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宮崎淳さんへの弔辞

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日本時間2011年11月10日、トルコ東部でマグニチュード5.7の地震が発生し、難民を助ける会のスタッフが滞在していたホテルが倒壊。宮崎淳(みやざき あつし)さんが、がれきの下敷きとなって亡くなりました。
宮崎さんのご遺体は、11月13日午後1時過ぎに成田空港に到着し、14日未明、大分市のご実家に帰宅いたしました。11月15日にお通夜、16日に告別式が、ご実家のある大分市内で執り行われました。
以下は、難民を助ける会会長の柳瀬房子による告別式での弔辞です。会長以下メンバー一同、宮崎淳さんのご冥福を、心よりお祈りいたします。

- 弔辞 -

宮崎 淳さん、お帰りなさい。

10月も半ばでしたが、東京でランチをご一緒しましたね。暑さの残る昼下がりでした。

「明日からトルコに行きます」とあなたはほおを紅潮させて、私に挨拶してくださいました。難民を助ける会のスタッフとなってまだ2~3ヵ月目なのに、本部の中であなたは十分存在感を示し、連日楽しそうに仕事をしていました。「助ける会に入って、外国で仕事をするのが夢でした」と本当にうれしそうに語っていらっしゃいましたね。32年間、難民を助ける会の運営に携わってきた私には、その「夢」という言葉が新鮮で、心温まる不思議な感覚を覚え、これなら大丈夫と、期待感を抱いたものでした。

淳さん、
難民を助ける会の仲間たちは、いま、あなたのことを真面目で、かつムードメーカーだったと言って思い出しています。温かい人柄、いつもニコニコと素敵な笑顔でした。あなたに接した誰もが、思わず胸襟を開いてしまう、それがトルコの方たちに接するときも同じで、早々に皆さんが心を解き、あなたをあたたかく迎えられたと聞いております。このたびお母さまや、ご家族の皆さまとお目にかかって、そのような魅力がどこから来るものであったか、納得できました。本当に温かい、良いご家族の中で育てられたのでしたね。

志を抱いてのイギリス留学から帰国されてからは、脳梗塞で倒れられたお父さまへの介護を、数年にわたりお手伝いされ、3回忌の法要を営み、そして東京に出、難民を助ける会のスタッフとして、働き始められたのでしたね。

難民を助ける会の仕事の中で、3月11日に起こった東日本大震災の被災地、岩手県陸前高田市での支援活動にも参加されましたね。市街地の80%以上が津波に襲われ、多くの方々が犠牲になりました。その陸前高田市の小高い丘に老人ホーム高寿園があります。あの日は施設の建物が大きく壊れ、高齢者の方々が固まって立ち尽くし、または大声をあげて走り回り、泣き叫んだそうです。壊れたままの老人ホームで、ガスも電気も水もなく、寒さと飢えに耐える日々が続きました。その高寿園で難民を助ける会はきめ細かい支援活動を実施しておりました。淳さん、あなたはそのチームに加わり、お年寄りの手を握り、話に耳を傾け、お父さまの介護での経験を生かしたのでしょうか、みんなの心と命を支えるという大切な役割を果たしました。

ところが、11月10日、トルコ東部の主要都市であるワン市内随一のホテルであなたは地震に襲われました。

夜、パソコンに向かって東京への報告書を作成中だったようですね。そのとき、同僚の近内みゆきさんともども生き埋めという一報が入りました。次いで、地元の人たちによってあなたも救出されたという知らせに、一時はホッとしましたが、やがて、悲しい知らせが後に続きました。あなたを含め36人もの尊い命が奪われてしまいました。知らせてくださったのは、短期間のうちにあなたと意気投合したトルコ人の友人でした。あなたの生還を祈り、待ち望んでいた東京・目黒の本部では遅くまでほとんどのスタッフが居残っていましたので、全員で黙祷を捧げるほかありませんでした。

全国の皆さまからのお見舞いや激励の言葉は枚挙にいとまがありません。

他方、トルコではアブドゥッラー・ギュル大統領閣下が天皇陛下に哀悼の書簡を寄せられ、エルドアン首相閣下をはじめ、トルコの政府や国民の多くの方々があなたの死を悼み、ともに悲しみ、ご冥福を祈ってくださっておられます。被災地である日本から、はるばるトルコに緊急支援に駆けつけながら、このたびの事故に遭遇されたことに敬意と謝意を示し、哀悼の念を禁じえないとおっしゃるのです。

あなたの帰国に際しても、トルコ政府は飛行機を用意され、空港にて儀仗兵による心のこもった厳粛な送別の式典を執り行い、大勢の要人が、日本大使ともどもお見送りくださいました。日本に到着時にはトルコ航空の機長さんをはじめ乗務員一同が再敬礼で、あなたを祖国日本にお届けするという任務を終えました。

トルコでは、あなたへの感謝と追悼の思いを込めて、記念病院やメモリアル・パークの計画が進められているという報道があります。

今日は、この場に日本の外務省から玄葉光一郎外務大臣のメッセージを携えて山口又宏民間援助連携室長が、また、トルコ政府を代表してトゥンチュ・アングル臨時代理大使がご列席くださっております。12月6日には、東京で「お別れの会」をしますが、そこには日本政府の代表とともに、トルコ側からはアリ・ババジャン副首相閣下がご列席くださる予定と伺っております。あなたの功績がいかに大きかったか、あなたのご逝去をどんなに悲しんでいるか、両国政府に深甚の謝意を表したいと思います。

淳さん、
あなたが文字通り命をかけて取り組んだトルコでの活動が、日本とトルコの相互理解と協力推進の大きな礎となり、私には、ここ大分市とワン市との間にあなたが優しい虹をかけてくださったように思います。難民を助ける会のトルコでの支援活動は、あなたの遺志を継いで、しっかりやってゆくことを、ここにお誓い致します。どうか、見守り、あなたに続く人を励ましてください。

宮崎淳さん、
あなたの業績を高く評価し、尊敬と感謝の気持ちと共に、お別れ致します。謹んでご冥福をお祈りいたします。

ありがとう。

2011(平成23)年11月16日   

認定NPO法人難民を助ける会
会長  柳 瀬   房 子

トルコの被災地にて村人たちに囲まれる宮崎淳さん

11月1日 トルコの被災地にて、村人たちと宮崎淳さん(後列左から2人目)

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