シリア難民支援:シリア危機から7年、彼らのことを忘れないで
2011年3月にシリア紛争の端緒が切られてから、7年が経とうとしています。2012年に開始したAAR Japan[難民を助ける会]のシリア難民支援も7年目に入りました。支援開始時には約20万人だったトルコにおけるシリア難民の数は、2017年末には342万人近く(トルコ内務省移民管理局2017年12月28日現在の登録者数)に達しました。
AARのシリア難民支援のはじまりは2012年10 月、シリアから避難しトルコ南部ハタイ県の国境沿いの村々で暮らしていた300世帯への緊急支援物資の配付でした。翌2013年2月からは、同県にて食料品・日用品などの物資配付、車いすや歩行補助具などを供与する障がい者支援、既存のシリア人学校への教科書・文房具の提供と新たなシリア人学校立ち上げの教育支援の3本立てで、本格的な支援活動を始めました。
多くが数年で帰国できると考えていた
AARがトルコでシリア難民支援を開始した2012年当時は、シリアでの生活再建を心待ちにしている方、まだ自由に行き来ができた国境を越えて両国にまたがって生活している方、シリアに見切りをつけトルコで商売を始めた方など、難民の状況や思いはさまざまでしたが、支援する私たちも含め多くが1、2年では無理でも、5年もすれば帰国できると考えていました。しかし、その5年が経った今も、紛争は終息しておらず、国境は封鎖され、トルコに暮らす342万近いシリア難民の帰国の見通しはたっていません。
トルコ社会で生きていくための支援を開始
紛争が長期化すると、難民にとって必要なのは継続的な収入と子どもたちの教育になります。そのための基盤は、ホストコミュニティと呼ばれる周囲のトルコ社会への適合とトルコ語です。トルコ語が話せないため、仕事につけなかったり、孤立したりしている方々が多くいました。そこで、AARは、2014年7月にシャンルウルファ市内にコミュニティセンターを開設。トルコ語や英語の語学講座、子ども向けの活動、そして家に引きこもりがちなシリア人女性の交流の場として手芸や料理をはじめさまざまな講座やイベントを開始しました。同じシリア人とは言え、出身地、民族、宗派が異なり、シリア人同士でもあまり付き合いがない状況の中で、センターが接点となってほしいというのが、私たちの願いでした。
自らワークショップを開催
口コミもあり、コミュニティセンターは少しずつ周囲に根付いてきました。私も、センターに来ているシリア人の女性や子どもたちの笑顔に、元気づけられていました。いつしか、彼らのために自分も何かできたらという思いが募り、趣味の手織りと草木染めの知識を活かし、2年前よりワークショップを開いています。彼らが身の回りにあるものでできることを前提とし、指編みや段ボールを使った手織りコースターづくり、花染めなどを行いました。毎回定員を超える参加者があり、好評です。そのうちに女性たちからキャンドルを作りたいという要望があがってきました。私も未経験でしたが何とか準備をし、3回にわたるワークショップを熱心な参加者たちと成功させました。そのキャンドル作りに毎回参加していたダリアさんという女性がいます。彼女は夫の反対もあり、周囲のシリア人たちとも付き合うことも外出することもなく孤立していました。そのことを知った彼女の隣人のトルコ人のゼイネップさんが、懸命にダリアさんの夫を説得し、センターに連れて来るようになったのです。それはまさに、AARが目指していたことでした。センターでは心からの笑顔を見せ、楽しそうにキャンドルを作るダリアさん。彼女のように、一人でも多くの笑顔を取り戻すため、活動を続けていきます。
各々の状況に沿った個別の支援を強化
2017年には子ども向けの活動を提供するチャイルドフレンドリースペースをマルディン市に開設しました。また現在は、困窮している個人・世帯への個別支援に力を入れています。法的な手続きの支援や児童労働に従事している子どもへの教育支援と家族への生計支援、また、精神的なケアやリハビリテーションの提供などを、シャンルウルファ市、マルディン市、イスタンブール市の3ヵ所を拠点に行っています。
日々、新たな紛争や問題が世界で発生しており、長期化したシリア難民の生活は、怒涛の勢いで移り変わる世界情勢に流されています。そんな今だからこそ、声を大にして訴えたいと思います、彼らを忘れないでと。
【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
東京事務局 小田 隆子
大学卒業後、民間企業勤務などを経てトルコに渡り、約30年間在トルコ日本国大使館に勤務。2012年8月にAARに入職し、シリア難民支援事業を担当。東京都出身