シリア難民支援:都市のなかで孤立する人々
今年4月、AAR Japan[難民を助ける会]事務局長の堀江良彰がトルコを訪問し、シリア難民の方にお話を伺いました。
シリア内戦の勃発から6年以上が過ぎ、他国へ逃れたシリア難民は500万人を超えました。これまで停戦合意は何度も反故になり、シリアは今も先行きの見えない状態が続いています。
先行きの見えない現状
トルコは現在、約300万人のシリア難民を受け入れています。人口約7500万人のトルコが300万人近いシリア難民を受け入れることによる社会的、経済的な負担は、並大抵のことではありません。面会したイスタンブール県の副知事は、日本からの支援に感謝を示しつつも、多くのシリア難民を受け入れている厳しい状況が長期化していることもあり、日本からのさらなる支援に期待を寄せていました。
AARがイスタンブールで活動しているのは、西部のエセンユルト地区。渋滞もあり、市の中心部から車で2時間ほどかかります。ここはイスタンブールのなかで比較的家賃が安いこともあり、多くのシリア難民が暮らしています。店の看板にもアラビア語が目立ち、シリア人スタッフは、シリアの街みたいだと話します。
トルコ滞在中、AARが支援しているシリア難民の家庭を訪問しました。トルコ政府から金銭面をはじめとした支援を受けるには、難民登録をしなければいけませんが、そもそもどう手続きしたらいいのかわからず、登録はまったく進んでいないとのこと。イスタンブールという大都市に暮らす難民の特徴でもありますが、難民同士のコミュニティが形成されないため、必要な情報の提供を含め、支援してくれる隣人もおらず、地域の中で一家が孤立してしまっている様子でした。AARイスタンブール事務所では、この地区のシリア難民の家庭を個別に一軒一軒訪問し、それぞれに必要な支援や情報を提供しています。
トルコ南東部のシャンルウルファでも、AARが支援しているシリア難民の家庭を訪問しました。
3年前にトルコへ逃れて来た58歳のサイードさん(仮名)は、妻(55歳)、3人の子(20歳、19歳、7歳)、3人の孫(16歳、10歳、2歳)とともに、8人では手狭な古いアパートで暮らしていました。内戦で息子夫婦が亡くなり、身重の19歳の娘の夫は5ヵ月前にシリアへ戻ったきり音信不通とのこと。サイードさんはシリアでドライバーをしていましたが、爆発物により両目の視力を失い、一家でトルコに逃れることができたものの、運転もできず、収入が断たれてしまっていました。
16歳の孫が運搬の仕事をしていましたが、1日12時間重い石材を運ぶ重労働で体を壊してしまい、現在は、サイードさんが10歳の孫とともに物乞いをして得る小銭が唯一の収入です。障がい者としてトルコ政府に登録できれば支援を受けられますが、まだ数ヵ月かかる見込みとのことで、サイードさんの話の端々には、先行きの見えない現状に対する絶望感が漂っていました。AARはサイードさん一家に対し、家賃の補助と、10歳の孫の就学支援を行っています。
私が短いトルコ滞在中に話を聞くことができたのは、ほんの数家族ですが、現在トルコには何十万というシリア難民の家族が、それぞれに深刻な事情を抱えています。そして300万人という難民数は、とてもトルコ一国で対応できるものではありません。何よりもシリア内戦が終結し、平和が訪れるのが最も望まれることではありますが、シリア内戦の収束の目途が立たないなか、日本を含め国際社会でしっかりと彼らを支えていく必要があると強く感じました。
AARは引き続き、シリア難民の避難先での生活を支えてまいります。
【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
東京事務局 堀江 良彰
2005年4月よりAAR事務局長。民間企業での勤務を経て2000年1月AARへ。東京都出身