プレスリリース・お知らせ

3.11から3年の日に 理事長 長 有紀枝

2014年03月11日  お知らせ日本緊急支援
RSS

東日本大震災支援活動3年報告(速報版)

東日本大震災の発生から3年が経過いたしました。
改めまして、お亡くなりになられた方々に衷心より哀悼の意を表しますとともに、ご家族や関係者の皆さまに、心からお悔やみ申し上げます。また、今なお仮設住宅や借り上げ住宅で困難な避難生活・転居生活を強いられている皆さま、地震や津波の被害がないにもかかわらず、ふるさとやご自宅で生活することが叶わなくなった方々に、心からお見舞いを申し上げます。

ご支援くださる皆さまのお陰をもちまして、私たちAAR Japan[難民を助ける会]は東日本大震災の発災から3年を経た今日も、岩手、宮城、福島の3県で、障がいのある方々やお年寄り、原発の影響を受けた子どもたちを優先に、福祉事業所や仮設住宅などで支援活動を実施しております。
私たちAARの支援活動に賛同くださり、2011年の3月以来継続的にご支援くださる個人の皆さまはじめ、アクセンチュア株式会社、イオン1%クラブと店舗で募金くださったお客さま、カタールフレンド基金、ロレックス、AmeriCares、Caritas Germanyなどの内外の企業、団体のみなさまに改めまして、心より御礼を申し上げます。皆さまからお寄せいただいたご寄付は、別掲のご報告のとおり大切に使わせていただいております。これまでの活動詳細・会計報告(2013年12月末現在)につきましては、冒頭の速報をご参照くださいませ。

去る3月1日に、私たちAARは、立教大学と共催で「震災から3年を考える」と題した報告会を開催いたしました。被災地の状況を福祉施設の様子を中心にご報告したAARの東北事務所長の加藤亜季子とともに、AARが支援を行う岩手県田野畑村にある、障がい福祉サービス事業所(障がいのある方々が作業を行う事業所)特定非営利活動法人「ハックの家」から施設長の竹下敦子さんと利用者の障子上(しょうじがみ)喜一さんもご登壇くださいました。
田野畑はNHKの「あまちゃん」の舞台として有名になった三陸鉄道北リアス線の久慈と宮古のちょうど中間あたりに位置する人口約4,000人の村です。メディアに登場することは少ないながら、震災時には他の沿岸地域同様、大きな被害を受けました。ハックの家も津波で水産加工場が流失し、他の施設も損壊、販売先も被災し、売り上げが激減するなど、大きな困難に見舞われました。報告会では、ハックの家自体が避難所となり、地域の人々の生命線として機能した様子も語られました。現在も先の見えない困難と闘う地元の方々と交流しつつ、震災前よりもよりよい事業を行っていこうと、新たな商品の開発など様々な取り組みを行っている様子が語られました。「地元に根付く」とはどういうことなのか、東日本大震災という未曾有の災害とその復興を通じて、お二人は身をもって経験した事柄を語ってくださいました。

続いて登壇したAAR相馬事務所の横山恵久子からは、発災から3年がたって改めて詳細に、発災直後の惨状と、現在の仮設住宅に住む人々の様子が語られました。横山は、当時予備自衛官としてご遺体の捜索に加わり、ご遺族にご遺体発見現場の様子を伝えるために撮影した写真の一部を見せながら、当時の状況、そのトラウマを持ち続けるご遺族の様子について語りました。ご遺族の許可をいただいた上でのご紹介ですが、ご遺族は(発見してもらえ、写真がこのように使われるということに対して)「ただ死んだんじゃなくてよかった」と語ってくださったとのことです。
福島県の警戒区域となった地域では今日でも、すでに遺骨となったご遺体の捜索が行われています。横山もボランティアとして作業に参加していますが、昨年11月には大熊町で寄り添うような形のお母さんと子どもの遺骨が発見されたことを報告してくれました。しかし、遺骨は高レベルの放射能に汚染されており、遺族のもとにかえされることはなかったとのことです。
1945年の広島では一瞬にして焼失し影のみがその痕跡となった被爆者の方がおられました。福島では一瞬で人が消えることはありませんでしたが、放射能汚染により、津波で流されたご遺体の捜索は遅れ、発見されても、遺体が遺体として、あるいは遺骨が遺骨として尊厳をもって、弔われ、扱われることさえかなわない状況が続いています。
特に、福島第一原子力発電所で作られた電力を使用して生活してきた首都圏に住む人間として、日々使用する電力がどのように作られてきたか、そのことが現在福島でどのような事態を招いているか、決して忘れてはならないと考えています。
また、国際協力団体の理事長として、日本国内がいまだこうした状況にあるにもかかわらず、また自国でさえ「核のゴミ」問題に解決策が見えない現状で、途上国に原発の輸出がなされようとしている事態に強い憤りと危惧を覚えます。

先の報告会でAARの加藤は、東日本大震災から3年が経過した現在でも、県ごとに、同じ県でも地域ごとに、そして同じ地域でもお一人おひとりずつ、復興のスピードも置かれた状況もあまりに異なることを報告しています。
私たちは、国際協力NGOとして、国内の活動での経験を積みつつ、国際協力で学んだ経験を生かし、また東北で学ばせていただいた事柄を海外の支援活動に役立てつつ、被災者の方々お一人おひとりに寄り添える活動を、今後もこころがけてまいりたいと思います。
私たちだけでできることが限られておりますが、志を同じくする内外の支援団体の皆さん、関係の自治体の皆さま、地元の皆さまとともに活動してまいりたいと存じます。どうぞこれからもご支援賜りますようよろしくお願いいたします。改めまして、東日本大震災の発生から3年を経て、犠牲となられた方々に慎んで哀悼の意を表するとともに、ご遺族の皆さま、被災された皆さまに心からお見舞いを申し上げます。

AAR Japan[難民を助ける会]理事長
長有紀枝

<プレスリリース・お知らせトップに戻る

ページの先頭へ