駐在員・事務局員日記

過酷なスーダン南部で、還暦駐在員が活躍中

2010年01月26日  南スーダン
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執筆者

スーダン・カポエタ事務所
斎藤 文司

2009年6月より南スーダン東エクアトリア州カポエタ駐在。コンピュータ会社を退職後、シニアボランティアとしてスリランカに滞在。その後難民を助ける会へ。(神奈川県出身)

記事掲載時のプロフィールです

難民を助ける会では、スーダン共和国南部のカポエタ周辺にて、水・衛生保健事業を行っています。斎藤駐在員が、カポエタでの生活を報告します。

40度を超える暑さ…でも「住めば都」

「難民を助ける会の派遣地はどこも厳しい環境ですが、スーダン南部はその中でも最も厳しい場所に当たります。」

採用面接の時、私に告げられた言葉でした。実際、赴任地のスーダン南部・カポエタは、熱風が吹きすさぶ「厳しい」所でした。

私たちのオフィスや宿舎にはかろうじて太陽光発電システムとディーゼル発電機による給電がありますが、それは主にパソコンや衛星通信・保安設備のためであり、エアコンはもとより、扇風機もありません。

子どもたちに囲まれて

スーダンでの生活にもすっかり慣れました(中央・奥が斎藤)

それでも赴任後しばらくすると、40度を超える日中の暑さにも順応していきました。60歳を過ぎても、それなりのスピードで活動すれば十分にやっていけますし、熱風とも仲良くできるようになります。住めば都と言いますが、その通りです。

スーダンで流行りのビジネスは?

繁盛する携帯電話充電屋

噂話は携帯電話で?店頭にはカラフルな携帯電話の充電器が並ぶ

一般家庭にも、電気はありません。最近、町に携帯電話の基地局ができましたが、衛星経由なので通信品質が悪く、使用できないことも頻繁にあります。

それでも、スーダンの人々は携帯電話を持つ人がどんどん増えており、そこから生まれたニュービジネス、携帯電話の「充電屋」は大繁盛です。というのも、新聞もテレビもラジオもないスーダンでは、話題はもっぱら地域の出来事。これまで立ち話を通じて地元の情報を得ていましたが、今では携帯電話が重要な情報源になっているのです。

人懐こいカポエタの人々

人懐っこいスーダンの子どもたち

通りかかると親しげに子どもたちが寄ってきます

難民を助ける会は、カポエタでは良く知られたNGOです。これまでの活動が評価され、村長や郡長も協力的です。

車で通りかかるとその土地の人々が手を振ってくれます。また、車の後ろを走ってついて来る子もいます。車を降りると寄ってきて色々話しかけてきます。

小さい子は、私の腕をじっと見つめ指でこすろうとします。「何を塗ると肌の色がこのように白くなるの?」と思っているようです。

運転前には点検を

屋根ができ、これで車両も雨ざらしにならずに済みます

修理スペースを作ってくれた地元の業者たちと(左が斎藤)

スーダン南部の首都であるジュバの市街を出ると、どの道も未舗装で荒れています。

5~9月頃にかけての雨季には、柔らかくなった路盤を車が走るため、道は大きな穴だらけになります。そのため車両の傷みがひどく、3年も使用すれば、整備された道路で走る15年分以上の疲労度になってしまいます。

公共の交通網が整っていないスーダンでは、車両は事業の命です。特に、離れた事業地の間を移動することが多い難民を助ける会の事業では、車両の整備は重要です。そこで、簡単な整備なら自分たちでできるように、事務所内にスペースを設け、運転手たちが出発前に自分たちで点検・修理できるようにしています。

あせらず、あわてず、あきらめず

この子どもたちの未来のために、今できる支援を

難民を助ける会が掘った井戸周辺に住む子どもたち。「毎日の水汲みが楽になったよ」

長く続いた内戦が終わり、周辺諸国の難民キャンプに逃れていた人々は、カポエタに帰還し定住しようとしています。しかし、故郷での生活環境は厳しく、最低限の食糧や水が確保できる難民キャンプに戻ってしまう人たちも少なくありません。

難民を助ける会は、帰還する人々の生活環境を改善するために、井戸を掘り、安全な水を供給し、病気の減少に貢献しようとしています。また、乳幼児死亡率を低下させるために衛生教育も行っています。

他の団体も教育などの様々な支援を行っていますが、国の土台づくりには、これからも長い期間の支援が必要と思われます。

日本の戦後復興とは環境が異なり、到底、還暦を過ぎた自分一人では達成できない期間が必要ですが、これからも、あせらず、あわてず、あきらめず、難民を助ける会の活動の中で、自分のできる範囲で支援をしていきたいと思います。

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