駐在員・事務局員日記

「ぼくがNGOを選んだ理由」穂積武寛-これから国際協力の分野を目指す人たちへ(2)

2014年01月21日  職員紹介
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執筆者

東京事務局プログラム・マネージャー
穂積 武寛

大学卒業後、政府系国際協力団体に10年間勤務。大学院を経て2009年1月にAARへ。東京事務局で海外事業をはじめ、総務、人事、国際理解教育などを担当。趣味は笙演奏、落語。愛猫家。東京都出身

記事掲載時のプロフィールです

AARのスタッフが、どんな想いで国際協力の世界に飛び込んだのかを紹介するこのコーナー。第2回は、英語をはじめ数ヵ国語を操り、「文学倶楽部」や「たほいや(辞書を使って行う言葉遊び)」などのサークルを職場内で立ち上げ、同僚からは「ほずぺディア」と呼ばれるほど博学なプログラム・マネージャーの穂積武寛。彼が国際協力、そしてNGOを目指したきっかけは?(聞き手:広報担当 伊藤)

学童クラブにあった英会話の本がきっかけ

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インドネシアから来日し、1年間穂積家にホームステイしたイタさん(右から2人目)の結婚式に呼ばれ、家族でインドネシアへ。(1991年8月 左端が本人)

Q.まずはその語学力はどうやって培ったのですか?

小さいころから英語には興味がありました。両親が共働きだったので、幼少時は保育園、小学校では放課後学童クラブで過ごすことが多かったのですが、そこにあった簡単な英会話の本を小4のときに読んだのが、最初の英語との関わりでした。

英語の勉強を始めたのは、中学校からです。最初の2年間はNHKのラジオ番組の英語講座をがんばって聴きました。外国語を勉強する楽しみは、それを実際に使って外国の人と話をすることですから、自分もいつか留学をしてもっとうまく話せるようになりたいと強く思うようになりました。

高校2年で念願の留学

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カリフォルニア州の高校への留学当時、友達との楽しい思い出がたくさんできました(1985年10月 前列左から2人目が穂積)

Q.そして高校生のとき、ついに留学を実現させたのですか?

はい。高校2年生のときに1年間休学し、アメリカ合衆国カリフォルニア州の高校に留学しました。留学先の学校で印象的だったのは、いろいろな場面で生徒を表彰する機会が多く、どんな生徒も努力すれば報われる仕組みができていること。たった1年留学しただけの私も、一定の成績を修めた生徒に贈られる賞と、美術分野での賞と、2つもいただくことができました。

帰国後、同級生より1年遅れて大学に入り、在学中に今度はオーストリアのザルツブルグに1年間留学する機会を得ました。高校時代から勉強していたドイツ語をさらに磨きつつ、歴史や文化も知ることができました。日本からヨーロッパまで、シベリア鉄道経由で行ったのも、楽しい思い出です。

JICAで10年間勤務

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JICAで電気通信と障がい者福祉分野の研修事業を担当。出張先で訪れたケニアのナクル湖で無数のフラミンゴに感激(1993年7月)

Q.さまざまな海外経験を経て、どんな就職先を考えましたか?

とにかく英語が生かせる仕事がしたい、また、営利が目的でない仕事につきたいと思いました。就職活動でも民間企業は1社も訪問しなかったので、周囲から「大丈夫か?」と心配されました。採用試験を受けたのはJICA(国際協力機構)と国際交流基金の2か所のみで、最終的に、JICAに決め、10年勤めました。
その間、業務でフランスに約2年滞在し、フランス語を学ぶ機会に恵まれたほか、インドネシア、エジプト、スリランカ、サウジアラビアなどで多種多様な事業に携わり、それぞれにやりがいを感じました。

NGOは発展途上、だからこそやりがいがある

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2009年に起きたスマトラ沖大地震の緊急支援に現地入りした穂積(左端)。支援物資を配付したインドネシア・パダン市内の人々と(2009年10月)

Q.なぜ順風満帆だった前職を辞めて、AARに入ったのですか?

JICAに就職した時点で、10年をひとつの節目にしようとは考えていました。実際に10年経ったとき、仕事に一区切りつけて、それまで考えてきたことをまとめようと、大学院に入り比較文化に関する修士論文を書きました。そして、今度は、官ではなく民の立場で国際協力の仕事がしたいと思い、AARで働くことにしました。

2009年にAARに入ってすぐ、緊急支援でスマトラ沖大地震の被災者支援に赴き、現在は、アフガニスタン、パキスタン、タジキスタン事業に携わりながら、総務、人事、国際理解教育も担当しています。
JICAとの一番の違いは、国に対する意識です。JICA時代は常に、「この事業は日本のメリットになるのか」を考えることが求められました。でも、AARではそのようなことはあまりありません。その代わり、JICAのときよりも、地震の被災者など困っている人々にじかに接する事業が多いため、自分たちのやっていることが、本当にいま目の前にいる彼らの役に立っているかどうかを、より深く考えるようになったと思います。

もうひとつ、NGOは身軽な組織なので、変わろうと思えばすぐに変われます。そこも魅力です。以前私がいたJICAは、いまや世界でも最大規模の援助機関ですが、そうした大きな組織を変えようとするのはとても難しい。でも、NGOは小さい分フットワークが軽く、柔軟性があります。自分が組織を変えたいと真剣に思えば、どんどん変えられるのです。

学生が就職先のひとつとして選ぶような団体に

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子どもが大好きな穂積(写真左)は国際理解教育にも積極的に関わる。各学校に講演に行くほか、夏休みには子ども向けイベントを企画。子どもたちに世界に関心を持ってもらうきっかけ作りに努めている(2013年8月)

Q.AARをどう変えていきたいですか?

私が「NGOで働いている」と知人に話すと、「NGOって本当に給料をもらえるの?」とか「余裕のある人が善意で集まってる団体だよね?」とか「偉いね」などと言われることがあります。そうした言葉に私はとても違和感を覚えます。

欧米ではNGOのステータスはとても高く、社会の中で認められた存在です。日本のNGOも、世間でもっとそう認められるように社会的地位を向上させていかなければならないと思っています。

AARを含めて、日本のNGOは確かにまだまだ発展途上の組織です。改善すべき点はたくさんあります。けれどもそれは逆にいえば、伸びしろが多く、可能性がたくさんあるということです。AARを、援助のプロ集団として認められる団体に変えていくことが私の夢です。

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「プロの集団として社会から認められるようになりたい」と話す穂積(2013年12月)

Q.具体的にはどんな部分を改善していきたいですか?

総務として、働きがいと働きやすさの両方をもっと感じてもらえるような職場にしていきたいです。NGOの仕事は多岐にわたっていて、AARでもスタッフが連日夜遅くまで仕事をしていることも少なくありません。そうした一人ひとりの熱意に応えるために、待遇改善やいろいろな制度作りを着実に進めて、「いつまでもAARでがんばろう!」と思ってもらえるようにしたいですね。

一方で、スタッフに自分の仕事に対するプロとしての、より強い自覚をどう持ってもらうかも課題です。社会を変えるには、まず自分たちが変わらなければならない。AARという仕事は、多くの方々からお預かりしている貴重なご寄付で成り立っているのだ、努力だけでなく成果も求められているのだということを、いまいちど肝に強く銘じる必要があると思っています。

こうした努力を続けることでAARがさらにレベルアップし、国際協力の世界を志す人が就職先を選ぶとき、「NGOで働くならAARへ」と迷わず決めてくれるような組織になれるよう、これからもがんばります。

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