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シリア危機の現場から(5)―引き裂かれた家族

2015年04月10日  トルコ
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「ドーン」。鈍い衝撃音が響き体を揺らす。数キロ先にあるコバニで迫撃砲が爆発しているのだろう。人々はもう慣れてしまったのだろうか、いちいち驚いて反応しているのはぼくだけのようだ。

ここはトルコ南部の国境の町スルチュ。町の南にはシリアとの国境線があり、そこを越えればシリアの町アインアルアラブ(クルド名コバニ)だ。歩いて行けるほど近距離だが危険すぎて近寄ることもできない。武装勢力「IS」※によって占領されたコバニを奪還するべく、クルド系武装組織ペシャメルガが反撃を繰り広げているからだ。(2015年1月、コバニ都市部からはISが撤退したが、破壊された町には不発弾などが残されており難民の帰還を阻んでいる。)

※イスラム教への誤解が広がらないよう、今後「イスラム国」ではなく「IS」という呼称を用います。

コバニがISに包囲されてしまったのは2014年9月のこと。住民たちは、被害を受ける前に大挙してスルチュに流出した。その数は20万人以上。町にはシリア人が溢れ、難民キャンプが形成された。現在は6つの難民キャンプがある。ぼくがライラさんたち三人姉妹と出会ったのはその一つ、町の中心部にあるキャンプだ。

テントの中を見せてもらった。真ん中にシーツが吊られており中は二部屋に分けられている。左は3人の幼子を育てる女性が暮らしており、右側が姉妹に与えられたスペース。広さは二畳分にもみたない。そんな狭い空間をライラさん(16歳)は掃除をしているところだった。毎日の日課だという。きれい好きなのかとライラさんに尋ねると「やることもないから掃除しているの」と少々自虐的に答え、それでも明るい笑顔を見せた。

異邦人であるぼくの問いかけにも気さくに応答してくれたライラさん。話を聞くと、大きな不安を抱きながら暮らしていた。

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ライラさん(右)たち三人の暮らす難民キャンプ内のテント。親子の暮らす隣とは布で仕切っただけだ

戦争中の暮らし

トルコ・スルチュ。国境を挟んですぐ南にコバニがある

コバニ近郊の村で暮らしていたライラさんの家族は農業を営んでおり、牛や羊などたくさんの家畜を飼っていた。また、広大な土地を持ちトラックも所有。2ヵ月前には新車を購入したばかりだったと言うから経済的に余裕のある家庭だったのだろう。

ライラさんは休みの日には友達と買い物をし、おしゃれを楽しむどこにでもいる普通の高校生だった。しかし、そんな平和な時間は崩れ去った。シリア内戦が勃発し、大都市から遠く離れた地方の村へも戦火が広がっていったからだ。戦場が拡大するとシリア政府軍の兵士が時おり姿を見せ、家畜を没収するようになった。ISの台頭後は同組織の戦闘員が現れ家畜だけでなく土地までをも奪った。アラブでは銀行にお金を預けるのではなく、家畜を飼育し、必要な時に売却してお金に変える習慣がある。家畜を奪われたライラさん一家は財産を失ったのと同じことだ。

戦争が長引くにつれ物価が高騰し、一家をさらに苦しめた。シリア料理に欠かせないナン(パンの一種)などは平時に比べ16倍にも高騰していたという。さらに電気や水道の供給が滞りはじめ、ガスも手に入らなくなった。かろうじて供給されていた電気や水が完全に止まってしまったのは1年前。そんなころ、コバニがISの手に落ちたのだ。

避難中の悲劇

ここまで気丈に話をしてくれていたライラさんの表情が少しずつ曇り始めた。刺激することのないようにそっと話を聞いた。

トルコに逃れることを決めた家族は車で国境ゲートに向かったが、国境地帯で立ち往生するはめになった。急激な難民の流入を防ぐために、トルコ政府が国境を閉鎖していたのだ。食料はコバニの町で買い、夜は車で寝た。国境ゲートが開くのを待つ間もISの戦闘員が現れ避難民たちの金品を強奪していった。ライラさんの家族は購入したばかりの車を奪われてしまったという。

悲劇は続いた。家財をとりに村へ戻った母親と兄がISに捕えられてしまったのだ。母親はすぐに解放され、故郷の村に残っていることが確認できた。しかし、兄の行方は全くわからないという。シリアのマンビジュに連れていかれたとの噂を聞いたが確認の手段はない。

父は国境地帯で母親を待ちつつ、トルコに持ってくることができなかったトラックと家財道具を守っているそうだ。戦争は、一家をバラバラにしてしまった。大切な家族を失うことほど苦しく悲しいことはない。ライラさんはどれほど大きな苦しみを抱えながら、凍える夜を過ごしているのだろう。 

「家族もいない塀に囲まれたキャンプの中は、まるで鳥かごのよう。ここには自由なんてないわ」と嘆くライラさん。彼女に「今望むものは何?」と尋ねると、「兄に会いたい」そして「兄が無事に戻ってきたら、この狭いテントでいいからゆっくりと休ませてあげたい」と目に涙をためてぼくを見つめた。

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洗濯をする難民キャンプの女性たち。人の生きるところには洗濯の光景がある

何度もスルチュに通い、隣町から響く爆発音にも慣れてしまったある日、クルド難民の男性がぼくにこんなことを言った。「敗戦国として一度は米国に蹂躙された日本人なら私たちの気持ちがわかるでしょう」。

コバニのように領土を占領されアイデンティティさえ失いかけた日本だが、この時代を生きるぼくたちにとって、それは歴史書や記録写真の中での経験でしかな い。贅沢な食事をとり、いつでも暖かい布団で眠ることのできる飽食の時代を生きているぼくたちが、実体験のない戦争を理解することは難しい。しかし、ぼくたちは彼らの苦しみを想像し理解しようとすることだけは無限大にできるはずだ。

日本から遠い異国の地では今も戦闘機が爆弾を落とし、自動小銃の弾が飛び交っている。無垢な子どもたちの命が奪われ、何の罪もない女性たちが奴隷とされている。祖国を捨て難民となる人々が後を絶たない。

今回公開した写真が多くの人々の心に届き、彼らを想う気持ちが広がっていくことを願います。 2015年2月6日 川畑嘉文(シリーズ完)

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スルチュ難民キャンプの少年

【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

 川畑嘉文

フォトジャーナリスト。世界各地を訪問して、雑誌などに写真と文章を寄稿している。2014年、5枚組写真「シリア難民の子どもたち」がJPS(日本写真家協会)主催コンテストで金賞を受賞。著書に『フォトジャーナリストが見た世界 - 地を這うのが仕事』(新評論出版)。

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