東京事務局経理担当(理事)
杉田 洋一
「私がAARを選んだ理由」杉田洋一-これから国際協力の分野を目指す人たちへ(7)
電気機器メーカーに約30年勤続後、同業の会社に2年勤めてから2002年4月よりAARで経理業務を担当。2女の父。趣味はテニス(東京都出身)
記事掲載時のプロフィールです
AARのスタッフがどんな想いで国際協力の世界に飛び込んだのかを紹介するこのコーナー。第7回は、経理担当として長年AARを支えてきた杉田洋一です。AARが認定NPO法人の認定を受けることができた陰には、会計報告を充実させた彼の存在がありました。そんな彼がAARに入ったきっかけは?(聞き手:広報担当 伊藤)
勤めていた会社が整理され・・・
Q.AARに来る前は、どんな会社で働いていたのですか?
大学卒業後、電機メーカーに就職し、約30年勤めました。主な仕事は経理業務でしたが、残念ながらその会社が整理されてしまったので転職したところ、その会社もまた整理されてしまった(笑)。その企業で顧問をしていた公認会計士の方の紹介で、55歳でAARへ転職しました。
企業とNPOの会計方法の違いに戸惑いも
Q.入職した2002年当時のAARはどんな団体でしたか?
AARは1979年に設立後、ずっと民間の任意団体として活動してきました。しかし1995年に、AARも支援活動を行った阪神・淡路大震災が起きてから、ボランティア団体も「NPO」として法人格を与えようという動きが日本国内で高まりました。1998年に特定非営利活動促進法(NPO法)」ができ、AARも2000年にNPO法人格を取得しました。私が入職したころは、会計面でもより透明性を高めていこうというタイミングでした。
とはいえ、当時は経理の専従スタッフは私のほかにいませんでした。2010年にNPO法人向けの会計基準が確立されましたが、それ以前には基準が何もなかったので、各団体がそれぞれのやり方で行っていたようです。また、いざ着手しても、企業とNPOの会計方法は異なるので、最初はかなり戸惑いました。
大規模災害にもすぐ出動できる規模に
Q.AARは、入職後の約12年でどう変わりましたか。
私が入った当時は、有給職員が10名以下でしたし、海外駐在員は一年目は全員無給でした。人が足りなかったので、私も経理だけでなく総務もやったし、事務所のパソコン整備やネットワーク構築なども担当しました。
その後、大規模災害などを通じて多くの方々から広くご寄付をいただけるようになり、また国連や日本政府などから助成金を得て実施する事業も増えていきました。助成金で給与の一部を払えるようになり、スタッフの人数も増えました。また、東日本大震災の際には海外の個人や団体からも多くのご寄付や助成金をいただきました。災害が起きたらすぐに現場へ行く、という迅速な支援を可能にする人員と資金を確保できるようになったことは、大きな変化だと思います。
現在は、東京事務局だけで約40名、東北や海外事務所をあわせると約100名の日本人スタッフが働いています。現地スタッフやボランティアの皆さんをあわせると、総勢約400名にのぼります。
数字からは見えない現実を海外で実感
Q,海外へも何度か出張されましたね。
はい。カンボジアへは総務関係の業務のほか、現地の活動を視察しに行きました。ほかに、ミャンマーとラオスへも、現地スタッフへの会計指導のために訪問しました。いずれの国でも障がいのある方々への支援を行っていますが、現地の人々と直接会って話すことで、会計上の数字だけではわからない、彼らの困難な状況や活動の成果を実感することができました。
カンボジアでAARが車いすを提供したキム・エットさん(47歳・当時)を訪問した際は、AARの職業訓練校で縫製技術を身につけ、洋服の仕立てをしながら女手ひとりで3人の子どもを育てる彼女の姿に、AARの支援活動の意義をあらためて感じました。
シニア世代も、企業での経験をNGOに活かして欲しい
Q.NGOを目指す方へのアドバイスを。
NGO は、利潤を追求しないところが民間の企業と大きく違います。ただ、予算の管理や事業の運営、活動のPRやイベントの開催など、一つひとつの業務は企業と通じるものが多いので、若い方には就職先のひとつとして考えてほしいですね。また、特に国際協力の分野で勉強をしていない人でも、私のように企業での経理の経験を活かして転職できます。シニア世代も、ぜひこれまで企業で培った営業や企画などのさまざまな経験を活かし、NGOで働いていただきたいですね。
NGOの良いところは、民主的な人たちの集まりなので、1人ひとりの意見が通りやすい点です。企業ではそれができないことが多いですから。私は、AARが支援活動を通して社会に良い影響を与えられるよう、これからも経理面で支え続けていきます。