駐在員・事務局員日記

「私がAARを選んだ理由」景平義文-これから国際協力の分野を目指す人たちへ(9)

2015年06月12日  職員紹介
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執筆者

東京事務局シリア難民支援担当
景平 義文

2012年11月より東京事務局でシリア、南スーダン事業を担当。大学院卒業後、ケニアでのNGO勤務を経てAARへ。趣味は料理、競馬、絵画、映画、ミュージカル鑑賞(大阪府出身)

記事掲載時のプロフィールです

AARのスタッフがどんな想いで国際協力の世界に飛び込んだのかを紹介するこのコーナー。第9回は、AARシリア難民支援担当の景平義文です。シリア情勢についてアカデミックな解説を行う一方で、得意の手料理をスタッフにふるまう一面も。そんな彼がAARに入ったきっかけは?(聞き手:広報担当 伊藤)

「大学のサークルがきっかけ」

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「大学に入るまで、日本から一歩も出たことがありませんでした」(2015年4月)

Q.いつから国際協力に関心を持つようになったのですか?

小学校から大学まで大阪で過ごし、日本から一歩も出たことがありませんでした。けれど大学に入学後、友達に誘われAIESEC(アイセック)というサークルに入ったのがきっかけで、世界に目が向きました。このサークルで私は海外からの研修生を受け入れてくれるよう企業へ営業に行ったり、簿記や会計を学ぶなど、社会人のような日々を送っていました。この活動を通じて海外に関心を持ち、大学4年のときに休学し半年間アルバイトをしてお金を貯め、ヨーロッパや中東など20ヵ国を数ヵ月かけて周りました。

「就職しなくても、なんとか生きていける」

Q.卒業後は海外で活躍できる企業へ就職を?

いいえ、就職活動は一旦始めたのですが、途中でやめました。企業を回るうちに、授業を休んででも面接に来るのが当たり前と思っている企業が多いことに嫌気がさしたからです。就職活動直前の旅行でさまざまな人々と出会っていたので、自分も、就職しなくてもなんとか生きていけると思いました。旅行を通じて、世界の貧困問題に関心を持つようになったので、開発の勉強をするために大学院に行こうと決めました。しかし、まだまだ色々なところを旅行したかったので、卒業後はフリーターをしながら東南アジアや中国を旅しました。貧困問題の解決には教育が重要だと考えるようになり、2年間のフリーター生活の後、教育開発を学べる大学院に入りました。

大学院に入った2002年はちょうどタリバン政権が崩壊した直後で、アフガニスタンの復興支援が始まった時期でした。現地に専門家として派遣された指導教官についていき、教育について研究を始めました。学校教育に対して制限を加えたタリバン政権崩壊後、就学者数が急激に増加していましたが、地方での就学の実態については分からないことが多かったので、2006年まで定期的に地方の村で世帯訪問を行い実態を調査しました。その結果、統計で現れてくる就学者数と、世帯訪問から得られる就学実態はかなりかけ離れていることがわかりました。登録だけはしているけれども、実際にはほとんど学校に通っていない子どもたちが多かったのです。

このような地方の現状を変えていくには、地域に根差したNGOの支援活動が必要だと感じ、大学院卒業後はNGOで働きたいと強く思うようになりました。

ケニアで活動する開発NGOで「社会は変えられる」と実感

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地域の保護者が協力し、砂と水を混ぜて学校建設のためのコンクリートを作ります(2014年8月)

Q,そしてアフリカを支援するNGOへ就職を?

2009年に博士号を取得した後、まずは開発に携わりたいと思い、ケニアで活動しているNGOに入りました。現地にいる日本人スタッフは2人ぐらいですが、ほかにインターンが多いときでは8名くらい、少ないときでも4名くらいいて、地域住民とともに学校施設の拡充、環境活動、地域保健の研修などに取り組んでいました。

私は主に学校建設事業を担当しました。教室が足りない小学校の教室の増築や校舎の補修などを行うのですが、実際に学校を建設するのは生徒の保護者です。私たちは資材や道具を提供し、技術指導をするだけ。保護者を集めるためにお金を支払ったり物を与えることは一切しません。代わりに学校の運営と建設技術に関する学習会を開きます。保護者同士の協力がうまく進めば校舎は半年くらいで建ちますが、協力がうまく進まないといつまでたっても建ちません。

保護者がやる気にならず、なかなか前に進まなかった学校建設が、手を変え品を変え保護者を説得し、1年くらい辛抱強く待ち続けているうちに、突然保護者たちがやる気に燃え、建設にこぎ着けるような事例を、約3年の滞在中に何度も経験しました。地域住民をお金や物で動かそうとするのではなく、そうしなくても来てくれる人を見つけ、本気の人間関係を作る大切さもここで学びました。「社会は変えられる」という実感を持ったのはこのころです。日本から来るインターンたち一人ひとりと向き合い、共同生活をする中で得たこともたくさんあります。

難民支援を通じて日本社会の在り方を問いたい

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支援物資を配付したシリア難民の子どもたちと(2012年11月)

Q.そして、その後AARへ?

ケニアでは開発に関わったので、次は緊急・復興支援に携わろうと決めていました。開発も緊急も、事業の期間が違うだけで目指すゴールは同じ。それは地域住民の「自立」です。私がAARに入職した2012年当時はシリア難民が大量に発生していたので、シリア難民支援に関わりたいと自ら希望し採用してもらいました。現在は、シリアからトルコに逃れた人々への支援物資配付に加え、トルコでの定住支援なども担当しています。

難民が自国以外の社会に適応し、自立することはとても難しいことです。それは受け入れ国の政策などによってのみ達成されるものではなく、我々のようなNGOや地域社会が、ともに取り組むべき課題です。シリア難民に限らず、異なる背景を持つ人たちに開かれた社会を作ることは日本の課題でもあるので、シリア難民支援を通じて、日本の社会の在り方についても問いかけを行っていきたいと思っています。

「失敗することで、自分に必要なものが見えてくる」

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「若い人たちには、失敗を恐れるなと言いたいですね」(2015年4月)

Q.これから国際協力の仕事を目指す学生へのアドバイスを。

「失敗を恐れるな」と言いたいです。人の顔色を伺って何もしないよりは、失敗してもよいから行動してほしい。何かに挑戦して失敗してこそ、自分に足りないもの、そして必要なものがわかります。例えば自分は日本ではコミュニケーション能力が高いと思っていたけれど、世界に出ると実は大して高くなかったことにきづくとか。

私がケニアで出会ったインターンたちの中にも、何度も失敗を重ねる中で、6ヵ月という短い期間に見違えるほど大きく成長したインターンがいました。厳しい状況に自分を置いてこそ、多くを得ることができます。これから若い人たちがどんどん世界に出て色々なことにチャレンジし、世界をよい方向へ変えていくことを願っています。

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