事務局長
堀江 良彰
9.11同時多発テロ事件から10年を振り返って
2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロから約1ヵ月後に、パキスタンでアフガン難民に対する緊急支援に携わった事務局長の堀江良彰。当時を振り返り、現在のアフガニスタン、そしてこれからの支援活動についての思いを語ります。
10年前、アフガニスタン出張から戻った4日後に・・・
10年前の9月11日のことは、未だに昨日のことのようによく覚えています。夜、帰宅してテレビをつけると、ニューヨークの世界貿易センタービルから煙が出ている映像が流れていました。その数分後、2機目の飛行機が南棟に突入し炎上したのを見て、事故ではなく事件だと確信しました。
丁度、9.11の4日前に、私はアフガニスタン出張から戻ったばかりでした。3年におよぶ干ばつで、110万人が国内避難民となっており、その支援の可能性を調査したのです。当時はタリバン政権時代。タリバンが国土の95%を実効支配していると言われ、近く全土を支配する可能性もないとはいえない状況でした。日本は大使館を置いておらず、治安も悪く、すぐに難民を助ける会が支援を開始するには課題も多くありました。一方で目の前の人道的危機に何もできないというのももどかしく、なんらかの手段で支援できないか逡巡しているときに、9.11の事件が発生したのです。
テロを機に、アフガニスタン支援を本格化
事態は一変しました。ほどなく、このテロの首謀者とされたビン・ラディンが居住するアフガニスタンに対する米英の空爆の可能性が示唆されるようになります。同国から大量の難民が隣国のパキスタンなどに押し寄せることが予想されました。そこで、私も理事長の長(当時の事務局長)とともに10月2日にパキスタンに向かい、アフガニスタンから逃れてきた方たちに緊急に食料などを支援しました。
10月7日にアフガニスタン空爆が始まり、翌月にはタリバン政権は崩壊、首都カブールから撤退しました。難民を助ける会はカブール事務所を開いて地雷対策活動を開始。他にも多くのNGOや国際機関が支援を実施し、アフガニスタンは復興に向け歩みを進めました。治安も安定し、インフラ整備も進み、活気を取り戻しつつありました。しかし、2004年頃から再びタリバンや武装勢力が勢力を取り戻し、治安は悪化の一途をたどります。難民を助ける会も2008年からは安全上の理由から日本人を駐在させることができなくなりました。以降、カブール事務所はアフガニスタン人のスタッフのみで活動を継続しています。
関心を持ち続けることが私たちの責務
9.11から10年が経過しましたが、残念ながらアフガニスタンの先行きは依然不透明なまま、混迷を極めています。しかし、国際社会が今ここで関心を失ってしまったら、状況は一層悪化するばかりです。多くの人道上の悲劇は、世界から関心を持たれなくなった国で起きてきました。現在は、日本人が短期間出張するのさえ、様々な安全上の配慮が必要な状況です。しかし、カブール事務所と緊密に連携を取りながら、同国での活動を継続していくことが私たちの責務だと考えています。
2000年1月より難民を助ける会で勤務開始。東京事務局でアフガニスタン、カンボジア、ミャンマーなどの支援事業を担当。2005年4月より常任理事、事務局長。2008年よりNGO外務省連携推進委員。趣味はテニスとドライブ。一児の父(東京都出身)
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