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ウガンダ:日常を取り戻せるように・・・

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生活用品一式を提供するAARウガンダ事務所の吉川剛史(左)(2016年11月30日)

2013年末から不安定な状況が続く南スーダン。昨年7月に首都ジュバで勃発した騒乱が引き金となり、さらに多くの人々が国外に逃れました。12月になっても南スーダン国内の混乱は治まらず、隣国ウガンダには1日に平均2,000人を超える難民が流入。12月末までにその数は40万人を超え、ウガンダは世界最大の南スーダン難民受け入れ国となりました。ウガンダ政府は難民が自立できるよう、難民居住地を各地につくり、各世帯に土地を割り当てて開墾を促すなどしています。ウガンダ北部ユンベ県にあるビディビディ難民居住地はそのひとつで、昨年8月に設置されたばかりですが、3万人の定員をはるかに超え、現在27万人の南スーダン難民が暮らしています。AAR Japan[難民を助ける会]はこのビディビディ難民居住地で、昨年8月より緊急支援を開始しました。支援をしながら難民一人ひとりに話を聞くと、それぞれに南スーダンでの辛い体験と不安を抱えていました。

銃撃を受け足が不自由に

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流れ弾にあたって足が不自由になってしまったマイケルさん(2017年1月6日)

マイケル・モロさん(54歳、左写真・右端)は、南スーダン南部のライニャという地域に妻2人、息子2人とその妻たち、そして3人の孫たちと数人の兄弟と暮らしていました。しかし2010年に政府軍と反乱軍の衝突が起こり、逃げ遅れたマイケルさんは流れ弾にあたり、足が不自由になってしまいました。妻たちは、自力で動けなくなったマイケルさんを見放して家を出て行ってしまったため、マイケルさんは息子たちや兄弟に支えられながら生活していました。

そんななか、昨年7月に再び大きな紛争が勃発します。8月には隣村に、敵対している民族がやってきて、次々に村人を殺傷していきました。そのときにマイケルさんの兄弟も殺されてしまいました。逃げることができずにいたマイケルさんですが、隣人がバイクで駆けつけてくれたため、その場にいた孫3人とウガンダに逃げることができました。息子たちは今首都ジュバにいると聞いたものの、最近は連絡が途絶えており、心配しています。「ここでは、恐怖から解放され、安心して暮らせる。でも、私は足が不自由なこともあり、家の建設や農地の開拓などの不安も大きい」とマイケルさんは言います。

我が子を置いていかざるを得ず...

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病気で幼い頃に足が不自由になったスーザンさん(2017年1月6日)

スーザン・セビさん(25歳、右写真)は、南スーダン南部のヤンビオという地域で夫と4人の子どもとともに暮らしていました。昨年7月、スーザンさんの住んでいた村は敵対している民族に襲われ、夫、父、そして多くの親戚が殺されました。その後、村では教育施設や医療施設などが次々と閉鎖されてしまい、スーザンさんは子どもたちのためにもウガンダに逃げることを決意。幼い頃に罹った病気の影響で足が不自由なスーザンさんは、歩いて逃げることができず、近所の親せきと一緒にトラックで移動することになりました。しかし車には子どもたち全員が乗れるスペースがなく、やむを得ず3人の子どもは祖母に預けたといいます。ウガンダに逃れることができたのはスーザンさんと一番下の子どもだけでした。「今も南スーダンで暮らしている子どもたちが無事に生きているのか、確認が取れていないので、心配で夜も眠れません」と語るスーザンさん。

少しでも安心して暮らせるように

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「配付したサンダルを履くことで怪我が減りました」といった声もありました(2017年1月9日)

AARは、マイケルさんやスーザンさんのような障がいがある方や高齢者がいる、より脆弱な家族3,000世帯に対し、少しでも安心して難民居住地での生活を送れるようにマットレスや石鹸、タオル、足の怪我を防ぐためのサンダル(左写真)など生活用品一式を提供しました。配付にあたっては、世帯の登録漏れがないように、対象地域の世帯を現地スタッフとともに一軒一軒回って確認作業を実施(左下写真)。40度近い炎天下の作業でした。物資を受け取った方からは「ほかの団体が物資を配付するときには情報が伝わってこなくて、受け取ることができないことが多かったけれど、AARは自分の家まで来て知らせてくれた」との声が聞かれました。また、ある高齢の方は腰が痛い上に、家族が目の前で殺された恐ろしい記憶がよみがえって眠ることができず、「ただ恐怖におびえながら夜を過ごしていた」といいます。しかしAARから受け取ったマットレスで寝るようになってからよく眠れるようになり、「戦争の記憶を思い出すことが少なくなった」と話してくれました。またときには、物資を受け取って、歌と踊りで感謝の気持ちを伝えてくれる人たちもいました(右下写真)。

南スーダンの混乱はまだ収まる気配がなく、ウガンダには南スーダンからの難民が流入し続けています。AARは今後もビディビディ難民居住地で、ウガンダに辿りついた南スーダン難民が1日も早く日常を取り戻せるように支援を続けていきます。皆さまのご協力を、どうぞよろしくお願いいたします。

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漏れがないように一軒一軒訪問して確認をしました(2016年11月10日)

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歌と踊りで感謝の気持ちを伝えてくれました(2016年11月30日)

【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

東京事務局 平間 亮太

大学在学中に青年海外協力隊に参加し、大学院で国際保健学を学んだ後、2012年にAARへ。ハイチ事務所、ザンビア事務所を経て、2016年8月より東京事務局勤務。北海道出身

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