ケニアの難民居住地に暮らす、学校に行けない子どもや若者への就学支援にご協力をお願いします |
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「日本からの支援に感謝します」 |
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シュエ・パズーちゃん(10歳)=仮名 ヤンゴンで暮らすシュエちゃんは、明るく活発な女の子です。脳性まひによる発語障がいで手指を細かく動かすことができないため、AARは理学療法士によるリハビリや学習教材を提供し、普通学校への通学をサポートしてきました。コロナ対策として昨年3月から休校となっていた公立学校は、今年6月に再開したものの、治安面の不安などから多くの保護者が児童の通学を見合わせており、シュエちゃんも自宅で過ごしています。 電気技師として働くお父さんの仕事はコロナの影響で減ってしまいましたが、それでも何とか家族を養うだけの収入を得ていました。そんな中、追い打ちをかけるように2月に非常事態宣言が発令され、治安が悪化して仕事が全部なくなってしまいました。そこで、お母さんが家からバスで片道2時間かかる工場で働き始めました。 シュエちゃん一家が住む地域は、ヤンゴン市内でも特に治安が悪化しており、地域のリーダーが暗殺されたり、役所で爆発事件が起きたりしています。シュエちゃんは家の外が危険な状況にあることを理解していて、仕事に出かけるお母さんを心配しています。お母さんは「娘を残して仕事に行くのはかわいそうで、毎日、後ろ髪をひかれる思いで家を出ます。AARの支援を受けて日々の食事を賄い、娘の教科書や栄養剤を購入しています。世界中の人々がコロナ禍で大変な思いをしている中、遠く離れた日本から私たちに支援をしていただけることを、とてもありがたく思っています」と話してくれました。 |
AARは治安状況を見極めながら、7月中旬に同様の緊急支援を実施する準備を進めています。より多くの障がい者や困窮世帯に支援を届けるために、引き続き、皆さまの温かいご支援をよろしくお願い申し上げます。
クレジットカードで以下のボタンからお手続きください。決済業務は、決済代行会社SMBCファイナンスサービスを通じて行っています。(お申し込み情報は、ベリサイン社の暗号化技術SSLを利用して送信されます。) 銀行振込で以下の口座番号と加入者宛にお振り込みください。
【ご注意】銀行からのお振り込みは、こちらでお振り込み人さまを特定できません。 振込人名の後に「ミャンマー緊急支援」とご記入ください。 ※振込手数料はご本人さまのご負担になります。 コンビニで下記のボタンからお手続きください。払込用紙(ハガキサイズ)をお送りいたしますので、コンビニにお持ちになってお支払いください。 ※株式会社Eストアーのネットショップ「ショップサーブ」を利用しています。 ※手数料330円はご本人さまのご負担になります。 郵便振込で以下の口座番号と加入者宛にお振り込みください。 ※備考欄に「ミャンマー緊急支援」とご記入ください。
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【ご寄付くださる皆さまへ】皆さまのご寄付は、ご指定の活動に活用させていただきますが、状況やニーズの変化などによっては、当初の計画よりも早い段階で活動を終了することもございます。それにより活動に必要な額をご寄付が上回った場合には、次なる緊急支援活動に活用させていただきます。あらかじめご了承ください。
AAR Japan[難民を助ける会]は新型コロナウイルスの感染対策支援として、製薬大手のエーザイ株式会社(本社:東京都文京区)と協力し、アフリカ3カ国(スーダン、ウガンダ、ザンビア)でマスク25万枚を配付しています。配付先は難民居住地内の診療所や保健ボランティアの難民、首都の拠点病院などで、医薬品や衛生用品が充分ではない中、「遠い日本から送られたマスクを感染対策に役立てたい」と感謝の声が聞かれました。3カ国のAAR現地事務所から報告します。
日本からスーダンに向けて4月中旬に発送されたマスク12万枚は、通関手続きなどを経て5月20日、首都のハルツーム大学付属ソバ大学病院に到着しました。同病院はコロナ感染が急増した昨年12月から一時期、コロナ治療の拠点病院に指定され、今も中核的な役割を果たしています。マスクは病院の担当者が院内の各診療科から必要枚数を聞き取って配付しており、医師・看護師など医療スタッフは衛生・感染対策上、1日に数回マスクを交換するほか、入院・来院患者にも配っています。
25歳の若手医師、レミス・ファハルさんは「拠点病院になった時は医薬品や感染防護具が不足する中、患者さんが次々に亡くなっていきました。入院患者に付き添う家族の人数が制限されたこともあって、患者も家族も不安を訴えましたが、私たちも感染がどのくらい拡大し続けるのか分からず、大きなストレスを抱えていました。自分が感染して家族に移さないかも心配で、家では家族とできるだけ距離を置いて生活していましたね」と振り返ります。
同国ではコロナ感染はいったん落ち着いたものの、再拡大が懸念されており、「大量のマスクが届いたことで、医療スタッフが感染対策を徹底できるし、患者が再び急増した時の備えにもなるので、とても心強く、日本の皆さんに感謝しています」。
AARは1980年代以降、ザンビア北西部のメヘバ難民居住地・再定住地で、主にアンゴラ難民の支援活動を実施し、現在は祖国に戻らずザンビア定住を選んだ元難民が地元住民とともに暮らすための生計支援やコミュニティづくりを支援しています。
ザンビアでは2021年初頭からコロナ感染が急拡大し、3月に難民居住地内の学校で小規模なクラスターが発生するなど、感染対策の重要性が高まっています。AARメヘバ事務所は6月中旬、日本から届いたマスク3万枚のうち1万3,000枚を居住区内の診療所7カ所に配付し、各診療所では医療スタッフ、および来院する患者にマスクを手渡しています。残る1万7,000枚も7月中に配付されます。
診療所の看護師、ヒルダ・マスワさんは「私たち医療スタッフは必ずマスクを着用していますが、来院する患者さん全員に配るだけのマスクの在庫がありませんでした。日本からマスクをいただいたので、患者さんたち一人ひとりにもマスクを渡すことができて安心です」と話します。
隣国コンゴ民主共和国から流入した難民が暮らすウガンダ西部のチャングワリ難民居住地では、コロナ感染が広がって死者も確認されています。居住地内では診療所や医療従事者の数が限られ、医薬品や衛生用品が不足しているうえに、コロナに加えて結核やマラリアなどの感染症対応も充分ではありません。
AARウガンダ事務所は4月末以降、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)や医療支援団体と協議のうえ、居住地内の診療所、および衛生啓発活動などに従事する難民の保健ボランティアとコミュニティリーダーにマスク10万枚を順次配付していす。
AARとエーザイは、「顧みられない熱帯病」のひとつであるマイセトーマへの対策事業をスーダンで共同実施しています。今回の協働は、エーザイが調達した不織布製マスク25万枚をアフリカのコロナ対策に役立ててほしいとの打診を受けて、AARが衛生改善や難民支援の取り組む3カ国の現地事務所などを通じてニーズ調査を行い、実現することができました。エーザイの皆様のご協力に改めてお礼申し上げます。
AARは海外だけでなく、日本国内の障がい関連団体・施設、病院など2,771カ所(計16万1,720人)にマスク、消毒液などの衛生用品を届けています(6月現在)。AARのコロナ対策支援活動への温かいご理解・ご協力を重ねてお願い申し上げます。
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アフリカ内陸部の南スーダン共和国は2011年7月、スーダン共和国からの分離独立を果たし、「世界で一番若い国」となりました。この分離独立までには、アフリカで最も長いとされる内戦の歴史があります。
1956年に英国・エジプト共同統治からの独立を果たしたスーダン共和国は、イスラム教徒系住民が多数を占める北部と、キリスト教系住民が多い南部の対立を内包しつつ、国家としての歩みを始めました。独立の前年である1955年から1972年までの第一次スーダン内戦では、南部に対するイスラム化とアラビア語化政策を推進する北部の中央政府に対し、南部が分離独立の機運を高め、ゲリラ闘争を繰り返しました。
第一次スーダン内戦は和平合意をもって終結し、南部には自治政府が置かれましたが、その後も中央政府が南部自治政府の合意なしに南部地域の石油開発を推進するなど摩擦は続き、1983年に第二次スーダン内戦が勃発しました。2005年の包括的和平合意調印までの22年の間で発生した死者数は250万人に上ります。停戦から6年後の2011年、住民投票で有権者の98%が分離独立を支持し、南スーダンの人々の大きな熱狂と希望とともに、南スーダン共和国が誕生しました。
しかし、独立を果たしたわずか2年後の2013年、南スーダン国内で再び武力衝突が激化しました。契機となったのは、南スーダンの首都ジュバで2013 年12月に起こった政府軍(南スーダン解放人民戦線:SPLA)同士の銃撃戦です。この背景には、南スーダンのサルヴァ・キール大統領と、この直前に解任されたリアク・マシャール前副大統領の政権をめぐる争いがあり、銃撃戦はキール大統領の出身民族であるディンカ族のSPLA兵士と、マシャール前副大統領の出身民族であるヌエル族のSPLA兵士の間で起こりました。
衝突はジュバ市内に拡がり、ディンカ族兵士がヌエル族の一般市民を、ヌエル族兵士がディンカ族の一般市民を攻撃したことで、一般市民500人以上が犠牲となりました。政府軍による反乱と衝突はジョングレイ州やユニティ州など全国に拡大し、武装勢力が敵対民族の市民の殺害、強姦、村落の焼き討ちなどの破壊行為を繰り返しました。2013~2020年の死者は40万人と推計されます。
2015年に政府間開発機構(Inter-Governmental Authority on Development: IGAD)が介入し、停戦合意がなされて、2016年に暫定政権が発足しました。その後、再びジュバで銃撃戦が発生し、政府軍による市民の殺害や強姦などの深刻な人権侵害が多発する事態となりました。2017年、2018年と停戦協議が繰り返された後、2018年に再び和平合意が締結され、2020年2月には暫定政権が発足しましたが、議会の設置や統合軍の結成など合意内容の実現は遅れています。
1955年からの第一次スーダン内戦、1983年からの第二次スーダン内戦による死者は200万人を超え、第二次スーダン内戦では累計400万人が故郷を追われたとされます。さらに、2013年以降の南スーダンの武力衝突で難民・避難民は増加し、2021年現在、南スーダンから国外に流出した難民は227万人、国内避難民は160万人に上ります。主な避難先はウガンダ共和国約92万人(約40%)、スーダン79万人(約35%)、エチオピア37万人(16%)、ケニア12万人(5%)です(UNHCR、2020年5月31日)*1 。
南スーダン国内では武力衝突に加え、紛争の影響で農地が荒れ果て、約550万人が食糧危機に直面しています。性的暴力や虐待の深刻化に加え、水道・衛生施設・学校などの基礎的インフラが破壊され、または機能しておらず、国内避難民だけでなく、避難せずに故郷の村に残った南スーダン人にとっても苦境が続きます。
AAR Japanが活動するケニアのカクマ難民キャンプは、第二次スーダン内戦期に発生した南スーダン難民への対応を目的に、1992年に開設されました。直接の契機は、当初エチオピアに避難していた南スーダン難民が、エチオピアの政権交代と難民受入れ方針の転換により締め出されることとなり、ケニアに支援を求めて大規模に流入したことです。現在カクマ難民キャンプには南スーダン、ソマリア、コンゴ民主共和国、ブルンジ、エチオピア等の計19ヵ国からの難民約16万人が生活しています。1992年の開設当初から30年近くキャンプに留まり続ける難民もおり、長期化する難民問題の典型例と言えます。
カクマ難民キャンプは、2013年からの南スーダン難民の大規模な流入により、2014年に受け入れキャパシティの限界を超え、約5万8千人の難民が行き場を失う事態となりました。当初想定した7万人を超えて19万人が密集するカクマ難民キャンプでは、さらなる流入を受け入れる余地はなく、UNHCRはケニア政府との交渉を経て、2016年にカクマから30km西に新たにカロベイエ難民居住区を開設しました。カロベイエ難民居住区には現在、南スーダン、ソマリア、エチオピア、ブルンジなど19ヵ国からの難民計4万人が生活しています。
カロベイエ難民居住区は難民キャンプとは異なり、UNHCRとケニア政府が共同で策定したカロベイエ統合社会経済開発計画(Kalobeyei Integrated Social and Economic Development Programme: KISEDP)に基づいて運営されています。これは難民とホストコミュニティ(難民の受け入れ地域)双方の社会・経済状況の改善に寄与することを目指す難民支援プログラムです。カクマ難民キャンプおよびカロベイエ難民居住区が位置するトゥルカナ県は、干ばつと洪水が繰り返される厳しい気象条件、農業生産性の低い地質が特徴とされ、ケニア国内でも貧困率の高い地域です。
トゥルカナ県に暮らすホストコミュニティにとっても社会・経済開発のための支援は急務であり、また目の前の難民だけに支援が提供される不公平感への反発は根強く存在します。KISEDPは難民とホストコミュニティ双方に公平なサービスを提供し、かつ双方への生計機会の提供に重点を置くことで、難民とホストコミュニティが共生しながら社会的経済的な自立を達成することを目指しています。南スーダン難民をはじめ、各国からの難民の滞在期間が長期化する傾向にある中、難民を一時的な滞在者ではなく、ケニアの社会経済的発展への貢献者として地域社会に統合しようとする取り組みと言えます。
カクマ難民キャンプとカロベイエ難民居住区では、さまざまな援助機関による支援活動が行われています。水衛生、教育、心理的ケア、障がい者支援、職業訓練など、その活動は多岐にわたります。
AAR は2014年にカクマ難民キャンプでの活動を開始し、2016年からはカロベイエ難民居住区も支援対象に加え、現在は青少年の育成・保護の分野に取り組んでいます。5つの中等校で、学校施設の建設などを通じて学習環境を改善するとともに、悩みや問題から生徒が自身の身を守り、就学継続ができるよう、ライフスキル教育*2の促進や教員によるカウンセリング実施体制の整備を行っています。加えて、中等教育卒業後の将来に不安を抱く生徒への進路指導実施体制を強化し、就学していない青少年も学校に就学または復学できるよう、個別の教育・生活相談を実施しています。また、カロベイエ地域では若者へのICT技術研修を行い、生計手段の獲得につながる能力強化に取り組んでいます(2021年6月現在)。
UNHCRが掲げる難民問題の恒久的解決策は母国への帰還、第三国定住、第一避難国での現地統合の三つであり、母国への帰還が最も望ましい選択とされています。しかし、2020年までに母国への帰還を選択した南スーダン難民は12万人に留まり、そのうち70%は避難先の国での食糧支援の大幅な削減を受け、やむなく帰還を決めています*3 。2020年の南スーダン暫定政権発足後も、国内情勢の推移にはいまだ注視が必要であり、難民が積極的に帰還を選択するに足るほどの社会経済基盤の安定化には、相応の時間がかかることが見込まれます。受け入れ国だけに負担を集中させるのではなく、国際社会が協調して負荷をともに引き受けて、持続的な支援を実現する必要があります。
*1.参照先
*2.ライフスキルとは、日常生活で直面するさまざまな課題を乗り越えるために必要な能力を指す。意思決定能力や問題解決能力、対人コミュニケーション能力などが含まれる。災害や紛争などの緊急危機下において、ライフスキルの強化ニーズは高まるとされている。
*3.South Sudan Regional Refugee Response Plan 2021, UNHCR
ケニアの難民居住地に暮らす、学校に行けない子どもや若者への就学支援にご協力をお願いします |
6月20日は国連が定める「世界難民の日」。世界の難民・国内避難民は近年、増加の一途をたどり、過去最多の8,000万人超(2020年末推計)に上ります。一方、昨年初頭から世界中に感染拡大した新型コロナウイルスの猛威は、1年半経った今も収まらず、世界の感染者は約1.8億人、死者は約380万人に達しています。
こうした危機的状況においては、難民や障がい者、貧困層など、普段から社会的に弱い立場にある人々がとりわけ深刻な影響を受けます。衛生状態が悪く医療体制も充分ではない難民キャンプ・居住地では、多数の難民がコロナ感染の危険にさらされています。
AAR Japan[難民を助ける会]は40年以上にわたって、国内外で人道支援活動を展開してきました。コロナ禍によって、多くの国・地域で支援活動が制約を受ける中、AARは難民支援を途切れさせないよう各地の状況に応じて工夫を重ね、既存事業に加えて、難民や地域住民への衛生用品の配付、衛生啓発活動などを実施しています。
ミャンマーの武力弾圧を逃れた累計100万人超のイスラム少数民族ロヒンギャが滞留するバングラデシュ南東部コックスバザール県。90万人近くが過密状態の難民キャンプに収容されていますが、2017年8月以降の大量流入から間もなく4年、ミャンマーの政治・社会の混乱を受けて本国帰還はますます遠のき、長期化は避けられない状況にあります。
難民キャンプではコロナ感染を防止するために、人道支援活動を食糧配給や医療などに限定して、国連やNGO関係者の出入りを大幅に制限しました。AARはこの間、キャンプおよび周辺農村部のホストコミュニティで、手洗い用の水タンクや石けんの配付、少人数ずつの衛生啓発ワークショップなどを実施しました。そうした成果もあってか、より人口が少ない周辺地域と比べて、キャンプの感染は予想以上に抑え込まれています。「18歳未満の子どもが55%を占める若い人口構成が影響している」との仮説もあり、世界保健機関(WHO)が調査しています。
その半面、難民の有給ボランティアなどの活動が停止されて、特に男性がストレスを溜め込んでおり、国連やNGOの目が減ったこともあって、キャンプでは家庭内暴力や人身売買が増えてしまいました。さらにバングラデシュ政府が昨年12月、ベンガル湾のバシャンチャール島に建設した収容施設への難民移送を開始したのに加え、今年3月にはキャンプで大火災が発生して数百人が死傷するなど、帰還の見通しが立たない中、難民たちは複合的な要因が重なって精神的にも追い詰められています。
AARが運営する子どもや女性の活動施設は、コロナ禍で利用が制限される中、専門のカウンセラーやケースワーカーが個別に悩みごとの相談に応じるなど、心理面でのサポートを継続しています。
内戦が続くシリアからの難民約360万人が暮らすトルコで、AARはコロナ感染が急拡大した昨年6月末から1カ月間、シリア難民への社会心理的支援として、オンライン方式の「親子サポート」プログラムを実施しました。AARが運営するコミュニティセンターがコロナ禍で利用できなくなり、難民の家族が個々に孤立するのを防ごうと、AAR現地職員が知恵を出し合って企画した取り組みです。
プログラムでは、現地職員が電話やメッセージアプリを通じて、母親には子どもとの接し方や自分のストレスとの向き合い方を指導し、子どもには家の中でできる遊びを伝えるとともに、家族を助けるためにどうしたらいいかを考える「宿題」を毎週出しました。参加した母親たちからは「学校休校中でずっと家にいる子どもがプログラムに集中する時間が少しできただけでも、肩の荷が下りてホッとした」「プログラムの時間が決まっているので生活にリズムが出た」などの声が寄せられました。子どもたちも熱心に取り組み、ある子どもはプログラムで習ったグラスを使った音楽演奏を自分で動画撮影して送ってくれました。
開発途上国では、マスクや消毒液など衛生用品の入手が容易ではない場合もあります。AARは4月中旬、製薬大手エーザイ(本社:東京都文京区)と協力して、アフリカ3カ国(ウガンダ、ザンビア、スーダン)に感染防止用のマスク25万枚を送りました。
このうち、マスク10万枚が届いたウガンダ西部のチャングワリ難民居住地では、隣国コンゴ民主共和国から流入した難民の間で2波にわたってコロナ感染が広がり、死者も出ています。AARウガンダ事務所は国連機関や他団体と協力して、診療所および居住地内で活動する難民の保健ボランティアなどにマスクを配りました。保健ボランティアのコンゴ難民、ジュヤンベ・マーキさんは「私たちの保健医療活動では、患者に接する際に感染予防のマスクは欠かせません。医療品が非常に不足しているので、遠い日本から届いた支援はとても助かります」と話していました。
このほか、近隣諸国から流入した難民が暮らすザンビアの居住地・再定住地にある診療所、コロナ感染者の治療を担うスーダンの大学病院などにマスクを送っています。
AARが教育支援を行うケニアのカクマ難民キャンプ、カロベイエ難民居住地でも、難民や周辺住民、支援関係者の間で感染者や死者が確認されています。ケニア全土で学校の休校・再開が繰り返されていますが、AARは昨年10~11月にキャンプ・居住地の初等学校で生徒や教職員にマスクを配付したほか、その後も日本に一時帰国中の駐在員が現地事務所と連絡を取りながら、中等教育の就学支援などを進めています。
AARは昨年来、上記の事業地を含む海外13カ国、および日本国内の障がい福祉施設・関連団体、病院に対して衛生用品配付などのコロナ対策支援を実施しています。コロナ禍のような未曽有の危機にあって、互いの思いやりと連帯こそが困難を克服する大きな力になると私たちは考えます。AARの難民支援、コロナ対策支援へのご理解・ご協力を重ねてお願い申し上げます。
障がい福祉事業所などへの物資配付にあたっては、全国や地域にネットワークを持つ障がい関連団体と連携して、それぞれの事業所で必要とされる物品をきめ細かく確認し、ニーズに合った支援を届けるよう努めました。支援パッケージには、マスクや消毒液のほか、ゴム手袋や非接触型体温計、感染者が発生した場合に備える防護服などを選びました。
各地からAARに届いた多くのメッセージの中から一部を紹介します。
「状況が深刻化するに伴い、身の回りでいつ感染が起こるかもしれない怖さを感じております。物品があることで、安心感が得られます。皆様も活動が制限される中、ご支援いただきまして感謝申し上げます」(福島県郡山市)
「消毒液噴霧器は活動をしている部屋の出入口に設置しました。手をかざすだけで消毒できるので、力の加減も必要なく手指の過敏さもある利用者さんも上手に使うことができています。また、フェイスシールド、ゴム手袋は食事の介助や口腔ケアに使用しており、飛沫による感染予防になっています。今また感染が拡大している中、利用者さんの命を守るため、健康を守るため、さらには利用者さんの今までの日常生活を守るため事業所を閉じるわけにはいけません。このような感染予防対策のための物資はとても助かります。本当にありがとうございました」(栃木県鹿沼市)
「業務上、介護用手袋は毎日大量に消費します。購入も今までの価格の倍まで高騰しているため、品質を落とした手袋を使ってしのいでいます。こういった善意を受け取ることで大変助かっています」(広島県広島市)
コロナ禍が続く中、各地の障がい福祉事業所でも感染やクラスターが発生しています。感染拡大で事業所が休所すると、利用者の方々の日常生活の場が失われてしまうため、福祉関係者は独自にPCR検査を行うなど感染防止策を懸命に講じています。AARは障がい関連団体と連携して、PCR検査キットの配付支援を予定しています。1回分の検査キットは約1万円で、10~20キット(10~20万円)あれば、運営規模の小さい事業所1ヵ所の利用者と職員の方々の検査を行うことができます。
日本と世界の誰もが等しくコロナ感染の危険にさらされる今、互いの思いやりと連帯こそが、この未曽有の危機を乗り越える力になると私たちは考えます。AARのコロナ対策支援へのご理解・ご協力を重ねてお願い申し上げます。
*これらの活動は、皆さまからの温かいご寄付に加え、ジャパン・プラットフォーム、READYFOR・東京コミュニティー財団、J-Coin基金、Give2Asia、住友財団の助成を受けて実施しています。
東京事務局 生田目 充
大学で中国のハンセン病の元患者が暮らす村を訪問するサークルに所属し、 周囲からの差別解消や理解促進に従事。物流会社に勤務した後2016年4月、AARへ。 ミャンマー事業などを担当後、現在は国内の緊急支援事業を担う。趣味はサッカー、読書。茨城県出身
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]]>企業の社会貢献活動が今ほど一般化していなかった1989年、その先駆けとして設立された「イオン1%クラブ」は、国際交流や教育、環境保護など幅広い分野で支援事業を展開している。AAR Japan[難民を助ける会]は東日本大震災の被災地復興支援、東南アジアの障がい者支援で、同クラブから継続的にサポートしていただいている。公益財団法人イオンワンパーセントクラブ(千葉市美浜区)の横尾博理事長に、イオンが目指す企業の社会貢献について伺った。
( 聞き手:AAR Japan 中坪央暁/2021年5月7日にインタビュー)
――新型コロナウイルスの影響が広がる中、イオン1%クラブは日本国内の子どもたち、東南アジアからの留学生・技能実習生に対する緊急支援を実施されていますね。
横尾氏 今も世界中でコロナ感染が拡大し、私たちの想定を超える危機が続いています。こうした状況では、普段から社会的に弱い立場にある方々に、より大きな負担がかかる現実があります。大災害が起きた時と同じですね。イオン1%クラブでは昨年来、全国各地で「子ども食堂」を運営するNPO法人3団体に緊急支援金を贈るとともに、日本にいる留学生や技能実習生への支援として、ベトナム、ラオス、カンボジア、インドネシア、ミャンマー5カ国の在日大使館に500万円ずつご寄付しました。
家庭の事情で充分な食事をとれない子どもたちを支援する子ども食堂は、密を避けるために通常の運営ができず、難しい対応を迫られています。学校の休校措置で給食がなくなった時期は特にたいへんでした。私たちは子ども食堂を絶やしてはならないと考え、支援を必要とする家庭に弁当や食材を配るシステムをつくると同時に、コロナが終息した時に子どもたちが再び集まる場所を確保しておくために、お客さまにも店頭募金を呼び掛けて活動を応援しています。
また、主に飲食店のアルバイトの機会を失った留学生、受け入れ先企業の経営悪化で失業した技能実習生などから「生活が苦しいが帰国することもできない」という相談が各国大使館に多数寄せられていると聞いて、そうした若い外国人の皆さんの力になれればと、充分な金額ではありませんが、大使館を通じて当面の生活費をお届けしました。
コロナ禍におけるイオングループ全体の業績は、食料品など一部は売れ行きが好調だった半面、大型商業施設のテナント料の賃料減免、映画館や遊戯施設の休業や、東南アジアの店舗のロックダウンなどの影響を受けています。そんな状況にあってもイオングループの社会貢献活動はしっかり継続していこうと、今春から医療従事者を支援する募金活動を実施中です。
イオン1%クラブはグループ主要企業が税引き前利益の1%を拠出する仕組みなので、業績が良い時も悪い時も全体でゼロになることはありません。私たちは今般のコロナ禍を環境の変化に対応し、新しいことにチャレンジしていくきっかけとして、前向きに受け止めています。
――30年余りの歴史を持つイオン1%クラブの社会貢献活動についてご説明ください。
横尾氏 当財団はイオンの原点であるジャスコの誕生20周年を機に、当時の岡田卓也会長(現:名誉会長相談役)が「新生イオン」の新たな社会貢献として提唱し、1989年に設立されました。ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦が終わった年です。岡田会長は当時「これからは南北問題(先進国・開発途上国の格差問題)と地球規模の環境問題が世界の重要課題になる」と予見してイオン1%クラブを発足させ、翌1990年にはイオン環境財団を設立しました。まさに私たちが今日直面している課題であり、今から考えても非常に見識があったと思いますね。
イオン1%クラブは、次の時代を担う若い世代の育成、海外とりわけアセアン(東南アジア)諸国との友好親善の促進、地域の文化・社会の振興を3つの柱としています。前述した通り、グループの主要企業から税引き前利益の1%が拠出されていますが、そこには「利益を出せない企業は社会に認められないし、社会貢献することもできない」というメッセージが込められています。国内のグループ企業約150社のうち、累積損失がなく、税引き前利益1億円以上などの基準をクリアしてイオン1%クラブに拠出できるのは30~40社程度で業績によって毎年入れ替わります。
大規模災害が発生した際は、緊急災害復興支援としていち早く支援金を贈呈するほか、全国の店舗に募金箱を置いてお客さまからいただいたご寄付に、イオン1%クラブが一定額を上乗せするマッチング寄付の方式で、さまざまな活動に取り組む団体に寄付をしています。災害時の緊急募金のほか、目的が明確なNGOの活動への募金には寄付がよく集まる傾向があります。最近はキャッシュレス決済が進み、イオンの電子マネー「WAON」カードをお使いになるお客さまも増えて、従来のように少額のおつりを募金箱に入れる機会が減るのではないかと心配していたのですが、今のところカードでの買い物とは別に、現金を募金してくださる方が多く、大きな募金額の変動はありません。
――東日本大震災(2011年3月11日)から10年が経ちました。AARは発生直後に緊急支援活動の資金をイオングループから頂戴したほか、岩手・宮城・福島3県で今も継続中の障がい福祉施設への支援に対して、イオン1%クラブの「障がい者ものづくり応援募金」を通じて多大なご支援をいただいています。地域の障がい者が働く福祉施設で、損壊した施設・設備の改修や物品提供、新商品の開発、販路開拓などに活用され、関係者にとってかけがえのない大きな支えになってきました。
横尾氏 イオングループは発生翌日の3月12日に全国で店頭募金を開始し、お客さまや従業員の募金とグループ各社の拠出を合わせて、これまでに被災7県に総額64億円の復興支援金を贈呈しました。被災地の自治体の要請に応じて防寒着や子ども服、毛布、紙おむつなどをフル稼働で調達しましたほか、被災地にある店舗は一日も早い再開を目指しました。また、AARをはじめとするNGOにも復興支援金を贈呈し、現地での支援活動をサポートしました。一部のグループ企業も被災し、亡くなった従業員や家族もおられる中、まさにイオングループの労使が一体となって復旧・復興支援に取り組んだと思っています。
その後も、津波で多くの方が犠牲になった福島県南相馬市の海岸で「森の防潮堤」の植樹活動を地元の皆さんと一緒に行ったり、原発事故の影響を受けて屋外で遊べなくなった子どもたちの合宿を開催したり、さまざまな形で復興を後押ししてきました。
震災から5年経った2016年、緊急期から次のステージに移行する時期に、私たちは新たに「東北創生」の方針を掲げて、地域の産業振興をお手伝いする取り組みを始めました。被災地では防災インフラ整備が進む一方、他所に避難した方々が帰還できず、かつての賑わいを取り戻せないという現実があって、やはり地元の産業を振興して雇用を創出する仕組みをつくる必要があると考えました。原発事故の風評被害を受けたエリアを含めて、安全性を確認したうえで、被災地の産品を紹介する「にぎわい東北フェア」を全国の店舗で開催するなど、流通・小売のネットワークを生かした支援を行い、海外の店舗で東北の産品をPRしています。
AARの障がい者支援は、地域で暮らす障がい者の方々が働く場所を守る取り組みとして、たいへん重要だと考えています。「障がい者ものづくり応援募金」はお客さまから寄せられた寄付にイオン1%クラブが一定額を上乗せしてお贈りしており、毎年開催される贈呈式などの機会をとらえて、イオンの現地代表や社員が必ず施設を訪問するようにしています。私たちの寄付がどのような方々のお役に立っているのか、皆さんがどんなに頑張っておられるかを直接知ることで、改めて社会貢献の意義を実感できるからです。こうした訪問がきっかけになって、福祉施設で作られた商品を近くのイオンの店舗で販売した例もあります。今年はコロナの影響でオンライン形式の贈呈式になりますが、終息後は訪問したいと考えています。
――AARは同じくイオン1%クラブの「アジア障がい者支援募金」を通じたご支援をいただいています。私たちはカンボジアで障がい児のインクルーシブ教育や車いす普及支援、ラオスで障がいがある女性たちの小規模起業支援(キノコ栽培、ナマズ・カエル養殖)、ミャンマーで障がい者向けの職業訓練・就労支援や障がい児の教育・リハビリ支援を実施し、いずれも現地で高い評価を受けています。
横尾氏 私もAARがミャンマーのヤンゴンで運営する職業訓練校を訪問し、障がいのある方々が縫製や理容・美容、コンピューターの各コースで技術を学んでいる姿を見て、イオン1%クラブの寄付が現地でお役に立っていることを実感しました。イオンの現地社員も連れて行ったのですが、自分たちの仕事の意義を理解して誇りを感じたようで、訪問をきっかけに訓練校の布製品をヤンゴンの店舗で販売しています。ミャンマーは現在、厳しい状況にありますが、早く事態が落ち着くことを祈っています。
東南アジアの国々では日本のように福祉施設が整っていない所もあり、障がいのある子どもが学校で友達と遊べなかったり、障がい者が社会的に孤立したりして、非常に困難な状況に置かれています。AARが長年実施している支援事業は、そうした障がい者一人ひとりに手を差し伸べるたいへん意義のある取り組みだと評価しています。
諸外国との友好関係では、1990年に始まった「ティーンエイジ・アンバサダー事業」もイオン1%クラブの重要な取り組みのひとつです。国際感覚を持った若い世代の育成をメインテーマとして、日本と中国、東南アジア各国の16~17歳の高校生が毎年20人ずつ、日本と相手国を1週間ずつ相互訪問します。政府機関や学校の訪問、ホームステイなどを通じて、互いの社会や文化への理解を深めるプログラムで、20年間で18カ国・2,400人以上が参加し、友情を育んできました。10代の若者にとって海外経験は大きな刺激になり、高校卒業後に海外留学したり、後に外交官や国際NGOの道に進んだりした例は少なくありません。プログラムに参加したことがきっかけになって、日本でイオンに就職した中国の若者もいるんですよ。
事業創設30周年の2019年には、歴代アンバサダー251人が来日し、日本側の80人も参加して記念式典を開催したほか、国連のSDGs(持続可能な開発目標)の実現に向けた「未来行動宣言」を発表しました。この交流事業は相手国の政府当局者も歓迎してくれていて、たとえ国と国が良好な関係にない時でも、若い世代同士の民間交流があれば、それが抑止力になって決定的な対立は避けられるのではないかと考えています。
――イオン取締役会議長を昨年退任され、現在はイオン顧問としてグループを率いておられますが、ご自身はどんな若者だったのですか。
横尾氏 私が大学に進学した1970年代前半は、大学紛争の騒然とした雰囲気が続いている時代でしたね。京都生まれですが、なるべく遠くに行ってみたいと思い、北海道の帯広畜産大学畜産学部に入学しました。4年生の後半になっても就職活動もせず馬術部にのめり込んでいましたが、ちょうどその時期、私の進路を心配した指導教官が「ジャスコが食肉加工場を建設する計画があり、人材募集しているから受けてみなさい」と勧めてくれて、面接に行ったところ採用され、入社後は店舗に配属され食肉の担当も経験しました。
その後、ミニストップやオリジン弁当などの経営を手掛け、イオングループ全体の経営を担うようになりましたが、私の企業人としての原点は「店はお客さまのためにある」という現場主義です。今はグループ内の経営人材育成機関「イオンDNA伝承大学」で幹部候補生の研修を指導し、イオンの理念を伝えています。
――2030年に向けたSDGsの達成には、言うまでもなく企業の取り組みが重要です。イオン1%クラブとしての方針、そしてAARのようなNGOとの協働の意義についてお考えをお聞かせください
横尾氏 イオン1%クラブが誕生した30年前と今日では、企業を取り巻く時代背景もCSR(企業の社会的責任)活動も違ってきて、企業活動そのものが社会の課題を解決するウエートが高まっています。地球規模の環境問題はその代表的な分野でしょう。イオングループは環境保護、貧困や飢餓の解消、質の高い教育などSDGsが掲げる17の目標すべてにコミットしています。今や世界が直面する課題に取り組まない企業は社会に認められませんし、投資家も投資してくれません。企業も投資家も短期的な利益を求めるだけではない時代に近付いているのではないでしょうか。
他方、当財団のように会社本体とは別組織を設ける社会貢献の形も、従来とはニュアンスが変わり、CSR活動は別組織に任せるという方式ではなくなってきています。イオングループの場合、イオン株式会社のグループ環境・社会貢献部が全体を統括しつつ、イオン1%クラブとイオン環境財団がそれぞれ活動しています。
グループ各社は、CO2排出量を削減した店舗づくり、食品ロスの削減、生態系の保護に配慮した商品開発など、本業と課題解決を一致させる取り組みを全力で実践しています。植樹本数が累計1,000万本を超えたことを機に、「植える」「育てる」「活かす」活動として2013年にスタートした「森の循環プログラム」では、地元の方々が買い物に限らず、折に触れて集まっていただけるような森を創る活動を進めています。昔ながらの里山、あるいは鎮守の森のイメージですね。また、適正な森林管理による林業振興にも貢献したいと考え、植栽帯管理研修の実施や国産材木を有効活用した店舗の設計を進めています。
そうした取り組みに加えて、個々の企業では手の届かない部分、例えば障がい者支援や被災者支援といったところは、イオン1%クラブがカバーするという機能分担をしています。企業活動と財団の事業という両輪があってこそ、グループ全体として実現できることがあると考えます。これが企業の新しい社会貢献のひとつのスタイルではないでしょうか。
もちろん、そうした取り組みは私たち企業だけでは実践できず、AARのような現場の知見を持ったNGOとの連携は欠かせません。国内・海外の障がい者支援、被災地の緊急支援などの経験に基づく専門的な知識・情報を共有し合い、募金を通じて社会に広く呼び掛け、その寄付に一定額を拠出して必要なサポートをしていくという形です。NGOなど外部の皆さんとの協働によって、私たち企業としてもより有効におカネを活用し、社会貢献の幅を広げられるのではないかと考えています。企業とNGOの連携がますます広がっていくことを期待しています。
ひとこと カンボジアのアンコールワット遺跡を訪ねた10数年前、木立の中にイオンと記した石碑を見かけて「なぜここに?」と思った記憶がある。後にイオングループが日本とアジア諸国で植樹活動を展開していることを知り、横尾理事長に話を伺って、ようやく全体像を理解した。グローバルかつ継続的な社会貢献は、国内・海外300社を抱える巨大グループなればこその感がある。(N) |
クレジットカードで以下のボタンからお手続きください。決済業務は、決済代行会社SMBCファイナンスサービスを通じて行っています。(お申し込み情報は、ベリサイン社の暗号化技術SSLを利用して送信されます。) 銀行振込で以下の口座番号と加入者宛にお振り込みください。
【ご注意】銀行からのお振り込みは、こちらでお振り込み人さまを特定できません。 振込人名の後に「ミャンマー緊急支援」とご記入ください。 ※振込手数料はご本人さまのご負担になります。 コンビニで下記のボタンからお手続きください。払込用紙(ハガキサイズ)をお送りいたしますので、コンビニにお持ちになってお支払いください。 ※株式会社Eストアーのネットショップ「ショップサーブ」を利用しています。 ※手数料330円はご本人さまのご負担になります。 郵便振込で以下の口座番号と加入者宛にお振り込みください。 ※備考欄に「ミャンマー緊急支援」とご記入ください。
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【ご寄付くださる皆さまへ】皆さまのご寄付は、ご指定の活動に活用させていただきますが、状況やニーズの変化などによっては、当初の計画よりも早い段階で活動を終了することもございます。それにより活動に必要な額をご寄付が上回った場合には、次なる緊急支援活動に活用させていただきます。あらかじめご了承ください。
AAR Japan[難民を助ける会]は新型コロナウイルスの感染対策支援として、製薬大手のエーザイ株式会社(本社:東京都文京区)と協力し、アフリカ3カ国(スーダン、ウガンダ、ザンビア)にマスク25万枚を送ります。その第一便が4月30日までにウガンダ西部の難民居住地に到着し、保健・医療活動に取り組むスタッフに配付されました。
隣国コンゴ民主共和国から流入した難民が暮らすウガンダ西部のチャングワリ難民居住地では、これまでに119人のコロナ感染が確認され、そのうち1人が死亡しています。診療所や医療従事者が限られているうえに、マスクの数が絶対的に不足しており、コロナに加えて結核やマラリアなどの感染症対応が充分ではありません。
同居住地には日本から送られたマスク10万枚が届き、AARウガンダ事務所では国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)や医療支援団体と協議のうえ、診療所および居住地内で衛生啓発活動などに従事する保健ボランティア246人とコミュニティリーダー79人に配付することにしました。
UNHCRのウガンダ人医師、ロナルド・ルベガさんは「遠い日本からマスクを送ってくださった皆様に感謝します。マスクは難民居住地での感染症予防に有効活用します」。コンゴ難民で保健ボランティアのジュヤンベ・マーキさんは「私たちの保健医療活動では、深夜に急患で呼び出されることもあり、患者に接する際に感染予防のマスクは欠かせません。保健ボランティアのための医療品支援は非常に不足しているので、日本からの支援はとても助かります」と話しています。
AARとエーザイは、「顧みられない熱帯病」のひとつであるマイセトーマへの対策事業をスーダンで共同実施しています。エーザイが調達した不織布製マスク25万枚をアフリカのコロナ対策に役立ててほしいとの打診を受けて、AARが衛生改善や難民支援活動を実施している3カ国の現地事務所などを通じてニーズ調査を行い、配付先を決めました。ウガンダのほかに、スーダン=首都ハルツームのコロナ対策拠点病院に12万枚、ザンビア=近隣諸国から流入した難民の居住地・再定住地の診療所に3万枚をそれぞれ送る予定です。
AARは2020年以降、コロナ感染対策の緊急支援として、日本国内の障がい福祉施設・障がい関連団体にマスクや消毒液を届けているほか、海外13カ国の難民や障がい者、貧困家庭に衛生用品や食料品などを配付しています。コロナ禍では社会的に弱い立場の人々がより大きな影響を受けています。世界中の誰もが等しくコロナの脅威にさらされる今、互いの思いやりと連帯こそが、この未曽有の危機を乗り越える力になると私たちは考えます。
AARのコロナ対策の取り組みへのご理解・ご支援をお願い申し上げます。
テイン・リン君(15歳)の家族
テイン・リン君は、脳性まひによる学習障がいと発語障がいがあります。両親はテイン君が幼い頃に家を出て行ってしまい、今は祖父母、弟と4人暮らしです。おじいちゃんが病気で働けなくなったため、おばあちゃんがバスに乗って市場で野菜や果物を買い付け、それを工業団地で働く労働者に売って、細々と生活費を稼いでいました。
しかし、ミャンマーでも2020年3月頃から新型コロナウイルスの感染が広がり、政府の外出規制措置で工場が休業になって、おばあちゃんの売り上げは大きく落ち込みました。AARが実施する食糧支援などで何とか生活していたものの、ぎりぎりの状況が続いていました。
追い打ちを掛けるように、2021年2月に起きた非常事態で治安が一気に悪化し、バスも運行されなくなり、市場も閉まってしまいました。一家が住む地域は日常的に銃声が響くなど、とりわけ治安が悪く、売り上げはゼロになりました。おじいちゃんの治療費の借金に加えて、今は近所の人からも借金しており、おばあちゃんは「このままでは利息の返済もできなくなってしまう」と嘆いています。
テイン君はすでに1年以上、満足に教育を受けられない状況が続いています。昨年3月まで通っていた障がい児のデイケアセンターは、コロナ禍で対面式の授業を取り止め、オンライン授業を行っていましたが、今年3月以降は混乱の影響で携帯電話からのインターネット接続が断たれてしまい、テイン君は授業に参加できなくなりました。
治安が悪くて外出できないため、最近は一日中、窓から外を見て過ごしています。時折、近隣住民が暴力を受けている場面を目にしては、指差して助けを求めるようなまなざしでおばあちゃんを見つめます。そのたびに、おばあちゃんは何とも言えない悲しい気持ちになります。今はただ家の中で息を潜め、安心できる日が戻ってくることを祈るばかりです。
チェー・ジン・ウーちゃん(3歳)の家族
チェー・ジン・ウーちゃんは、脳性まひで筋肉が萎縮しており、自分で立ったり座ったりすることも難しい状態です。お父さんはチェーちゃんが生まれてすぐ亡くなったため、今はお母さんと4人の兄弟と一緒に、いとこの家に住んでいます。
いとこは自宅で自転車の修理店を営んでおり、コロナ禍で売り上げは3分の2に減りましたが、それでも感染防止に気を配りながら仕事を続けていました。AARの理学療法士が個別訪問で行っていたリハビリもできなくなりましたが、分かりやすい教本を配付し、ビデオ電話を通してお母さんにリハビリ方法を指導していました。
しかし、今年2月以降は一家が暮らす地区でも住民20人以上が死亡するなど、治安が極度に悪化しています。チェーちゃんは、家の外から銃声や衝突の音が聞こえてくると怯えるようになりました。一家は身の危険を感じて、ヤンゴン西方にある故郷のエヤワディー地域に避難しています。同地域は比較的安全ですが、仕事がないため、わずかな貯蓄を切り崩して生活しています。お母さんは「少しでも生活費を稼ぎ、娘に適切なリハビリを受けさせるためにヤンゴンに戻りたいのですが、見込みが全く立たちません」と肩を落としています。
混乱の長期化に伴い、市民生活がますます苦しくなることが予想されます。AARは治安状況を慎重に見極めながら、現地スタッフが調達した物資を支援対象の世帯に直接届けます。私たちは社会的に弱い立場に置かれている障がい者・障がい児の家庭を引き続きサポートしてまいります。皆さまの温かいご支援をよろしくお願い申し上げます。
クレジットカードで以下のボタンからお手続きください。決済業務は、決済代行会社SMBCファイナンスサービスを通じて行っています。(お申し込み情報は、ベリサイン社の暗号化技術SSLを利用して送信されます。) 銀行振込で以下の口座番号と加入者宛にお振り込みください。
【ご注意】銀行からのお振り込みは、こちらでお振り込み人さまを特定できません。 振込人名の後に「ミャンマー緊急支援」とご記入ください。 ※振込手数料はご本人さまのご負担になります。 コンビニで下記のボタンからお手続きください。払込用紙(ハガキサイズ)をお送りいたしますので、コンビニにお持ちになってお支払いください。 ※株式会社Eストアーのネットショップ「ショップサーブ」を利用しています。 ※手数料330円はご本人さまのご負担になります。 郵便振込で以下の口座番号と加入者宛にお振り込みください。 ※備考欄に「ミャンマー緊急支援」とご記入ください。
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【ご寄付くださる皆さまへ】皆さまのご寄付は、ご指定の活動に活用させていただきますが、状況やニーズの変化などによっては、当初の計画よりも早い段階で活動を終了することもございます。それにより活動に必要な額をご寄付が上回った場合には、次なる緊急支援活動に活用させていただきます。あらかじめご了承ください。
「とらやの羊かん」で知られる株式会社虎屋(本社:東京都港区)は、室町時代後期の創業を誇る超老舗企業である。日本を代表する和菓子屋と人道支援は意外な取り合わせかも知れないが、同社はAAR Japan[難民を助ける会]の前身「インドシナ難民を助ける会」が発足した1970年代から難民問題に関わり、今も国内災害の被災者支援にご協力いただいている。17代の黒川光博会長に虎屋が目指す社会的使命について伺った。
( 聞き手:AAR Japan 中坪央暁/2021年4月7日にインタビュー)
――新型コロナウイルスの感染拡大が収まりませんが、ご商売への影響はいかがですか。
黒川氏 2020年4月の緊急事態宣言に伴って、直営店や百貨店の店舗をいち早く休業し、一時は売上が例年の2割まで下がるなど、私が1991年に社長に就任して以来、最大の落ち込みになりました。今までに経験したことがない事態で、これほど影響が長引くとも思っていませんでした。売上だけを見れば、まさに100年に一度の危機と言えるでしょう。
その一方、コロナ禍で自分の時間が少しだけ増えて、虎屋が何のために商いをしているのか、改めて自問自答する機会にもなっています。私たち和菓子屋は季節感を大切にし、常に季節を先取りして菓子を作っており、お客様にもそのようにご説明しています。けれども、それが当たり前といいますか、いつの間にかルーティンになってしまい、本当に大切なものを見落としていたように思います。木々が芽吹いたり、色彩が微妙に変化したりする様を見て、なるほど先人たちはこの形、この色を描きたかったのか、あの菓銘の由来はこうだったのかなど気付かされたことがたくさんあります。
虎屋の歴代店主たちは、江戸時代に京都で発生した「天明の大火」、明治期の京都からの遷都に伴う東京進出、関東大震災、太平洋戦争など、大きな時代の変化にその時々対応してきたのだと思います。
私も10年前の東日本大震災をきっかけに、私たちの生活や企業活動で大切なことは何なのか、食品ロスの問題やSDGs(持続可能な開発目標)の取り組みなど、それまでのように会社の成長を目指すだけではなく、何か違う価値があるのではないかと考えるようになりました。2015年から建て替え工事を進めた赤坂店は当初、高層の建物にする計画だったのですが、今の時代に求められているのは、心のつながりや温かさ、簡素さや自然体といった本質的な豊かさだと感じ、低層の建物に変更しました。
さらに、お客様の目的に合わせて、例えばご高齢の方や車いすの方にもご利用いただきやすい設えにするなど、さまざまなお客様にとって居心地がよく、ほっとしていただける店舗の設計にしました。長い目で見れば、このコロナ禍も社会が変わるきっかけになるでしょう。今は時代が何を求めているのかを見極め、次なる発展を考える期間なのかも知れません。
――AAR初代会長の故・相馬雪香が1979年に「インドシナ難民を助ける会」を設立した際、発起人メンバーにお名前を連ねていただき、その後も当会の理事や特別顧問を務めてくださっています。きっかけは何だったのでしょうか。
黒川氏 実を言うと、それほど高邁な志を持っていた訳ではないのです。雪香さんの次男、仁胤君とは小学校以来の同級生で、雪香さんのことも子どもの頃から存じ上げていました。ご自分の考えをはっきり主張され、日英同時通訳の草分けとしても大変な能力をお持ちの方でした。
その雪香さんから「黒川さん、ちょっとやって!」と声を掛けられて、お手伝いすることになったというのが本当のところです。私自身、ちょうど東京青年会議所理事長(1980年)、日本青年会議所会頭(1982年)を務めた頃で、若手企業人として政治や社会に視野を広げなければならない時期でもありました。
当時はベトナム戦争終結後のインドシナ難民問題が日本でもクローズアップされ、弊社はAARの仲介で、1984年に来日したカンボジア難民のご夫婦、セン・サムウンさんとユーエン・ワンティーさんを社員として採用しました。ポル・ポト政権下で過酷な経験をした二人はひとり息子を連れて隣国タイに逃れ、来日して3カ月間、神奈川県大和市にあった難民の定住促進センターで日本語研修を終えたところでした。
今から思うと本当に愚問なのですが、初めての面接で「どうして和菓子屋を希望するの?」と尋ねると、「生きるために働かなければならないのです。仕事は選びません」という答えでした。
後に日本国籍を取得した際、仙田佐武朗さん、美保子さんという日本名を付けさせてもらったのは私です。それぞれ和菓子の製造、包装・発送の部署に配属され、慣れない環境で仕事を覚えようと一生懸命に働いてくれました。
佐武朗さんは仕事熱心なうえに、手先が非常に器用で、工場の主任として和菓子作りを担い、技術指導でフランスに派遣されたり、日本の食文化の発展に貢献したとして「食生活文化賞」を受賞したりするまでになりました。定年退職後も嘱託として後進の指導に当たってくれています。
二人の甥であるユ・カンナラ君のことも忘れられません。重度の心臓病を抱えていた幼いカンナラ君は、AARが日本政府に働き掛けて「超法規的措置」で同じく1984年に来日し、全国から寄せられた義援金で初回の手術を受けました。再手術を受けるまでの数年間、部屋を貸してくれるアパートが見付からず、うちの社員寮にしばらく住んでもらったこともあります。
その後2001年に弊社の社員になったのですが、残念ながら2005年に26歳で亡くなりました。私が誇らしく思ったのは、職人たちも事務社員も彼らをカンボジア難民としてではなく、職場の仲間として自然に親しく接してくれたことでした。
――日本国内の台風や地震など災害時の緊急支援では、いつも救援物資として羊かんをご提供いただいています。被災者の方々にお配りすると、「とらやの羊かんだ!」とたいへん喜ばれます。太平洋戦争末期に空襲で赤坂の工場が焼け落ち、半分溶けて出荷できなくなった羊かんを近所で分け合って、泣き笑いしながら食べたという逸話を聞きましたが、御社の羊かんには人々を勇気付ける力があるようです。
黒川氏 いや、それは虎屋というよりも、疲れている時は甘いものを欲するからじゃないでしょうか。どういう状況にせよ、弊社の菓子を召し上がって喜んでいただき、心を和ませてくださっているのであれば、作る側としてこんなに嬉しいことはありません。
私たちは業績を伸ばすために何かするのではなく、本当に喜んでいただける商品を真剣に追求した先に売上があると考えています。例えば、咀嚼する力が弱くなられたご高齢の方から「羊かんが好きなのだけれど、硬くて飲み込みにくい。とはいえ、ペースト状では風情が味わえない」というお声をいただいて、「やわらか羊羹 ゆるるか」を開発しました。
これを店頭でお勧めしたところ、お買い上げいただいたお客様が後日、「何も口にできなくなっていた老親が喜んで食べました」と知らせてくださったことがあり、対応した社員は自分たちの仕事に大きな誇りを持ったようです。私たちの仕事が社会にどう結び付き、どのように役立っているかということが、社員の働く力になるように思います。
――ご高著「虎屋 和菓子と歩んだ五百年」(新潮新書)を拝読し、後陽成天皇以降の皇室や将軍家、政財界の要人など多くの歴史上の人物がお得意様だった事実を知って驚きました。一方で「御用のお客様でも町方のお客様でも(同じように)丁寧に接すること」という「掟書」の教えに、御社のご商売の真髄を感じます。和菓子の老舗として、お客様あるいは社会との関わりの中で大切にしているのはどんなことでしょうか。
黒川氏 あの掟書は江戸時代に奉公人向けに整理されたものですが、原本は室町時代末期に書かれています。これを読むと、商売の仕方や相手との接し方など、ビジネスに必要なことは何百年前の昔も21世紀の今も、いつの時代も変わらないというのがよく分かります。
弊社が大切にしている経営理念は「おいしい和菓子を喜んで召し上がって頂く」こと、和菓子屋として一生懸命、誠実に菓子を作ることに尽きます。私も社長就任以来30年間、そのことをずっと考え続けてきました。コロナ禍の最中の2020年6月、18代の光晴が社長に就きましたが、これからも虎屋の精神は変わりません。
他方、その理念以外に変えてはいけないものなどありません。時代が何を求めているかを常に考え、新しいことにどんどん挑戦していく必要があります。同業者の皆さんと話していると、「和菓子はもう終わりだ」とか「後継者がいない」という話になります。私たちのPR不足もあって、若い世代が昔のように和菓子を好まなくなり、私自身、和菓子は将来どうなるのだろうという不安を抱いた時期もあります。
そこで、若い人たちに和菓子の魅力を知ってもらおうと、2003年に六本木ヒルズに出店したのが新業態の「TORAYA CAFÉ 」(トラヤカフェ)であり、さらに「トラヤカフェ・あんスタンド」を青山や新宿に展開しました(注:2021年3月「トラヤあんスタンド」にブランドリニューアル)。
あんを使ったパフェ、小豆とカカオのケーキなど、和と洋の素材の相性を大切にした新しい菓子を提供し、若いお客様から「あんのおいしさを初めて知った」「もっと和菓子を食べてみたい」という感想が寄せられるなど喜んでいただいています。
また、こしあんをベースに黒砂糖やメープルシロップを加えて、トーストに塗ったりヨーグルトに混ぜたりするタイプの商品「あんペースト」がオンラインショップでも評判になり、「おいしい菓子であれば、これからもお客様に求めていただける。和菓子はまだまだ行けるぞ」と新たな可能性を感じました。
このほか、2007年にオープンした東京ミッドタウン店(虎屋菓寮)にはギャラリーを設けて、和菓子をはじめ和の文化の素晴らしさを伝える企画展などを開催しています。
――和食がユネスコ無形文化遺産に登録されるなど、日本の食文化への関心が高まっています。和菓子を含む日本の食文化を今後どのように発展させ、世界に発信していこうとお考えでしょうか。
黒川氏 弊社は和菓子を通して海外に日本の文化を広めたいという思いで、1980年にパリ店を出店し、おかげ様で昨年40周年を迎えることができました。最初はパリの街の美観を損なうとして暖簾を掲げることが認められなかったり、羊かんを見たフランス人のお客様から「これは食べ物ですか?それとも黒い石けんですか?」と聞かれたりもしましたが、仏語の商品説明を添えるなど地道にPRに取り組みました。
パリの一部の層ではありますが、少しずつ浸透して、ようやく軌道に乗ったのは15年経った頃でしょうか。和菓子は植物性の原材料を使うので、海外でも健康的なイメージがあり、見た目にも美しく、そして何よりおいしい。それは和食全般に通じるイメージでもあります。
フランスの方々にもっと和菓子を知っていただくために、パリ店では和菓子教室を開いたりもしています。例えば小豆を煮る時に、職人が「ご自宅で作る時は炭酸水を使うと早く柔らかく煮えますよ」などと具体的に説明する訳です。そうすると理解がぐっと深まり、親しみも増します。
昨年は40周年を記念して、フランスのパティスリー「ピエール・エルメ・パリ」とコラボレーションしました。ピエール・エルメさんとは20年以上前から交流があり、また、虎屋はフランス、ピエール・エルメさんは日本で、それぞれ自国の菓子文化を伝えようと取り組んでいることが縁で企画が実現し、人気のフレーバー「イスパハン」を表現した小形羊かん、あんを使ったマカロンなど、双方の持ち味を融合した菓子が高い評価を受けました。
また、2019年にはニューヨークで弊社を含む和菓子店20数社によるイベント「YOKAN COLLECTION」を開催し、米国の有名パティシエともコラボレーションしました。
虎屋がパリに出店した頃、ワイン文化のフランスに日本酒を売り込む動きがあって、「なかなか難しいのでは」と見ていたのですが、長年にわたって関係者の方々が地道に取り組まれた結果、今ではパリのレストランのメニューに日本酒が載るほど受け入れられています。和食への関心が高まる中、時間をかけて地道にやっていけば、和菓子にも同じような可能性があるのではないかと思います。
もっとも、海外での和菓子の普及は虎屋が単独でできることではなく、業界全体で盛り上げていく必要があるでしょう。日本や海外のお客様においしい和菓子を召し上がっていただくこと、喜んでいただくこと。それこそが私たちが果たすべき使命だと考えています。
ひとこと 虎屋さんの太文字の暖簾を見る度に、平仮名を覚えたばかりの幼い弟が一文字ずつ指差しながら、「や!ら!と!」と得意気に読み上げた遠い日のことを思い出す。右横書きの暖簾はいつ頃、誰が作ったか不明なのだそうだが、「暖簾=ブランド」という文字通りの意味において、これほど知られた暖簾は他にないだろう。誠に余談ながら、柚餅子のように薄く切った虎屋の栗蒸羊羹は茶碗酒と意外に合います。(N) |