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帰還政策に揺れるアフガン難民

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長い間、「世界最大の難民受け入れ国」であったパキスタン。シリア危機の発生によってその座をトルコに譲りましたが、30年にわたりアフガン難民を受け入れ続け、今でも登録されているだけで150万人が身を寄せています。
アフガニスタンでは、1979年のソ連軍の侵攻、1990年代の内戦とタリバンの隆盛、2001年の同時多発テロを受けた多国籍軍の攻撃と、次々と紛争が勃発し、その都度、大量の難民が発生しました。2002年以降は400万人以上が帰還したものの、近年再び流出傾向にあります。
しかし昨年、パキスタン政府は突如、アフガン難民を年末までに「自発的に」帰還させるという政策を打ち出しました。その期限は冬になると今年3月までに延び、年が明けてさらに2017年末まで延長されましたが、難民はいつ追い出されるかもしれない状況にあります。
彼らは今何を思い、どのように暮らしているのか、昨年12月、AAR Japan[難民を助ける会]の活動地で難民の方たちに話を伺いました。

「アフガニスタンに帰るなんて自殺行為だ」―各地で続く戦闘

小さな店が並ぶメインストリート

小さな店が並ぶメインストリート。昼間に通りを歩いているのは男性ばかり

アフガニスタンと国境を接するハイバル・パフトゥンハー州のハリプール郡には、3つの難民居住地があり、併せて84,000人のアフガン難民が暮らしています。その居住地のひとつに車で向かいました。パキスタンでは、アフガン難民の国内での移動は自由で、仕事を持つこともできます。この居住地もいわゆる難民キャンプのような収容施設ではなく、商店街や住宅地が広がるひとつの村になっていました。メインストリートには、青果店や食堂、靴屋、家具屋など小さな店がびっしりと軒を連ねています。

土壁でできた平屋の家が並ぶ住宅地を歩く全身をチャドルで覆った女性たち

土壁でできた平屋の家が並ぶ住宅地では、全身をチャドルで覆った女性たちが歩いていました

「帰還政策が出た後は警察の取り締まりが始まって、しばらくは自分の店も畳まざるを得なかった。それで帰還した人が周囲でも大勢いる」と証言するのは、45歳のアブデル・サマッドさんです。30年前、故郷が戦争に巻き込まれ、両親に連れられてパキスタンに逃れてきました。アブデルさんは居住地の外にあるバザールに自分の雑貨店を持っています。彼の店だけでなく、居住地の内外で営業できなくなる店が相次ぎました。そうした状況下、パキスタンでの生活をあきらめ、帰国を選んだ家族も多くいました。国連によると、難民として登録されていた38万人と、未登録の20数万人が、昨年一年間で帰国したとみられています。帰還期限が延長された後は取り締まりも緩みましたが、通りにはシャッターを下ろしたままの店舗も目立ちます。

しかし、この一帯で「長老」と呼ばれるソバット・ハーンさんは、「アフガニスタンに帰るなんて自殺行為だ」と断言します。「住居を整備してから家族を呼び寄せようと、先月まず私ひとりで帰ったんだ。そうしたら、村をはさんで政府軍とタリバンが戦闘をしているんだ。運よくパキスタンに戻ってこれたけれど、皆には帰るべきではないと伝えている」。

アフガニスタン国内では未だに各地で戦闘があり、外国に逃れる人だけでなく、国内でも50万人が避難生活を送っています。パキスタン政府はいま、元の居住地域の状況に関係なく、すべての難民に帰還を促しています。

帰国したのか、閉じた店の目立つ一角

帰国したのか、閉じた店の目立つ一角。帰還政策が出た後、営業をやめるよう取り締まりがあったという

「一度は帰国したものの、戦闘が続いていて住める状況ではなかった」と話す長老のソバットさん

「一度は帰国したものの、戦闘が続いていて住める状況ではなかった」と話す長老のソバットさん

「アフガニスタンには何もない」―帰らない理由

「何人家族かって? そんなの数えられないわよ!」。次々と現れる子どもたちに驚いて人数を聞くと、一家のゴッドマザー、タジ・ビビさんは豪快に笑い飛ばしました。居住地の暮らしを知りたいという私を招いてくれたタジさんは、30年前、戦争で夫が亡くなったのを機に、4人の息子を連れてパキスタンに逃れたと言います。

「息子はみんな結婚して、一緒にこの敷地に住んでる。長男には息子が5人に娘が4人、次男は息子3人と娘5人、三男は息子7人に......」。

この大家族の家計を支えるのは、息子の一人が日雇いで得る稼ぎのみ。「ここで難民がいい仕事に就くのは難しいんだ」。ふらっと現れた年配の長男が声を張り上げます。広い敷地に建ったいくつかの小さな土壁の家屋には、家具や調度品はほとんどなく、電気の線はあるものの電化製品も一切見当たりません。

しかし、「生活で困っていることなんてないですよ」とタジさんはあっさり言います。「でも国に帰れと言われても、そんなお金はないから困ってる」。長男は、「(帰還政策で)国境が閉じてしまうなら、アフガニスタンにいる親戚に会えなくなるから帰るつもりだ。でも国境が開いている限りはパキスタンにいる」と言います。同じ話を、複数の家庭から聞きました。パキスタンとアフガニスタンとの間は、これまで比較的自由な行き来が認められていたそうですが、今後は出入国が制限されると見込まれています。しかし、故郷の町で戦闘が続いているわけではないなら、なぜこれまで、仕事もほとんどなく、住環境も良いとは言えないパキスタンに住み続けていたのでしょうか。

「ここにいて困ることは何もないし、暮らしだっていいからね」。

周辺のパキスタン人の住環境とは明らかに大きな格差があり、とても暮らしがいいとは思えず、会う人ごとに「なぜ、アフガニスタンに帰らないのか」と同じ質問を繰り返しました。

セラジ・ウッディンさんは、70歳になる今も日雇いの仕事を続けています。10人いる子どものうち、学校に行けたのはたったひとり。家族全員で働かなければ食べていけないからだと言います。難民だから、そのような厳しい生活を送ることになったのでしょうか。「アフガニスタンにいたときも同じだよ。ずっと同じ暮らしだ」。そのセラジさんにとってのアフガニスタンとは? 「あの国には何もない。仕事もない、インフラもない、政府もない。あるのは戦争だけだ」。
たとえ自分の故郷の町では戦闘がなかったとしても、アフガニスタンでの暮らしはそれほどに厳しいということでしょうか。帰還民に対しては国連やNGOが支援を始めていますが、帰還する人数の膨大さに、ひとりひとりへの支援は限定的にならざるを得ません。アフガン政府は、難民は元の居住地域に帰るのだからと、住居の支援はしない方針です。日々の暮らしがやっとという人たちにとっては、引っ越しの資金を工面することさえ難題です。
長年の紛争でインフラは整わず、すでに家も失われ、生計の道もなく、治安も悪い故郷に本当に自発的に帰った人は、果たしてどれくらいいるでしょうか。

家族数十人がともに暮らす敷地

家族数十人がこの敷地でともに暮らしています

黒いベールを被っているタジ・ビビさん

中央の黒いベールを被っているのがタジ・ビビさん。他の大人はカメラを向けるとさーっと離れて行ってしまいました

「自分の人生に満足している」―無国籍を選ぶ人々

難民居住地の外にも、多くのアフガン難民が暮らしています。首都イスラマバードで出会った29歳のナエム・シャーさんは、生まれも育ちもパキスタンです。彼の父親は30年前、ソ連の侵攻を受けてパキスタンに逃れました。

「父親は難民登録しなかったし、僕もしていない。どこの国籍も持っていません。アフガニスタンに戻されたくないからです」

無国籍の彼は、正規の教育は受けていません。しかし、無料で通うことのできる「マドラサ」と呼ばれるイスラムの宗教学校で学べたから問題なかった、と言います。仕事は父親が生前働いていた電器店に雇ってもらっています。50人を超える親族が近くにかたまって住んでおり、助け合い、融通し合って暮らしている、それで何の問題もない、と淡々と話します。しかしずっと身を隠すような生き方は辛くないのでしょうか。

「たとえ捕まったとしても、僕の出生を証明するものは何もない。だから誰も僕をアフガニスタンに帰すことなんかできないんだ」

自分はよくても、このままでは子どもたちにも同じ道を強いることになるのではないか、という問いには、「帰還政策がなくなれば、子どもは登録することも考えるが......」と言葉を濁します。本当にそれでいいのか、何か望んでいることはないのかと、なおも聞き募る私に、表情を変えずにこう言いました。

「私は自分の人生に満足している。この生活がこのまま続くことを願っている」

それは本心なのか。答えをはぐらかされたのか。ナエムさんが帰ったあと、一緒に話を聞いたAAR職員のリファットに意見を求めると、「本心だと思う」と答えました。彼女は仕事を通じて、さまざまな境遇にある難民の方たちに接してきました。難民登録をすることで得られる支援は、送還のリスクを補うものではないと考える人が多くいるのだと言います。
何の登録もしていないということは、この国で何の権利もない代わりに、義務も負っていません。そういう外国人が大勢住んでいるということを、受け入れ国の人間としてどう思うのか。彼女はそれには直接答えませんでした。
「誰もが、自分の国で暮らす権利があります。でもそれには、平和が必要です。まず戦争を止めなければ」

ナエムさんが暮らす町

この町のどこかで、ナエムさんはひっそりと生きています

支援の状況を話し合うAARパキスタン事務所のスタッフたち

支援の状況を話し合うAARパキスタン事務所のスタッフたち

私からみれば劣悪ともいえる環境で暮らしていても、今回話を聞いた10数人は誰も現状への不満はないと言い、パキスタンに住み続けることを望んでいました。
彼らの故郷への思い、難民であることの重さは、どんなに話を聞いても計り知れません。一方で、難民はみな望郷の念を抱えているはずだ、人は選択肢のある自由な人生を求めているはずだ、というのも、私の思い込みなのかもしれません。
しかし、難民であるということは、何十年その国で暮らし、生活の基盤を作っていようと、政策の風向きひとつで再びすべてを失って国を追い出されるリスクを背負い続ける、ということは事実です。
延長が続く帰還期限の発表を、彼らはどんな気持ちで聞いているでしょうか。

※2017年2月末現在、パキスタン政府の帰還政策の強化により、AARが活動するハリプール郡の難民居住地は閉鎖されました。ここで暮らしていた数万人の方たちが、家も仕事もないと言っていたアフガニスタンに戻ったと推測されます。
AARは、アフガニスタンで帰還民への支援活動を開始します。

【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

 東京事務局 伊藤かおり

2007年11月より東京事務局で広報・支援者担当。国内のNGOに約8年勤務後、AARへ。静岡県出身

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