南スーダン独立10年に寄せて
南スーダン共和国が2011年7月9日、アフリカ大陸54番目の国家として、スーダン共和国から分離・独立して10年を迎えます。長い内戦の末に悲願の独立を達成したにもかかわらず、南スーダンでは2013年以降の武力衝突によって、約230万人が難民として周辺国に流出し、国内避難民も約160万人に上り、「世界で一番若い国」の苦悩が続いています。
AAR Japan[難民を助ける会]は隣接するケニア、ウガンダの難民キャンプ・居住地で、南スーダン難民への水・衛生や教育分野での支援活動を実施しています。アフリカの難民支援事業を担当する東京事務局の粟村友美が、南スーダンの現状と人道支援活動について解説します。
内戦経て2011年に独立達成
アフリカ内陸部の南スーダン共和国は2011年7月、スーダン共和国からの分離独立を果たし、「世界で一番若い国」となりました。この分離独立までには、アフリカで最も長いとされる内戦の歴史があります。
1956年に英国・エジプト共同統治からの独立を果たしたスーダン共和国は、イスラム教徒系住民が多数を占める北部と、キリスト教系住民が多い南部の対立を内包しつつ、国家としての歩みを始めました。独立の前年である1955年から1972年までの第一次スーダン内戦では、南部に対するイスラム化とアラビア語化政策を推進する北部の中央政府に対し、南部が分離独立の機運を高め、ゲリラ闘争を繰り返しました。
第一次スーダン内戦は和平合意をもって終結し、南部には自治政府が置かれましたが、その後も中央政府が南部自治政府の合意なしに南部地域の石油開発を推進するなど摩擦は続き、1983年に第二次スーダン内戦が勃発しました。2005年の包括的和平合意調印までの22年の間で発生した死者数は250万人に上ります。停戦から6年後の2011年、住民投票で有権者の98%が分離独立を支持し、南スーダンの人々の大きな熱狂と希望とともに、南スーダン共和国が誕生しました。
紛争再燃で深刻な人権侵害
しかし、独立を果たしたわずか2年後の2013年、南スーダン国内で再び武力衝突が激化しました。契機となったのは、南スーダンの首都ジュバで2013 年12月に起こった政府軍(南スーダン解放人民戦線:SPLA)同士の銃撃戦です。この背景には、南スーダンのサルヴァ・キール大統領と、この直前に解任されたリアク・マシャール前副大統領の政権をめぐる争いがあり、銃撃戦はキール大統領の出身民族であるディンカ族のSPLA兵士と、マシャール前副大統領の出身民族であるヌエル族のSPLA兵士の間で起こりました。
衝突はジュバ市内に拡がり、ディンカ族兵士がヌエル族の一般市民を、ヌエル族兵士がディンカ族の一般市民を攻撃したことで、一般市民500人以上が犠牲となりました。政府軍による反乱と衝突はジョングレイ州やユニティ州など全国に拡大し、武装勢力が敵対民族の市民の殺害、強姦、村落の焼き討ちなどの破壊行為を繰り返しました。2013~2020年の死者は40万人と推計されます。
2015年に政府間開発機構(Inter-Governmental Authority on Development: IGAD)が介入し、停戦合意がなされて、2016年に暫定政権が発足しました。その後、再びジュバで銃撃戦が発生し、政府軍による市民の殺害や強姦などの深刻な人権侵害が多発する事態となりました。2017年、2018年と停戦協議が繰り返された後、2018年に再び和平合意が締結され、2020年2月には暫定政権が発足しましたが、議会の設置や統合軍の結成など合意内容の実現は遅れています。
難民の発生と人道支援
1955年からの第一次スーダン内戦、1983年からの第二次スーダン内戦による死者は200万人を超え、第二次スーダン内戦では累計400万人が故郷を追われたとされます。さらに、2013年以降の南スーダンの武力衝突で難民・避難民は増加し、2021年現在、南スーダンから国外に流出した難民は227万人、国内避難民は160万人に上ります。主な避難先はウガンダ共和国約92万人(約40%)、スーダン79万人(約35%)、エチオピア37万人(16%)、ケニア12万人(5%)です(UNHCR、2020年5月31日)*1 。
南スーダン国内では武力衝突に加え、紛争の影響で農地が荒れ果て、約550万人が食糧危機に直面しています。性的暴力や虐待の深刻化に加え、水道・衛生施設・学校などの基礎的インフラが破壊され、または機能しておらず、国内避難民だけでなく、避難せずに故郷の村に残った南スーダン人にとっても苦境が続きます。
AAR Japanが活動するケニアのカクマ難民キャンプは、第二次スーダン内戦期に発生した南スーダン難民への対応を目的に、1992年に開設されました。直接の契機は、当初エチオピアに避難していた南スーダン難民が、エチオピアの政権交代と難民受入れ方針の転換により締め出されることとなり、ケニアに支援を求めて大規模に流入したことです。現在カクマ難民キャンプには南スーダン、ソマリア、コンゴ民主共和国、ブルンジ、エチオピア等の計19ヵ国からの難民約16万人が生活しています。1992年の開設当初から30年近くキャンプに留まり続ける難民もおり、長期化する難民問題の典型例と言えます。
カクマ難民キャンプは、2013年からの南スーダン難民の大規模な流入により、2014年に受け入れキャパシティの限界を超え、約5万8千人の難民が行き場を失う事態となりました。当初想定した7万人を超えて19万人が密集するカクマ難民キャンプでは、さらなる流入を受け入れる余地はなく、UNHCRはケニア政府との交渉を経て、2016年にカクマから30km西に新たにカロベイエ難民居住区を開設しました。カロベイエ難民居住区には現在、南スーダン、ソマリア、エチオピア、ブルンジなど19ヵ国からの難民計4万人が生活しています。
難民・地域住民の双方をサポート
カロベイエ難民居住区は難民キャンプとは異なり、UNHCRとケニア政府が共同で策定したカロベイエ統合社会経済開発計画(Kalobeyei Integrated Social and Economic Development Programme: KISEDP)に基づいて運営されています。これは難民とホストコミュニティ(難民の受け入れ地域)双方の社会・経済状況の改善に寄与することを目指す難民支援プログラムです。カクマ難民キャンプおよびカロベイエ難民居住区が位置するトゥルカナ県は、干ばつと洪水が繰り返される厳しい気象条件、農業生産性の低い地質が特徴とされ、ケニア国内でも貧困率の高い地域です。
トゥルカナ県に暮らすホストコミュニティにとっても社会・経済開発のための支援は急務であり、また目の前の難民だけに支援が提供される不公平感への反発は根強く存在します。KISEDPは難民とホストコミュニティ双方に公平なサービスを提供し、かつ双方への生計機会の提供に重点を置くことで、難民とホストコミュニティが共生しながら社会的経済的な自立を達成することを目指しています。南スーダン難民をはじめ、各国からの難民の滞在期間が長期化する傾向にある中、難民を一時的な滞在者ではなく、ケニアの社会経済的発展への貢献者として地域社会に統合しようとする取り組みと言えます。
カクマ難民キャンプとカロベイエ難民居住区では、さまざまな援助機関による支援活動が行われています。水衛生、教育、心理的ケア、障がい者支援、職業訓練など、その活動は多岐にわたります。
AAR は2014年にカクマ難民キャンプでの活動を開始し、2016年からはカロベイエ難民居住区も支援対象に加え、現在は青少年の育成・保護の分野に取り組んでいます。5つの中等校で、学校施設の建設などを通じて学習環境を改善するとともに、悩みや問題から生徒が自身の身を守り、就学継続ができるよう、ライフスキル教育*2の促進や教員によるカウンセリング実施体制の整備を行っています。加えて、中等教育卒業後の将来に不安を抱く生徒への進路指導実施体制を強化し、就学していない青少年も学校に就学または復学できるよう、個別の教育・生活相談を実施しています。また、カロベイエ地域では若者へのICT技術研修を行い、生計手段の獲得につながる能力強化に取り組んでいます(2021年6月現在)。
UNHCRが掲げる難民問題の恒久的解決策は母国への帰還、第三国定住、第一避難国での現地統合の三つであり、母国への帰還が最も望ましい選択とされています。しかし、2020年までに母国への帰還を選択した南スーダン難民は12万人に留まり、そのうち70%は避難先の国での食糧支援の大幅な削減を受け、やむなく帰還を決めています*3 。2020年の南スーダン暫定政権発足後も、国内情勢の推移にはいまだ注視が必要であり、難民が積極的に帰還を選択するに足るほどの社会経済基盤の安定化には、相応の時間がかかることが見込まれます。受け入れ国だけに負担を集中させるのではなく、国際社会が協調して負荷をともに引き受けて、持続的な支援を実現する必要があります。
*1.参照先
*2.ライフスキルとは、日常生活で直面するさまざまな課題を乗り越えるために必要な能力を指す。意思決定能力や問題解決能力、対人コミュニケーション能力などが含まれる。災害や紛争などの緊急危機下において、ライフスキルの強化ニーズは高まるとされている。
*3.South Sudan Regional Refugee Response Plan 2021, UNHCR
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【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
東京事務局 粟村 友美(あわむら・ともみ)
民間企業を経てAAR入職。東京事務局でハイチ衛生事業、東日本大震災の復興支援を担当した後、ザンビア駐在員としてHIV/エイズ、母子保健事業に従事。現在は東京事務局勤務。