東京事務局
木下 聡
「私がAARを選んだ理由」木下聡ーこれから国際協力の分野を目指す人たちへ(18)
2014年1月からAARに所属。相馬事務所での福島支援事業担当、東京事務局でのミャンマー事業を担当を経て、2017年2月より渉外担当。宮城県出身
記事掲載時のプロフィールです
AAR Japan[難民を助ける会]のスタッフがどんな想いで国際協力の世界に飛び込んだのかを紹介するこのコーナー。第18回は渉外担当として活躍する木下聡。男性職員では、AARで初めて育児休暇を取得したイクメン。さまざまな経験を経て、渉外という道を選んだ思いや、これからの国際協力を担う若者へのメッセージを聞きました。(聞き手:広報担当 長井)
「世界を股にかけた仕事をしたい」
-国際協力の世界に関心を持ったきっかけは?
中学3年になる春休みに、日本PTA全国協議会が主催した中国の中学生との交流事業に参加しました。1週間ほど北京に滞在する間、同年代の中国の中学生が流ちょうに英語を話す姿に刺激を受け、また、万里の長城、紫禁城などといった雄大な建築物を目の当たりにし、中国のスケールの大きさに圧倒されました。
「こんな世界があるのか。日本だけで生きていくのはもったいない」と感じ、帰国後の報告文には、はっきりと「世界を舞台に活躍したい」と書いていました。
大学は教育学部英語英文科に入学しましたが、2年生に進級する際に、学部を跨って単位が取れるコースに移り、他学部の授業で国際機構論や国際政治を学びました。そのころに、国際協力やNGOの仕事に関心を持つようになりました。
社会人経験を積もうと就職
-卒業後は、海外で活躍できる仕事を?
NPOやNGOへの就職も考えましたが、新卒の採用はほとんど行っていませんでした。まずは社会人経験を積もうと、就職活動をしました。興味の赴くままにさまざまな業種にエントリーし、最終的には、幼いころから本が好きだったということもあり、全国に店舗を持つ書店に就職しました。
茨城県水戸市に赴任し、大学や企業、研究機関などへの営業や大学内のブックセンターの店長なども経験しました。仕事も楽しく、人間関係も良好でとても充実していたのですが、5年が経過したとき、そろそろ国際協力の世界に行きたいと思い、転職を考えました。偶然にも青年海外協力隊に参加し帰国したばかりの大学時代のスキーサークルの先輩と話す機会があり、「国際協力の仕事をするなら、まずは協力隊という道もあるぞ」と勧められ受験することにしました。
「きみが行くべきだ」。背中を押され、モンゴルへ。
応募に際しては特別なスキルがなくても社会人経験を活かして活動ができる環境教育という職種を選びました。結果、2011年2月にモンゴルへの派遣が決まり、即日退職願を出し、4月末で退職、7月から派遣前訓練を開始する予定でした。
退職を目前に控えた2011年3月11日、東日本大震災が起きました。ちょうど営業先の大学におり、その日はそこから街灯の消えた暗闇の国道を5時間かけて会社に戻りました。報道で被害の状況が少しずつ明るみになってくるに従い、地元仙台の家族や友人のことが心配で胸が張り裂けそうになったのを覚えています。
震災の影響で、担当していた大学の入学式が1ヵ月延期になり、合わせて退職およびモンゴルへの派遣も延期を申し出ました。日本、そして故郷がこんな状況にあるなか、自分はモンゴルに行くべきなのか、モンゴル派遣を辞退ようかと悩んでいました。そんな私に入社当時から指導してくれ、まさに社会人のイロハを教えてくれた先輩が声をかけてくれました。
「確かに今、日本は大変なときだけど、モンゴルできみを必要としている仕事がなくなったわけではない。必要とされているなら、その仕事に選ばれたきみが行くべきだよ」。その言葉でモンゴル行きを決心しました。
結局5月末に退職してから仙台の実家に戻り、協力隊の派遣前訓練が始まるまでの4ヵ月、瓦礫の撤去や田畑のゴミ拾いなど、毎日のように沿岸部でボランティアをしました。そのとき、世界中から人や支援物資、募金が届いているのを肌で感じ、心からありがたいと感じました。震災から10ヵ月で、東北はまだ震災の爪痕も大きく残る状況でしたが、世界から届いた支援への恩返しのつもりで、モンゴルに赴任しました。
子どもたちの行動の変化にやりがい
-モンゴルではどのような活動を?
首都ウランバートルの市役所の廃棄物管理部に配属され、ゴミ問題に関する啓発活動を行いました。モンゴルではまだ、リサイクルという考え方は一般的ではなく、不要になったものはすべてゴミとして町のあちこちに捨てられていました。私は、同じボランティアの仲間の協力を得ながら、小学校や高校、大学で、資源のリサイクルに関する授業を行いました。
座学中心のモンゴルにおいてワークショップや体験型の授業はとても好評で、ウランバートル市内だけでなく、地方の大学に呼ばれて出張に行くこともありました。
また、生活の中での意識も変えてもらおうと、小学生を対象にした資源ゴミ集めのイベントを企画。各家庭で出たビン、缶などの資源ゴミを持ってきてもらい、業者に買い取ってもらって、その売却額をクラス毎に競うものです。優勝したグループには商品も用意しました。中には登下校の道中に拾い集めた子どももいて、道端のゴミに何の関心もなかった子たちが、それが資源であることを理解し、懸命に集めてくれる姿が本当に嬉しかったですね。
"現場"と"東京"は、国際協力の両輪
-帰国後AARへ入職した理由は?
帰国後は東日本大震災の復興支援に携わりたいと考え、東北3県でさまざまな支援活動を行っているAARのことをインターネットで知りました。モンゴルからエアメールで応募用紙を送り、帰国したその足で面接を受けました。
主に福島県内の仮設住宅での交流イベントを担当しました。仙台市の市街地では、震災などなかったような賑わいを見せている一方で、沿岸部では、故郷に帰れる目処も立たず、希望を持てずにいる方もたくさんおられました。モンゴルでの経験も伝えながら、日常の避難生活では実感しづらい世界中の人たちが、東北の人たちを心配し応援してくれていることを伝えたいという気持ちで日々活動しました。
その後、東京事務局に移り、ミャンマー事業を担当しました。東京で現地の活動をサポートするのが主な業務で、半年に1回程度の頻度で現地出張に行き、東京では活動を支えてくださる支援者や助成団体への報告なども行いました。また、活動への理解を深めてももらい、協力してくださる方を増やしていく活動にも力を入れました。どんなに素晴らしい活動であっても、それを支援くださる方がいなければ、活動はできませんし、どれだけ資金があったとしても、しっかりと現場でプロジェクトを動かす人材がいなければ、何もできません。 協力隊時代は現場でがむしゃらに活動していましたが、東京での勤務を通じて、国際協力の全体像を見ることができるようになりました。現場の業務と事務局の業務は、国際協力の両輪であると痛感しました。
AAR初の男性育児休暇取得。そして渉外担当へ
はい。2016年8月に長女が生まれ、10月から4ヵ月間、翌年1月いっぱいまで育児休暇を取得しました。取得については悪阻で苦しむ妻をサポートしているときに、産後の育児についても任せっきりにしてはいけないと思って決断しました。会内で相談したところ、ありがたいことに快く受け入れてくれ、むしろ応援してくれました。
取得中の4ヵ月間は主に家事全般を担当しながら毎日を家族と過ごし、自分が父親になったことを自覚するための期間になりました。そして、職場復帰後も朝晩、あるいは週末の限られた時間でも最大限に育児のサポートができる体制と意識づくりができたことが、自分にとってもっとも大きな収穫でした。育児はまだまだ始まったばかりです。育児休暇の経験を土台として、復帰後も仕事と育児を両立させていくことが大切だと思いますので、その成果は今後も試されていくと思います。今は、家族との時間を確保するため業務の効率を非常に意識するようになりました。
-復帰後に渉外担当になられた理由は?
ちょうど、東京事務局で企業や団体との連携を担う渉外の担当者が異動になり、後任を募集していました。ミャンマー事業の担当を通じて、日本社会への働きかけをもっと強くしたいという思いが芽生えており、また5年間営業をやってきた経験も活かしたいと手を挙げました。 渉外担当として、毎日のように企業を訪問し、AARの活動を紹介したり、先方の社会貢献の方針などを伺ったりしながら支援のお願いや協力、連携の提案などを行っています。例えば、社会貢献の部署が新設されたばかりで何をして良いのかわからないというお話でしたら、社員の方が気軽に国際協力に触れられるような、社内でのチャリティ商品の販売会や古本を活用したBOOK募金、AARスタッフによる活動報告会などを提案します。また、たとえば社内に非営利団体向けの助成金制度を設けているような企業でしたら、応募要件に合致すれば、申請させていただき、助成金をいただくこともあります。100社あれば100通りの企業理念や社会貢献の考え方があり、ほんとうに気づきや学びの多い毎日を送っています。 単に、AARが企業から支援していただくだけでなく、AARと協働することによって、企業の社会貢献活動がより強いインパクトを世の中に与えられるようなWIN-WIN(ウィンウィン)の関係を築いていきたいと思っています。
興味や関心にしたがって、さまざまな挑戦をしてください
-これから国際協力の仕事を目指す学生へのアドバイスを。
まずは自分の興味、関心に従っていろんなことに挑戦してみると良いと思います。大学・大学院で開発や国際協力を学び、その専門性を活かして支援現場の第一線で活躍するスタッフはもちろん不可欠ですが、そうした人材だけでは組織やプロジェクトは回りません。まったく異なる分野で培った経験や知見も国際協力の現場や組織では活かすことができますし、むしろ重宝されるかもしれません。私も協力隊の経験だけでなく、企業で営業をしていた頃に築いた社会人としての土台が、今の業務に非常に役立っていると実感しています。自分の好きなことや、やってみたいことに自由に挑戦し、できることの幅を広げてから、国際協力の世界に飛び込むことで、仕事の広がりも大きくなります。AARとしても、いろいろな経験のある人材に来てほしいと思っています。