駐在員・事務局員日記

タジキスタンの結婚式事情

2009年09月16日  タジキスタン
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執筆者

タジキスタン事務所
角谷 亮

兵庫県出身。2007年11月よりタジキスタン事務所に駐在。大学では英米語学を専攻。卒業後、派遣員として在外公館に2年半勤務。その後、難民を助ける会へ。

記事掲載時のプロフィールです

人生にはいくつかの転機があります。
例えば、入学式、卒業式、初めての海外旅行、就職、そして結婚。
今回は、9月9日に19回目の独立記念日を迎えたタジキスタンでの結婚事情についてご紹介いたします。
首都ドゥシャンベから車で6時間の山岳地帯、難民を助ける会が養蜂事業を支援したラシュト。そのラシュトで活動を共にした障害者団体のメンバーの弟が結婚することになり、参加しました。

女性の適齢期は16~18才

晴天に恵まれた結婚式でした。

主役の花嫁と花婿。少し緊張気味!?

写真の花嫁は、18才。花婿は25才。タジキスタンの、特に地方の女性は、中学もしくは高校を卒業する年齢が結婚適齢期とされています。この花嫁と花婿は、徒歩2分のご近所同士。と言っても、昔から仲良しだったわけではないようで、花嫁の両親と、花婿の兄弟の話し合いで結婚に至ったそうです。タジキスタンでも恋愛結婚はもちろんありますが、この夫婦のように親や兄弟の仲介で結婚する夫婦がほとんどのようです。

結婚式場は花婿の家の庭

誓いを終えた新郎新婦

花嫁と花婿お披露目のシーン

タジキスタンの地方では、日本のような結婚式場はありません。花婿が花嫁の自宅を訪問し、その一室で宗教指導者による立ち会いのもと、結婚の誓いが交わされます。その部屋には花嫁、花婿、それぞれの叔父(もしくは伯父)、宗教指導者の5名しか入室を許されず、その他大勢は家の外で待つことになります。

そして、誓いが終わるといよいよお披露目。夫婦揃って部屋を出てきて、そのまま一緒に、花婿の家へ。招待客である我々も、後に続きます。一段落したところで花婿宅の軒先で食事が振舞われます。通常であれば、招待客の幾人かが歌にあわせて踊りを披露します。ただ今回は、結婚式の数日前に村の宗教指導者の一人が亡くなったため、歌や踊りはなく、「静かな」披露宴となりました。

結婚式も経費削減対象!?

結婚を祝う角谷駐在員

ご祝儀のお祝いの品とチョコレートを渡す角谷駐在員(左)。ご祝儀は様々で、衣服や家具などを持ってくる人もいます。

タジキスタンの結婚式では、大勢の人々が祝福のために集まります。今回も家族や親戚、そして150名ほどのご近所さんたちがお祝いに駆けつけました。小さい村なので、本当に村人総出だったと思います。しかし、この記念すべき門出は、新郎新婦の家族にとっては、財政的にかなり厳しいものでもあります。そんな状況に、昨年ラフモン大統領が「貧しい国民へのさらなる負担となっている」と、過剰な出費を抑える法律を作りました。中身はこうです。「招待客は150人まで、宴会は3時間以内、パレードの車は4台まで。」違反すれば、罰金の対象となります。

これら規定については、「人生の晴れ舞台の日まで規定づくしだ」といった声や、「この規定のおかけで、出費が少なくて済む」などの意見があり、住民の中でも賛否両論あるようです。

40日の掟

子どもたちも結婚を祝っていました

オシャレをして結婚式に参加する子どもたち

結婚式から40日間は、花嫁は“トキ ケリンチャック”と呼ばれる特別の「帽子」(「女性の適齢期は16~18歳」内の写真参照)を、いつでもどこでも身に着けることが、慣わしとなっています。そして、この40日間は、夫婦一緒に外出、行動することが基本とされ、いかなる事情があるにせよ、配偶者以外の異性と2人っきりになることは、避けなければなりません。

出稼ぎという現実

まだまだ若いこの夫婦、新婚生活を楽しみたいところですが、この40日を過ぎると、花婿は花嫁を置いてすぐに村を出て行きます。決して、遊びほうけているわけではなく、結婚式のために帰省していた花婿は、出稼ぎ先のロシアへ再び帰っていくのです。今度タジキスタンに戻るのは、1年後ぐらいになるとのこと。こういった家庭は、タジキスタンでは一般的で、成人の4~5人に1人はロシアやカザフスタンなど、旧ソビエト連邦の大国に出稼ぎに出ています。

このように、結婚式ひとつを例に挙げても、日本とは違う習慣、決まり、また事情があります。これからも、日本との共通点、相違点を観察し、ご紹介していきたいと思います。

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