、避難先での日常生活の負担を減らすことができればと願っています。(東京事務局・栁田純子)

※これらの活動は、皆さまからのあたたかいご支援に加え、外務省日本NGO連携無償資金協力、JICA(独立行政法人国際協力機構)、JPF(特定非営利活動法人ジャパン・プラットフォーム)からの支援を受けて実施しています。

【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

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ハイチ事務所 池上 亜沙子

2013年8月より2015年11月までAARハイチ事務所での駐在を経て、現在は東京事務局でハイチ事業などを担当。英国の大学院で教育政策と国際開発を研究し、AARへ。宮城県出身

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タジキスタン事務所 佐々木 忍

2016年8月よりタジキスタン事務所駐在。フランスやタイなどで人間の安全保障に関する研究に従事した後、AARへ。東京都出身

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カンボジア事務所 向井 郷美

2015年3月よりカンボジア事務所駐在。国内の中学校や中国の高校で教師として勤務し、大学院で国際協力について学んだ後、2013年11月にAARへ。青森県出身

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ミャンマー・ヤンゴン事務所 中川 善雄

2011年3月よりタジキスタン事務所、2013年10月よりミャンマー・パアン事務所での駐在を経て、2015年1月より同国ヤンゴン事務所駐在代表。大学卒業後、日本赤十字社で約5年間の勤務を経てAARへ。神奈川県出身

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ラオス・ビエンチャン事務所 大城 洋作

2015年2月よりラオス・ビエンチャン事務所駐在。民間企業での勤務、世界一周の旅を経て2014年4月にAARへ。沖縄県出身

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東京事務局 栁田 純子

2013年5月より東京事務局でシリア難民支援事業を担当。トルコで7年間、ピアノ教師として働いた後、AARへ。東京都出身

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