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【東日本大震災から7年】被災者の声を反映した福島の復興を~7年間の傾聴と交流支援から~

2018年03月09日  日本
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福島県の地図 AARの活動地域は9か所

赤丸がAARが交流活動の実施地点

AARは2011年7月から継続して、被災者の孤立防止やストレスの軽減、健康維持を目的に、仮設住宅の集会場などでリハビリや傾聴、住民同士の交流支援を行ってきました。その回数は岩手・宮城・福島の3県で439回、支援を受けられた方はのべ4,592人にのぼります。マッサージで心身ともにリラックスしたり、手工芸に無心になって打ち込んだり、その時間を継続して共有させていただく中で、被災した方々から様々な胸の内を聞かせていただくことになりました。また、皆さんの抱える様々な困難を、目の当たりにしてきました。福島では、次々と避難指示が解除され、建物や道路は新しくなっていますが、ひとりひとりに目を向ければ、発災時から変わらないどころか、多くの方がますます深まる苦悩を抱えています。

この活動の最前線を担ってきた仙台事務所の大原真一郎が、福島の方々の声をご報告します。

仮設暮らしではなくなったけれど

AARが現在活動している南相馬市やいわき市、葛尾村、川俣町といった地域で共通しているのは、復興公営住宅や一般の住宅の建設が進んで移住が加速し、仮設住宅からの退去者が大幅に増えていることです(仮設住宅の入居率は概ね数%~15%)。

復興公営住宅は、戸建、集合ともに恒久的に居住できる仕様になっています。ようやく公営住宅が完成し落ち着いて人生を再出発できるようになったと安堵の声も聞かれます。しかし、「公営住宅には長くいたくない。早く土地と家を見つけて、庭で花を育てたい」「ここには永住しない。中古物件を探しているけど価格が高騰してとても買えない。早く引っ越したいのに」と、やむなく公営住宅に住むことになった人たちも多くいます。また、「ここ(復興公営住宅)の人間関係には神経がやられる、なじめない、仮設住宅の人たちが懐かしい」という声も多く耳にします。「今の状況は避難所から仮設に移ってきたときの避難者の精神状況は似ている。公営住宅の住環境は良いけど、また新たな人間関係を作っていくわけだから、大きなエネルギーを使っていかなければならない。まだ、そういう力をすぐには出せない人が多いんじゃない?」震災後、仮設住宅で6年かけてやっと慣れた環境や築いた人間関係を再び断ち切られ、また新しく人間関係を構築しなくてはならないことは、大きな精神的負担です。そのために公営住宅の中でも孤立してしまうこともあるのです。

AAR職員が折り畳み式のソファーを設置し、マッサージをしている様子

マッサージで心身ともにリラックスしていただいています。毎回、理学療法士や作業療法士の方たちが、ボランティアで施術してくださっています(福島県双葉郡葛尾村

お茶はお菓子を食べながらおばあちゃんの話をきくAAR職員

ボランティアの産業カウンセラーに生活の悩みを話す被災者の方(南相馬市復興公営住宅集会所)

いまも仮設住宅に暮らす方たちは

一方では、移転先が決まらない方たちが、入居者が大幅に減った仮設住宅の中で孤立状態にあります。移転先が決まらない理由は、住宅建設の遅れや、土地建屋が高騰して手が出ない、という理由もあれば、賠償金詐欺の被害にあったり、賠償金を散財してしまっていたり、あるいは賠償金を世帯主から分配されずに経済的に困窮しているなど、さまざまな事情があります。

数年前まではイベントなど仮設住宅への支援も多くありましたが、今では激減してすっかり賑わいがなくなってしまいました。「友だちがどんどん引っ越していくし、来てくれる人も少なくなってさみしい」「仮設退去が進んで人がいないので買い物バスが来なくなった。唯一の楽しみだったのに」という声が聞かれます。独居高齢者の比率が高く、要介護者も少なくありません。AARが仮設住宅で継続している昼食会や手芸イベントなどには、仮設住宅に残っている方たちはもちろん、移住先でまだ馴染めない方々にも来ていただいています。いつもひとりで食事をしているという80代の女性は、「こうしてみんなで昼食を食べるのはとてもうれしい」と話してくださいました。公営住宅に移ったという60代の女性は、「新しく移った公営住宅で孤立してしまう人もいる。こうして仮設の集会所に来れれば、普段の話ができるからいいんだけどね」と語っておられました。集会所に来られない方には、仮設住宅支援員や社会福祉協議会の協力を得て、昼食の宅配もしています。それによって、独居の方の孤立を防いだり、栄養面でも支えられるようにしています。

自宅の玄関で昼食のプレートを手に取り笑顔で手にする男性

集会所に来られない方に対しては、仮設住宅支援員や社会福祉協議会の協力で昼食を宅配(三春町仮設住宅)

5名の女性が手芸作品を手にして笑顔でこちらを向いている

手芸活動は無心になって楽しめる時間です(南相馬市仮設住宅集会所)

若い人がいない! 強制避難指示解除後の故郷

昨年4月、福島の多くの地区で避難指示が解除されました。しかし帰還率は数パーセントから20%にすぎません。放射線への不安がぬぐえなかったり、インフラが未整備だったり、避難が長期間にわたったことで避難先に生活基盤ができたりしたことなどが理由です。帰還した方の大半はご高齢です。「ふるさとに帰れてうれしい反面、周りに人がいないので心細い」「不便なのは昔からだからいいけれど、あまりにも人がいなくて寂しい。公営住宅ではイベントがたくさんあるそうだけど、ここにはないし...」「仮設に住んでいた時代にみんなで作ったカレーをまた食べたい」という声が多く聞かれました。そこでAARは、地元の社会福祉協議会や医療施設、帰還した住民の方々とともに、公民館や住民の方のお宅をお借りして昼食会を開いたり、仮設住宅と同様、お宅に食事をお届けしたりしています。

向かい合ってカレーを食べる住民

強制避難指示が解除された山木屋地区。公民館で帰還した方々の昼食会を催しました

除染した放射性物質を運んでいるであろうトラック

除染した放射性物質を仮置き場から中間貯蔵施設へ移す光景がいたるところでみられます

福島においてはもう一つ大きな問題があります。強制避難区域以外の地域にも、除染が完了したにもかかわらず放射線量の高い場所が点在していることです。浜通り中通地区で市民の方々が独自に測ったところ、全体的に空間線量は低下していますが、土壌汚染に関しては、場所によって低い数値が出るものの、その他の多くの場所で放射線管理区域の閾値を大幅に上回る数値が出ることがあります。私自身が測った際にも、同様に高い数値が出ることが珍しくありません。こうした状況は、子育て世代に対し、子どもの健康への不安を大きくかきたてます。仕事の関係などで不安を抱えながら県内に留まらざるを得ない方もいれば、補償を受けられないまま県外に避難して経済的に困窮する方々もいます。こうした方たちは、「なぜ、避難区域でないのに帰還しないのか?」「なぜ、地元の食材を買わない、食べないのか?」という周囲の声に苦悩しています。放射線への不安があっても、それを言うことは風評被害を煽って復興の妨げになるという有言無言の圧力の中で、声を上げられないで孤立し、現状にひたすら耐えるという状況が続いています。

ある女性は、「学校では給食の牛乳も水道水も飲ませてないし、プールにも入らせない。他の児童と別なことをさせていることに申し訳なさや自己嫌悪を感じてストレスです」と話します。またAARが開催したお茶会に参加した30代の女性は、「郡山は今でもホットスポットがあるので、高校生の息子は郡山から会津に通学させています。長い通学時間によって多感な時期に親や友達と接する時間が短くなることに対して、罪悪感に苛まれことがあります。でも、少しでもリスクを減らしたい一心です。こうした場(お茶会)があって同じ思いを語れる友人ができて助かっています」と言います。東京都内では、原発問題といった皆さんが関心のあるテーマの勉強会も支援しています。

テーブルを囲んで座りながら話す人々 テーブルにはお茶菓子がある

強制避難区域外での交流サロン支援(郡山市)

勉強会でスーツを着用した男性がマイクを使いながら話している様子

原発問題の勉強会。皆さんが気になるテーマに関して学ぶ機会を作っています(東京都)

避難指示解除地域の超高齢化・過疎化、賠償金格差による人間関係の悪化、移住先の分散。時間が経過するにしたがって、福島のコミュニティはますます分散・分断されています。AARはその分断をつなぐように交流イベントを開催し、ストレスを減らすために傾聴活動をするなど、努力を続けてきました。しかし、分断やストレスの元になっている問題を解決しなくては、いくら避難指示解除で避難者数が減ったり巨大堤防ができたとしても、本当の復興とは言えません。本当の復興に寄与していけるよう、これからも活動を続けてまいります。

【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

仙台事務所 大原 真一郎

大学卒業後、製造メーカー(営業職)での18年間の勤務を経て、2011年8月からAAR仙台事務所に勤務。仙台を拠点に岩手、宮城、福島の被災地に毎日のように足を運び、復興支援を行う。現在は福島県相馬市などで行っている、仮設住宅に暮らす方々の心身の健康を守る活動を中心的に担う。宮城県仙台市出身

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