40年を振り返り旧交を温めました
AAR Japan[難民を助ける会]と姉妹団体である社会福祉法人さぽうと21の「設立40周年記念の集い」を秋晴れの11月17日、日本青年館ホテル(東京都新宿区)で開催しました。AARは1979年の創立以降、海外と国内での支援活動を並行して実施していましたが、1992年にさぽうと21を設立し、在日難民/外国人への支援活動を同団体に移行しています。
当日は、第1部の座談会と第2部の同窓会(立食パーティ)の2部形式で開催し、40年の歩みを振り返るとともに、旧交を温めました。日本で暮らす元難民支援生とその家族、これまで支えてくださった両団体の支援者の皆さまや新旧のボランティアの方々、メディア関係者など、第1部には127人、第2部の同窓会には163人が参加くださいました。
「日本社会を変えていきたいと思ってやってきた」
第1部の、元難民支援生による座談会「インドシナ難民受け入れから40年 日本で学び、働く私たち」には、奨学金や学習支援を受けて大学・大学院を卒業し、日本社会で活躍するレー バン トゥさん(ベトナム出身)、リア チン ラム マンさん(ミャンマー出身)、グエン タット トルンさん(ベトナム難民三世)、レー ティ ニャット クイさん(ベトナム難民二世)が登壇くださり、日本での経験をお話しくださいました。
1989年にベトナムを脱出、シンガポールの難民キャンプを経て来日し、現在、IT企業を経営するレー バン トゥさんは、大学進学を目指していた頃にAARの支援を受け、1度の受験で国立大学にで合格するまでのエピソードなどを話すとともに、「(AARの)"太陽塾"(注意1)の先生から『丁寧な日本語を話しなさい』と教わったので、今も自分の子どもに対しても丁寧語でしか話せない」と会場を笑わせました。条約難民として認定され、さぽうと21が実施する学習支援室に通っていたリア チン ラム マンさんは現在、公益財団法人で通訳兼相談員を務めています。「難民申請など多くの壁にぶつかったが、さぽうと21は何でも相談できる自分の実家のような場として背中を押してくれた」と話されました。
インドシナ難民の三世として日本で生まれ育ち、現在、宇宙航空研究開発機構(JAXA)で研究に取り組むグエン タット トルンさんは「小中学校ではいじめられた経験もあるが、笑って流すことができるまで成長した。勉強して視野を広げることが大事だと思う」と語り、小学生のときに来日し、現在サントリーホールディングス株式会社に勤務するレー ティ ニャット クイさんは「将来はベトナムなど新興国に日本の技術を伝え、人材を育成して経済発展に貢献したい」と語りました。
発表を受けて、AAR会長の柳瀬房子は「私たちの活動は難民の方々を尊敬するところから始まった。(インドシナ難民は)子どもたちに自由と教育を与えようという思いで日本に渡って来た方が多く、支援生も優秀な方が多かった。私たちの方がたくさんのものを与えられた」と振り返り、さぽうと21理事長の吹浦忠正は「難民に対する差別意識をなくし、日本社会を変えていきたいと思って、ここまでやってきた。難民の皆さん、支援者の皆さんに感謝したい」と謝意を表しました。
パーティも大盛り上がり
続いて立食パーティー形式の同窓会に移り、さまざまな年代の参加者たちは久しぶりに会った仲間と賑やかに歓談したり、写真を撮り合ったりと、会場は終始温かい雰囲気に包まれました。
AAR、さぽうと21は40年間の活動の積み重ねを踏まえ、この間に培われた広範なネットワーク、人と人とのつながりを大切にしながら、今後も海外・国内の難民支援活動に取り組んでいきます。皆様の温かいご支援を重ねてお願い申し上げます。
注1:難民塾「太陽」(通称「太陽塾」)。1986年にAARが始めた主に難民に対して日本語教育を行う学習塾。学習はほとんどマンツーマンの個別指導で行われていた。活動は1992年からはさぽうと21に引き継がれている。
【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
東京事務局 吉澤 有紀(よしざわ ゆき)
2007年12月よりAAR東京事務局で広報・支援者担当。学生時代から国際協力に関心を持ち、ボランティア活動に従事。大学卒業後にシステム会社に就職し、6年半の勤務を経てAARへ。