アンゴラ事務所
若杉 優子
約2年のアンゴラ駐在を終えて
記事掲載時のプロフィールです
アンゴラでは、1975年のポルトガルからの独立以降、2002年まで続いた内戦により、45万人もの難民が国外に流出しました。2002年4月の停戦を受け、難民を助ける会はアンゴラ難民の母国帰還を支援するため、調査を実施、2003年11月、首都ルアンダに事務所を開設しました。以来、難民を助ける会は、現在アンゴラで唯一の日本のNGOとして活動しています。以下は、約2年の任期を終え帰国した若杉駐在員による報告です。
おかげでタフになりました
2004年の9月にアンゴラに赴任して以来、さまざまな困難に直面し、その度にこの国で活動することの難しさを実感させられてきました。当初はおろおろするばかりで、どのように対処するべきか、どこの誰に助けを求めればいいのか、もちろんトラブルシューティングマニュアルなど存在しないので、試行錯誤をしながら周りのスタッフにも助けられ、ここ1年位はなんとか大抵の問題には対応できるようになってきました。
例えば、事務所兼住居では度々停電になるのですが、その都度配電盤を開け、電気の来ているヒューズが一つでも残っていないか電流測定器を使って確かめ、もし一つでもヒューズが生きていればそこにすべての配線をつなぎ換えるということも学びました。
また、比較的治安の悪い地域に事務所が存在するため、家の前で銃声がすることもしょっちゅうです。初めて銃声を聞いたときは、爆竹かなにかだろうと思い気にもとめませんでしたが、その音が強盗やそれに対応する警察の撃つ拳銃やカラシニコフ(銃)の音と分かってからしばらくは、いつ私の部屋に流れ弾が飛んでくるか気が気でなく、何日も眠れない夜を過ごしたりもしました。今では銃声がすると、怖さより野次馬根性が先に立つ自分に、我ながらタフになったなぁと実感します。
日々の葛藤の中で、心に余裕も
毎日仕事を行う上では、物事が予定通りに進まないという現実に当初は憤りを感じ、1人イライラしバタバタしていました。でも1年目を過ぎた頃から、例えば通常(日本では)1日で済む仕事はこちらでは1週間かかると想定して予定を組むことにし、時間にゆとりを持って仕事に取り組むことで気持ちにも余裕ができました。やる気のない役人に対しても、ある程度大らかな気持ちで接することができるようになったと思います。
また、女性かつアジア人ということで、まともに相手にされず、悔しい思いをしたりもしました。が、時には逆にそれを利用し、かわいそうな外国人を演じて仕事を進めることもありました。
ただし、どうしても最後まで慣れることができなかったのが、大抵どこへ行っても賄賂を要求されることです。2週間の停電の後、やっと国営の電力会社の人間が修理に訪れれば、昼食代と称して賄賂を要求され、就労ビザを申請しようとしたら数千ドルの、しかも領収書の出ない料金を請求され、警察には外国人という理由だけで、警察に連れて行かれたくなければお金で解決しろと脅されました。その度に、NGOという立場上そういった類に充てる資金もなければ、領収書の出ないものにお金は払えないと説明しつつ、心の中では「こんなことを続けていたら、いつまでたっても社会が良くならないじゃないか」といきり立っていました。
役人との喧嘩も、今では良い思い出
これまでに一度、どうしても冷静に対処できず、無駄と知りつつ相手の行為がいかに不条理なことか説明しようとしたことがありました。
それはマラリアワークショップ実施の許可を求めに現地の厚生省に行った際のことです。厚生省の職員を講師として使わないのなら許可は出さない、ただしその講師には日当と称して1日数十ドルの礼金を払う必要がある、と言われたのです。その講師というのは一体どのような立場の職員なのかと質問すれば、毎月講義の有無に関わらず給料をもらっているといいます。
それなら、講義することが仕事であり、その報酬を受け取る人になぜNGOの我々が日当を払わなくてはいけないのかと尋ねたら、他のNGOなどはそうしているし、それがアンゴラ流のやり方で、あなたの団体だけそれを払わないとなると、2日目以降彼らはワークショップに現われないだろうし、講義の依頼も受けつけないだろうという説明です。
そこで私が、「そのような資金はないし、こちらには経験のある講師がいるので厚生省職員は必要ない」と言うと、それならワークショップの実施を許可しないと言い張ります。さらには、その役人は、「私は正直な人間だからここではっきりといっておくが、私のことをイベントなどに招待したかったら数百ドルの謝礼を用意しなければ私はどこにも行かない。」と開き直ります。
そこでついカッとなり、「ご心配なく。私たちからあなたに招待状をおくることは決してありませんので。」と言ったら、「そのような態度を取って損をするのはそっちだ」と脅してきます。
これ以上この人と話をしても時間の無駄と思い、「損をするのはあなたでも私たちではなく国民です。私たちはあなたの国の人たちの役に少しでも立ちたいと思って仕事をしています。国からお給料をもらっているあなたも同じ気持ちで仕事をするべきだと思いますが、今のあなたにその理屈は通用しないようなので、これ以上お話する理由はありません。」と告げ彼のオフィスを後にしました。
後日、マラリア事業を行う他の国際NGOの知り合いに頼んで、その厚生省の役人の上司を紹介してもらい、状況を説明したところ、部下の言動には一切触れませんでしたが、ワークショップの実施を許可してくれ、モニターとして1人職員を行かせると約束してくれました。
先述の役人は、事あるごとに私を名指しでNo. 1の敵だと言い触らしていると聞きましたが、これまで彼による私たちの活動に対する妨害などはなく、その反対にマラリア関連のミーティングやイベントがあると必ず本人が連絡をしてきてくれるようになり、NGOを集めたミーティングでは当会のオリジナルポスター製作を高く評価してくれ、他のNGOもこれを見習うようにとコメントしていました。
彼がこんなに変わるとは驚きですが、少しは喧嘩した甲斐があったかもしれません。
アンゴラを制すものはすべてを制す?!
このように毎日何かしら面倒なことが起こり、そのたびに最善の対処法はと考えますが、時にはじっくり考えたり誰かに相談したりする余裕もなく、その場しのぎの対応をせまられることもしょっちゅうでした。
もちろん失敗も多々ありましたが、こうした経験を繰り返すことで、自分なりのトラブルシューティングマニュアルができ、少々のことではパニックに陥らなくなりました。
事実かどうかはともかく、国際NGOスタッフの間では、アンゴラで1年耐えることができる人は、どこの国でもやっていけるといわれています。これが事実かどうかはともかく、この2年間度重なる賄賂の要求にも屈することなく、無事ルアンダ(首都)でのマラリア対策活動を終了することができました。この活動に開始当初から携わってきた現地スタッフは、事業終了後3ヵ月経った現在もボランティアとしてルアンダ郊外の貧困地域で教育活動を続けています。難民を助ける会での私の役目はこれで終わりますが、これからも現地スタッフやボランティアたちがこれまでの経験を生かし、活動の輪を広げていくことを願っています。