駐在員・事務局員日記

理事長ブログ第4回 「AARの防災会議」

2015年03月20日  日本理事長ブログ
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執筆者

AAR理事長 長 有紀枝(おさ ゆきえ)

2008年7月よりAAR理事長。2009年4月より立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授。2010年4月より立教大学社会学部教授。

記事掲載時のプロフィールです

AAR理事長、長有紀枝のブログです。

仙台で開催されていた、第3回国連防災世界会議(2015年3月14日~18日)が閉幕しました。これに並行してAARが福島県相馬市にて開催した二つの防災イベントも、大盛況のうちに、幕を閉じることができました。お陰様で2日間でのべ1,100人もの方々にご来場いただきました。ご協力いただきました相馬市の皆さま、ご出演いただきました、原田直之さん、江戸家猫八さん、シンポジウムにご登壇いただいた相馬市の立谷秀清市長、カン・キョンファ国連事務次長補、パネリストの皆さま、そしてご後援、ご協力いただいた皆さま、本当にありがとうございます。詳細のご報告はおってホームページに掲載させていただきますが、今日は、少しだけ短い感想を。

猫八さんは仮設住宅などを中心に、岩手、宮城、福島三県で慰問活動、4年間で百回を超えた方です。笑うことの大切さを実践してくださいました。動物の物まねは子ども向け、と思われた方、いえいえ決してそんなことはありません。格調高いウグイスの声には聞き惚れましたが、リアルすぎる、カエルや猫の「求愛」鳴きまねに至っては、客席の大人が腹を抱えて大爆笑、とにかく、皆さん笑って笑っての60分でした。最後に、猫八師匠の「独り言、勝手な愚痴」と断りながら、原発事故で多大な苦難を強いられている避難者の方々の声を代弁するようなご発言に、会場から大きな拍手が起きました。

原田直之さんは浪江町のご出身。北海道のニシン漁をうたったソーラン節や「まつしまぁの」で始まる宮城県の斉太郎節、そして、復興支援ソング「花は咲く」。そしてご当地相馬の美しい民謡「新相馬節」「相馬流れ山」「相馬盆歌」が続きました。お囃子も入り会場が沸きに沸いたことは言うまでもありません。その声の、のびやかな美しさ、各地のお国ことばの美しさに、すっかり魅了され、引き込まれ私も民謡を習いたくなってしまったほどです(音痴の私がこういう図々しい感想を申し上げるのははばかられますが・・・)。

2日目のシンポジウム第1部では、相馬の皆さまにご登壇いただきました。

相馬市の消防団第7分団長の横山和洋さんは奥様が撮影された津波の映像を見せながら、「その時」のお話をしてくださいました。建物に取り残されたおばあさんを間一髪で救うなど最大限の働きをされたと思われるのに「副分団長の立場にありながら目前に迫る大災害の前に地区の一消防団員としての活動しかできなかった」ことを悔やみ、この悔しい思いをこれからの人に伝えないと、と語られたのが印象的でした。

管野正三さんは松川浦観光旅館組合の組合長。「松川浦で海苔の養殖を行っていたが、今後震災前の姿に戻ることはないと思っている」「漁師の多くが自分たちの財産である船を守るために冲に出たが、戻ってきた漁師は、財産を守るより家族と一緒にいたかったと言っている」と浜の方々の声を代弁されました。

相馬市女性団体連絡会会長の新妻はつ子さんも、財産より命を守ること、とにかく逃げることの大切さを強調されました。同時に東京神楽坂の方をはじめ、多くの方に支えられながら「福島は死んでない、福島は元気です、と今日は発信したかった」と話されました。

ご家族お二人を亡くし相馬市の語り部をされている五十嵐ひで子さん。消防団の避難誘導を聞いても体が動かなかったことを絞り出すように伝えておられました。皆さん、声をそろえて、これまで津波といえば、数センチ程度のものしか知らず実感がわかなかったこと、あれほどの津波は想像だにできなかったことを口にされました。そしていざという時に大切なのは、とにかく命を守る行動=逃げることなのだと強調されておられました。

他方で、自力では逃げられない人も多くおられます。赤ちゃんや乳幼児を預かるみなと保育園の和田信寿園長先生は、保護者が園児を迎えに来てその対応に追われる中で海の水が引いていくのを確認。急きょ脚立を梯子にして園舎屋上に、園児40名、職員30名、保護者や近隣住民60名と避難した矢先に、目の前の海が黒く大きく盛り上がる津波を目撃した経験を話されました。震災後は災害対策として、「最良の結果を信じ、最悪に備える」を信念にあらゆる事態を想定し防災対策を講じているお話をされました。

自力で動けないのは、乳幼児やお年寄り、そして障がいのある方々も同じです。南相馬の障がい者団体NPO法人さぽーとセンターぴあの代表理事を務める青田由幸さんは、政府から避難指示が出た30キロ圏内にいながら、避難できない人がいること、南相馬に残った方々、残らざるをえなかった方々の窮状を話されました。震災時に南相馬市の人口は7万人、避難指示後も残った人は1万人。お年寄りや難病者、障がい者とそのご家族や介護者の方々です。これら1万人の内の7割は避難指示後一度は皆避難されたとのこと。しかし、避難所の状況が過酷で、親戚縁者の家に身を寄せても大きな負担をかけるため、結局は行き場がなく、皆さん再び南相馬の自宅に戻ったそうです。「これらの人々が避難できる場所を用意しない限り、次の災害が起きても、全く同じことがおきる」。重いメッセージでした。

第2部「医療現場からの報告」には、南相馬市立総合病院の及川友好副院長、相馬中央病院の越智小枝医師、坪倉正治医師、森田知宏医師の4名の先生方にご登壇いただきました。

原発事故直後、「屋内退避指示区域」に指定された南相馬市立総合病院がどのような状況に陥り、救急車ではなく自衛隊車両での重病者の長距離搬送でどれくらいの負担を患者さんが強いられたのか、をはじめ、相馬地方の被ばくの現状とその対策、放射能による被害だけではなく、放射能被害を避けるためにとる行動様式がどのように周辺の方々の健康に影響を与えているか、といった重層的な視点から、震災と原発事故の経験と教訓を豊富なデータとともにお話いただきました。後半の質疑応答では、放射能に汚染されたがれき処理で出る粉じんの影響、子どもたちの食生活との関係はじめ、放射能対策に関する質問が相次ぎ、登壇された先生方から丁寧にお答えいただきました。

シンポジウムに先立って、来賓として来相された康京和(カン・キョンファ)国連事務次長補の立谷秀清相馬市長への表敬訪問、そして、カン・キョンファさんの仮設住宅や避難所の訪問、被災者の方々との交流などに同席、同行させていただきました。災害時の最前線にいる自治体の組長さんの役割、それが国連の主導する世界の人道支援の現場で、国連機関等を調整しリーダーシップを執る国連人道調整官(HC)の役割に非常に似ていること、プライバシーのない異様な空間であった体育館での3ヵ月の避難生活は、その異常さ故に家族や故郷を失った極限状態を一時的とはいえ麻痺させ忘れさせてくれたこと。仮設住宅で独り暮らしになって初めて、家族も故郷もすべてを失ったことを実感し死を考えたというお年寄りが、ある時から、その家族を弔うために寿命が尽きるまで生きることにした、というお話には同席した全員がもらい泣きしました。

相馬での2日間につづき、3月17日には、仙台で、国連防災会議のサイドイベントの一つにパネリストとして参加させていただきました。国連人間の安全保障ユニットと外務省の共催で行われた「防災と人間の安全保障」というシンポジウムです。ここでは、人間の安全保障の視点から福島の被災者の方々について触れさせていただきましたが、そこに質問が集中しました。

この3日間を通じ、改めて、感じたこと考えたことは山とあります。こちらは、少し咀嚼してから徐々にお話していきたいと思います。

短い感想といいつつ、長くなってしまったのでそろそろ終わらねばなりません。

最後になりましたが、改めまして、ご来場くださった相馬の皆さま、遠方よりツアーで参加くださった皆さま、仙台の防災会議から足を延ばしてくださった皆さま、ありがとうございます。

そして共催、そしてご後援をいただいた、相馬市(とくに企画政策課と秘書課のみなさま)、姉妹団体ではありますが社会福祉法人さぽうと21、国連人道問題調整事務所(OCHA)、外務省、福島民報社、福島民友新聞社、2015防災世界会議日本CSOネットワーク、ご協力いただいたNPO法人相馬はらがま朝市クラブ、公益社団法人そうま広域シルバー人材センター、KPMGあずさ監査法人、ツアーを実現してくださった近畿日本ツーリストの皆さま、南相馬市観光協会ガイド、相馬市観光協会ガイドの皆さん、おいしいお昼を提供くださったたこ八さん、参加者のお声がけでご尽力くださった、相馬市議会の佐藤議長はじめとした議員の皆さまに、今一度心より御礼申し上げます。

そして最後の最後に、内輪のお話は本来書くべきでないことは重々承知しつつも、900人収容という大ホールを会場としてしまったことに驚き、集客をひたすら案じツアーを企画し、みずから参加者ともなった、AARの柳瀬房子会長。共催で資金面で多大なご迷惑をおかけした吹浦忠正さぽうと21理事長。お忙しい中参加くださった加藤タキAAR副理事長。高橋敬子さぽうと21事務局長、樋口静子同評議員。そしてこのイベントのために、文字通り粉骨砕身、残業に残業を重ねてがんばってきた、AARの福島チームの宮崎さん、浅野さん、直江さん、大室さん、高木さんにお疲れ様とありがとうを伝えたいです。また、当日応援にかけつけ、会場に入ることもできないまま、ツアーの皆さまのための、非常食バイキングの調理をはじめ、ひたすら裏で走り回った、AAR東北事務所の加藤所長、大原さん、有働さん、岸田さん。東京事務所の東北チームの藤本さん、岡田さん、伊藤さん、広報チーム松本さん、そして堀江事務局長や名取海外事業部長にも心からお礼を言いたいと思います。福島チーム、東北チームといっても、それは小さなNGOのこと。多くは、海外事業部の仕事と掛け持ちです。小さな事務所でこれだけ大きなイベントを、日常業務と並行して行うには、直接担当していない人のところへの有形無形の大きなしわ寄せがいっています。直接間接有形無形の全員のサポートに感謝します。ツアー客のお一人が、「AARの皆さんのきびきびした行動と、おもてなしに感動」とおっしゃってくださったことが、私たちへのご褒美です。ありがとうございます。

余談になりますが、相馬から仙台に向かうバスの中、サイクロンで被災したバヌアツへの出動を、堀江事務局長、名取部長らと決めさせていただきました。(2015年3月20日)

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