「すごい」を「当たり前」に 自然体の国際協力を若い世代に伝えたい
1979年11月24日、インドシナ難民支援のために設立された難民を助ける会(当時「インドシナ難民を助ける会」)は、この11月に創立満30周年を迎えます。これを記念しAARニュースでは、これまで難民を助ける会に関わってきた方々にお話を伺っています。今回は、難民を助ける会ルワンダ事務所(現在は現地NGOとして独立)の初代駐在員、伊藤由紀子常任理事にお話を伺いました。
3ヵ月間粘り、ついにルワンダで活動開始
1995年の夏、ちょうど私はイギリスの大学院の修士論文を書くために帰国し、就職活動中でした。NGOの現場で働きたいと探していたところ難民を助ける会と出会い、同年10月にルワンダ入りすることになりました。
当初、ルワンダには事務所も何もありませんでした。私はホテル住まいをしながら、まずはルワンダ中央政府から活動許可証を得ることから開始。しかし当時はルワンダ紛争が終わって1年経ったばかり。ルワンダ政府の国際社会に対する不信感は根強く、活動許可はまったく下りませんでした。
一方、現場は多くの支援を必要としていました。地域の人々からは「井戸を掘削して欲しい」という声が大きく、地域のリーダーたちも協力的。事業はいつでも開始できる状況でしたが、政府が動いてくれない。そこで私はルワンダ地方政府や在日ルワンダ大使からの推薦状を持って、ルワンダ中央政府に3ヵ月間毎日足を運びました。それでも、「今日は担当者がいない」「今日はコンピュータが壊れている」などと追い返され、毎日その繰り返し。この間に、体重が10kgも減りました。それでも、簡単に外国からの援助を受入れようとしない誇り高きルワンダ人たちを前に、より緊張感を持って真摯に活動の必要性を訴えました。紆余曲折あり、やっと許可が下りたのが12月。その後はスムーズに活動が進みました。
住民参加型の事業を、現地の人々の手で
ついに井戸掘削事業が始まりましたが、すべてを掘削業者に委託するのではなく、現地住民ができるところは自分たちで取り組める環境づくりに努めました。
まずは、住民たち自身で水源を維持管理していけるよう、人材育成と衛生教育を実施。ある村では井戸管理の責任者になった青年に、井戸の維持・修復のための技術はもちろん、自転車の修理方法まで教えました。各井戸を管理して回るには徒歩では遠すぎるので自転車が必要ですが、悪路のためタイヤがすぐ駄目になってしまうからです。
こうして、井戸だけでなく自転車の修理も、地域住民に衛生教育についてのセミナーも開ける人材が多く育ちました。ルワンダの人たちは「自分たちで国を良くしよう」という気概に溢れていたので、積極的に学んでくれました。この井戸掘削と地域住民の育成事業は成功し、その後UNICEF(国連児童基金)とのモデル事業にもなりました。
当時、ルワンダには欧米の大手NGOが数多く入り、一方的に支援を行うという状況でした。その中で難民を助ける会は、規模は小さくても現場の声に耳を傾け、また国連のように大きな組織では難しいこともすぐに実行できる団体として、ルワンダの人たちに快く受け止めてもらえました。ですから、現場で何か困ったことが起きても、ルワンダ政府や現地の人たちが必ずサポートしてくれるようになりました。
1999年よりルワンダ事務所はARDRと改名され、難民を助ける会から独立。現地スタッフにより運営され現在に至っています。私が入った当初から、いつ日本人が去っても自力で運営できる環境づくりを行なってきたので、スムーズに現地法人化できました。
今度は日本を変えようと帰国
1997年に帰国後、学習院女子大学の教壇に立つことになりました。帰国した一番の理由は、現場で支援をしたい人はたくさんいるけれど、国際協力や開発途上国に対する日本人の意識を変えようとする人はあまりいないと思ったからです。
これまで、私が現場に行くと周囲の人から必ず「すごいね」「大変だね」といわれ、いつも違和感がありました。もっと国際協力が当たり前なことと思って欲しかった。故・相馬雪香先生が「困ったときはお互いさま」とおっしゃっていたことと同じです。難民を助ける会の内と外にあった大きなギャップ。ならば自分がそれを埋めようと思い立ちました。日本人にもっと開発途上国を訪れてもらいたいという思いもありました。
そこでまずルワンダで学生を受け入れる環境を整備しました。しかし、希望者は多くいても実際に親の許可が下りるのは毎年3~5名のみ。その学生たちと一緒に1ヵ月間ARDRの事務所に宿泊し研修しました。学生はそこで大活躍でした。例えばARDRが行っていた識字教室に連れて行ったときのこと。事業の内容は良くても、苦しい生活の中で、地域の人たちは次第に通わなくなっていました。そこへ日本から学生が来たので、もの珍しさも手伝い住民たちが教室に通うようになったのです。必ずしも支援するばかりが協力ではない、それぞれの立場でできることがあると、学生に伝えられました。
「自分で考え行動」し、学生の能力が開花
2000年から3ヵ年続いたルワンダ研修の後、2004年からは日本に近くて外国と限定的な接触しかない国、ラオスに拠点を移しました。現在は毎年2回、約25名の学生たちが10日間ラオスに滞在し、多くを学んでいます。
学生たちには研修で何をするかという企画段階から自分たちで考えるよう指導しています。そして常に、学生だけでなく、受け入れる側にもメリットがあるプログラム作りを心がけています。学生たちは主体的に考え行動することで、驚くほどの力を発揮します。物質的に豊かな日本社会で埋もれていた能力が開花していく様子は、まさにルワンダで出会った住民たちの変化と似ています。
また学生たちは帰国後、近隣の中学校でラオス研修で学んだことを発表します。すると、ラオスという国名も知らなかった中学生が、ラオスを身近に感じてくれるようになります。研修をただ「楽しかった」で終わらせず、他人に伝えることで自己の学びを体系化し、同時に他者から評価されることで学生は大きな自信を持つのです。
国際協力は特別なものではありません。目の前に転んでいる人がいたら手を差し伸べるのと同じです。その精神を体現させてくれたのは難民を助ける会。そこでの蓄積が、私の学生たちへの指導の原点になっています。今後も、私にできることでご恩返しできたら嬉しいです。
【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
新常任理事(元ルワンダ駐在員) 伊藤 由紀子
1995年~1997年まで難民を助ける会ルワンダ事務所駐在。日米両国の大学および英国の大学院で開発援助を専攻。1993年から1年間、ネパールのNGOで活動。現在は学習院女子大学准教授として後進の指導にあたる。