ハイチ事務所
池上 亜沙子
お札から読み解くハイチの歴史
2013年8月よりハイチ駐在。中学時代に北朝鮮と韓国の軍事境界線付近を訪問し国際問題に関心を持つ。大学では教育心理学を専攻し、フィリピンでの教育支援活動に携わる。民間企業勤務後、英国の大学院で教育政策と国際開発の研究を経てAARへ。趣味はマラソン、ロードバイク。宮城県出身
記事掲載時のプロフィールです
皆さん、ハイチという国をご存知ですか?カリブ海に浮かぶ小さな島にあり、面積は北海道の3分の1ほど。植民地としてフランスに支配された歴史がありますが、1804年に世界初の黒人国家として独立したパワフルな国なのです。
紙幣のデザインには、その国の偉大な人物が使われることが多いですが、ハイチも例外ではありません。今回は、紙幣を通してハイチの歴史をご紹介します。
グルド紙幣を飾るのは、世界初の黒人国家誕生の立役者たち
ハイチではグルドという通貨と米ドルが流通しています(1グルド=約2円)。
ハイチの人々は、辛く苦しい植民地支配から独立を勝ち取ったことを誇りに思っています。そのため紙幣には、1804年の独立の立役者たちが描かれています。
そのひとりが、トゥーサン・ルーベルチュール軍事指揮官(20グルド紙幣)です。ルーベルチュールは類まれなる指導力の持ち主で、1793年、植民地としてハイチを支配していたフランス軍に反旗を翻し、その後もハイチを占領しようとしたイギリス軍やスペイン軍を次々と撃退しました。彼はさらに、フランス革命で政権を握ったナポレオン・ボナパルトの命令を無視して独立宣言をし、奴隷解放をナポレオンに求めました。豊かな資源を持つハイチを手放したくなかったナポレオンはこれに激怒し、ルーベルチュールをだまし討ちにし、牢獄へ放り込み拷問を加え、死へと追いやりました。
あまりに大き過ぎた独立の代償
ルーベルチュールの死後、彼の遺志を受け継いで戦ったジャンジャック・デサリーヌ(250グルド紙幣)が、1804年にハイチの独立を宣言しました。しかしその後も、白人と黒人の親から生まれた、ムラートと呼ばれるエリート層が支持する南部と、黒人が支持する北部に国が分裂するなど、政治不安が続きました。南北統一後もハイチの独立を承認する国家はなく、唯一フランスから承認を得ることができましたが、その代償として課された1億5千万フランの賠償金は、返済に約100年もかかり、ハイチの発展の大きな足かせとなりました。
現地の人たちに聞きました。「英雄の中で誰が一番好き?」
現在も西半球最貧国といわれるハイチ。果たして独立の立役者たちは、今でもハイチの人たちに英雄として尊敬されているのでしょうか。何人かにインタビューしてみました。
AARハイチ事務所スタッフ・ジュヴェンス(33歳・男性):「ハイチが世界初の黒人国家として独立したのは素晴らしいこと。だから、紙幣に載っている人たちは皆素晴らしい英雄たちだ。中でも、黒人出身でフランス人に勇敢に立ち向かったデサリーヌは一番の英雄だね。その後、貧富の差を大きくしてしまったのは大きな間違いだったが」
同・ポーレット(34歳・女性):「私はルーベルチュール派です。だって、デサリーヌは独立のためにフランス人を皆殺しにしようと したのだから。それは間違っています。しかも彼は私有地もすべて政府の土地として独占してしまったから、一般の農民たちは土地から追い出され、多くの人が路頭に迷ってしまったのです」
AARが支援するオリゾン・デュ・サボワール校のヴァノ校長(男性):「奴隷の解放のために戦った紙幣の人々は皆、ハイチの英雄です。特にデサリーヌとルーベルチュールはハイチ独立の立役者です。デサリーヌは何をも恐れず戦ったし、ルーベルチュールは民主的な方法で独立しようとしたので私は好きです」
同校職員のリデノルドさん(男性):「デサリーヌはハイチのネルソン・マンデラのような人。尊敬している。でも彼は独立後、庶民の土地をすべて政府の所有にしてしまったので、多くの貧しい人々を生んでしまったのが残念」
なるほど、いろいろな意見がありますね。
もっと詳しく知りたい方は、ぜひハイチにお越しください。美しい海に囲まれ、人々はあたたかく、世界遺産もあり、素晴らしいところがたくさんあります。そして、紙幣に描かれた英雄たちがたどった歴史に想いを馳せてみませんか。