東北事務所長
野際 紗綾子
相馬雪香生誕100周年記念:私と相馬雪香<2>
2005年4月より難民を助ける会へ。2008年ミャンマー・サイクロン、2009年スマトラ沖大地震、2010年パキスタン洪水など多数の緊急支援活動に従事。東日本大震災では発生2日後から被災地に入り、現在東北事務所長を務める
記事掲載時のプロフィールです
2012年は、難民を助ける会の創設者、相馬雪香の生誕100周年にあたります。相馬は、インドシナ難民を支援しようと、1979年に「インドシナ難民を助ける会」(現・難民を助ける会)を設立。「困ったときはお互いさま」の精神で市民による国際協力の運動を巻き起こしました。
連載第2回は、難民を助ける会東北事務所長の野際紗綾子が、支援の現場で支えとなっている相馬の2つのことばをご紹介します。
東日本大震災被災者支援の現場で私を支える相馬先生の二つのことば
東日本大震災発生から2日後の2011年3月13日深夜。辿り着いた宮城県仙台市では、これまで海外で見てきたいくつもの災害現場を一つに凝縮したかのような恐ろしい光景が、目の前に広がっていました。「なんてむごい…」。言葉にならない思いが体を渦巻く中、特に気になったのが、障害のある方々やご高齢の方々です。途上国での災害支援の経験から、このようなとき、特に危機にさらされることが予想されたからです。
障害者や高齢者を含めて本当に多くの方々が、南北500kmにもわたる被災地域で、食料や水さえも十分にないまま支援を待っていました。予算も人員も限られた我々に何ができるのか。関東で調達した支援物資を配付しながらも、圧倒的な被害状況を前に無力感ばかりが募っていました。そんな迷いが消えたのは、到着から3日後に、宮城県庁障害福祉課より県内の障害者施設への物資配付と安否確認を頼まれたときです。相馬雪香前会長(以下先生)のある言葉を思い出しました。
「日本政府は象さんなのよ。体は大きいけれど動きはゆっくりだから、
私たちはハツカネズミのようにちょこまか動き回るのよ。」
そう、小さなNGOだけどやるべきことはたくさんある。もう迷うことはありませんでした。それから一年強、多くの皆さまに支えられ、県や関連団体と連携しながら、のべ1,600ヵ所、障害者・高齢者をはじめとする18万人の被災者の方々に食料や生活必需品などを届け、約50の障害者・高齢者福祉施設の修繕・再建工事や販路開拓の支援を行ってきました。迅速で小回りのきく団体だからこそできた支援だと思います。
「自分がやろうと思ったことをやり通しなさい」
振り返ると、海外や東北での支援活動に携わる中で、いつも私を勇気付けてくれたのは、相馬先生の言葉でした。2007年2月のチャリティ・コンサートの際に先生と一緒に、来場者や関係者に挨拶をして回ったときのことです。緊張でガチガチの私をリードするように、颯爽と会場内を回られた後、「私ね、実は恋愛結婚だったのよ」とユーモアたっぷりのお話で私の緊張を解いてくださいました。そのあとで、私にとって生涯の宝となるような言葉を頂きました。
「誰が何と言おうとも、自分がやろうと思ったことをやり通しなさい。
必ず助けてくれる人がいるから。」
インドシナ難民への支援をしようとひとり立ち上がり、多くの賛同者を得て会を設立。幾多の困難を乗り越えてきた先生の言葉だからこそ、一層心に沁みました。
震災から1年以上が過ぎました。震災からの復興、その中核には障害のある方々の尊厳を尊重し、基本的人権を促進する障害者権利条約の理念が活かされるべきだと考えています。障害のある人に優しい社会は、すべての人にとって優しい社会だからです。
小さなハツカネズミではありますが、今後も全力で支援活動を続けてまいります。
障害者権利条約
2006年12月に国連総会で採択された人権条約で、2012年5月現在112ヵ国が批准している。日本は2007年に署名したが、批准はしていない。