プレスリリース・お知らせ

「宮崎淳さんをおくる会」のご報告

RSS
「おくる会」会場の様子

2011年12月6日(火)、「宮崎淳さんをおくる会」を日本青年館ホテル中ホール(東京都新宿区)にて開催いたしました。当日は、宮崎さんのご家族、トルコ共和国副首相アリ・ババジャン閣下や浜田和幸外務大臣政務官をはじめ、トルコの方々、ご支援者の皆さま、宮崎さんのご友人、NGO関係者など、222名の方々がご参列くださいました。また、たくさんの方々から弔電と供花をいただきました。ご参列、ご協力くださった皆さまに、心より感謝申し上げます。

「宮崎淳さんをおくる会」概要

主催:難民を助ける会
日時:2011年12月6日(火)13:30~15:30
会場:日本青年館ホテル 中ホール

次第

花に囲まれた宮崎さんの写真

黙祷

開会のご挨拶  難民を助ける会事務局長 堀江良彰

代表献花

  • 宮崎 恵子 様
  • 宮崎 文暁 様
  • 宮崎 修 様
  • トルコ共和国副首相 アリ・ババジャン閣下
  • 外務大臣政務官 浜田 和幸様
  • 外務省国際協力局長 越川 和彦様
  • 主催者代表

弔辞

ビデオ上映

弔電披露

ご遺族代表挨拶

主催者代表挨拶 難民を助ける会理事長 長 有紀枝

一般献花

その他、会場では活動写真パネルや、トルコの方々や日本の支援者の方々から寄せられたメッセージを展示しました。

参列者数: 222名
(トルコ・日本政府関係者、ご友人、支援者、国際協力団体、理事・監事、ボランティア、スタッフ)

弔辞 トルコ共和国副首相 アリ・ババジャン閣下
弔辞を読むアリ・ババジャン閣下

トルコ共和国副首相 アリ・ババジャン閣下

宮崎淳氏は余震のために全壊した建物にて遭難し、大変残念なことに、2011年11月10日にお亡くなりになりました。大変心が痛むお知らせでした。トルコ国民を代表し、ご遺族の方々を始め、日本国民に哀悼の意を表し、宮崎氏のご冥福をお祈り申し上げます。

彼が我が国ワン県にて献身的な被災者支援活動をなさったことは、まさにトルコと日本の歴史のある、真の友好の表れです。宮崎氏が永遠の旅に立たれた際に、胸にトルコの国旗が置かれ、見送られたことは、我々にとって大変意義深いことでありました。我々は宮崎氏の思いを胸に、両国関係においてもっとも重要な財産が両国民の真の友情の絆であることを忘れることなく、一層努力してまいる任務を課されております。

宮崎氏の献身的な活動は両国民の心に刻まれ、永遠に忘れられる事がないと確信しております。御霊に安らかあらんことをお祈り申し上げます。
この度、ワン県大震災の後、日本国政府および日本国民からいただきました多大なご支援に対して、この場を借りて、改めて感謝の意を表します。
本日この場にいらっしゃる皆さまの前で、御霊の前で、ご遺族に哀悼の意を改めて申し上げます。

弔辞 セルベイ・エキンオール様
弔辞を読むセルベイ・エキンオール

トルコ緊急支援現地ボランティア セルベイ・エキンオール

親愛なる宮崎さん、

ある著名な作家がこう言ったそうです。
「われわれ人間は、与えられる物によって命ながらえ、与えることによって命をはぐくむ。」

私には、この言葉があなたの人柄を表していると思えてなりません。私の国トルコで地震が起きた時、はるばる日本から来てくれたのがあなたでした。最も貧しい村々を回って、そのとき最も支援を必要としている人々を探してくれたのがあなただったのです。

ワンに滞在している間、あなたは人々に直接語りかけようとしていました。持っていたトルコ語の本でいくつかフレーズを覚え、誰にでも優しく接していました。あなたは、いつでも人に与えようと心を砕いていました。そして、夜には、自分の行いに満足して、心安んじて眠ることができていたと思います。あの11月9日の夜までは。

 

あなたとの思い出をひとつお話ししましょう。

あの悲しい出来事の2日前、私たちは一緒に、床屋へあなたの髪を切りに行きましたね。

トルコにいる間に、あなたの髪はずいぶん伸びてしまって、いつもかぶっていた難民を助ける会の帽子から全部はみ出すほどになってしまっていたので、私たちはあなたを床屋に行かせようとしていました。ついにあなたも「よし、行こう」と言ってくれて、あなた、(近内)みゆき、私、それにあなたがいつも「ババーム(トルコ語で「親父さん」)」と呼んでいた運転手と連れだって床屋へ出かけ、あなたはいつもかけていたメガネをはずして、床屋の椅子に座りましたね。

床屋のおじさんが髪を切り始めた時、仕上がりがどうなるかわからず、あなたは少しそわそわした様子でした。私はあなたに言いましたね。「宮崎さん、心配いりませんよ。床屋さんにはちゃんとハンサムにしてやってくれと伝えてありますから」。

しばらくすると、床屋のおじさんが私に向かって「このひとはさっきからじっとして動かないのだが、寝ているのだろうか?」と聞いてきました。そのときあなたは「寝てるんじゃない、メガネがないから何も見えないんだ」と言っていましたっけ。だから、全部終わって初めて自分の髪の仕上がり具合を見た時、あなたはビックリしていましたね。でも、あなたも私たちも、あなたの新しいヘアスタイルを気に入っていました。ババームは、あなたのためにトルコ人のお嫁さんを世話してやろうかと言いだし、あなたも「それもいいかもね」と言っていましたね。

 

実際あなたはトルコでの生活がいたく気に入っていましたし、トルコの食事もたいそう口に合っていたようでした。

私とあなたでこんな話をしていたのを覚えていますか。あなたが私の住むイズミルという町に来て、私はあなたのことを日本から来た裕福なビジネスマンだ、と言って紹介してまわる、というものでした。

でも、残念なことにあなたはあまりにも早くこの世から旅立ってしまいました。

あなたは実直で、仕事熱心で、すばらしいユーモアのセンスを持っていました。

最後に、全トルコ国民のお悔やみの気持ちをお伝えしたいと思います。もうあなたがこの世にいないのだ、と思うと悲しくて仕方がありません。あなたのご家族と、全てのご友人の方々に励ましの言葉を送りたいと思います。皆様の悲しみは私たちの悲しみでもあります。

宮崎淳さん、私たちに会いにきてくれてありがとう。会えなくなってとても淋しいです。

ありがとうございました。

弔辞 難民を助ける会 太田夢香
弔辞を読む太田夢香

難民を助ける会職員 太田夢香

宮崎淳さんへ

難民を助ける会の職員を代表して、謹んで宮崎淳さんへのお別れの言葉を申し上げます。

宮崎さん、こうしてお別れの言葉を話しているのが、今でも信じられませんし、心の整理がついていません。今でも宮崎さんがひょっこり帰ってくるのではないかと思ったりしています。

宮崎さんの姿を思い浮かべると、東京の事務所でもトルコでも、いつも宮崎さんは笑顔でした。 現地でごちそうになったトルコ料理をお腹いっぱいになるまで、笑顔で食べていた姿、トルコの村の子ども達にジャッキーチェーンと言われ、ちょっと照れながら、これで言われたのは3回目だよと笑っていた姿を思い出します。テント生活の被災者に、犠牲祭の牛肉を配付した際には、たくさんの子どもたちが笑顔で私たちの後をついてきてくれました。帰り際には、子どもたちが見えなくなるまで手を振っていた姿を思い出します。

緊急支援でとても忙しかった時でも、いつも一生懸命かつ、冷静で本当に優しい人でした。時には、難民を助ける会の今後について、みんなで真剣に議論したこと、思い出はつきません。本当に、沢山の素敵な思い出をありがとうございます。

今回の緊急支援は、宮崎さん、近内さん、そして支援を届けるはずのトルコの皆様に逆に支えられ、私も感謝と学びの日々でした。「地震に遭われた方々への支援活動、まだまだ必要ですね、被災者のためにみんなでできる限りのことをしていきましょう」と話していました。地震が起きた翌日の11月10日は、ワン市内の次の村に緊急支援物資を配付する予定でした。その配付の準備のために、村長さんや問屋さんとの最終調整や、東京とパソコンで連絡を取っている最中に、あの地震が起きてしまいました。

私たちは、大事な仲間である、宮崎さんを失うことになってしまい、言葉で言い表せないほどの衝撃を受けています。もっと一緒に働きたかったです。

宮崎さん、私たちはこれからも宮崎さんの思いを受け継いで、支援を継続していきます。どうか、私たちの今後の活動を見守っていてください。

ご遺族代表挨拶 宮崎恵子様

トルコ共和国の皆様方、それから、日本の皆様方、多くの方々に想いを寄せていただき、ありがとうございます。たくさんの弔辞もいただきまして、淳ともども、本当に胸がいっぱいになります。淳がトルコが大好きだったことや、スタッフの皆さまと一緒に支援活動している姿を見て、涙があふれます。

淳は、こう伝えたかったと思います。
「私を救出し、母のもとに大切に届けてくださったトルコ共和国の方々、そして、全てのスタッフの皆様に、心から感謝いたします。僕の命が、日本とトルコ共和国の友好親善と、世界の平和の礎の一つになりますように」と。

淳は、よく人を助け、周りの人が楽になるようにと働く人でした。難民を助ける会に入ってからは、すばらしいスタッフの皆様の中で、「みな志が同じだから、とても楽しいよ」と、希望が体にみなぎっていました。
本当に、トルコの方で、支援活動を続けたかったと思います。これからという時でした。

これからさらに、難民を救う輪が広がりますようにと、天の方から願っていると思います。

最後になりましたが、トルコ共和国の皆さまから、たくさんのお悔やみのメールを頂いております。お礼申し上げます。
本日はスタッフの皆様方、こんなに立派な会を企画していただき、また、たくさんのご参加をいただき、どうもありがとうございました。

<プレスリリース・お知らせトップに戻る

ページの先頭へ