西日本担当理事
鷲田マリ
相馬雪香生誕100周年記念:相馬雪香と私<3>
1992年よりAARでボランティア活動を開始し、2000年から西日本担当理事
記事掲載時のプロフィールです
2012年は、難民を助ける会の創設者、相馬雪香の生誕100周年にあたります。相馬は、インドシナ難民を支援しようと、1979年に「インドシナ難民を助ける会」(現・AAR Japan[難民を助ける会])を設立。2008年11月に96歳で没するまで、AAR の会長として、また、様々な市民団体の要職を務め、世界各地で活躍しました。
連載第3回は、AAR西日本担当理事の鷲田マリが、相馬との思い出を振り返ります。
AARとの出会い
中学生のころから、「自分だけが幸せでいいのかな」という疑問から、高齢者や障害者施設の慰問やバザーなどのボランティア活動を行ってきました。20年ほど前、地元舞鶴(京都府)でチャリティ活動をやりたいが、集まったお金をどこに託せば良いか、信用できる預け先はないかと悩んでいたとき、テレビのニュース番組に出演する相馬雪香前会長(以下先生)をお見かけしました。
80歳近い年配の女性が「政治家は確かに悪いこともする。しかし、アナタはそれを言えるほどなにか良いことをしていますか?」とアナウンサーに向かって力強い発言。それを聞いた瞬間に「この人なら大丈夫!」と直感し、翌日AARの事務所に電話しました。それから20年、チャリティコンサートやバザー、展覧会の開催や募金の呼びかけなど、たくさんのイベントや企画を通じてAARの活動に携わっています。
「してもらう」より「してあげたい」気持ち
先生とは、1994年2月に東京のホテルで開催されたチャリティイベントで初めてお会いしました。「この方だな」と思いながら近付き、「私は(会員になるだけでなく)、いろいろできることはやらせていただきますね」と宣言したのを覚えています。AARの創立20周年の際には、先生は舞鶴で講演会をしてくださり、「国を動かすのは一人ひとりの力。世界の中で日本がどうあるべきか、そして、そのために一人ひとりが何をすべきかを考えて」と力強いメッセージをくださいました。
その講演のお礼にと、先生に舞鶴の海産物をお送りしたときのことです。すぐにお礼の電話があり、先生は「私ね、うれしいの。いつも家族に食べさせてもらってばかりだから、私が『どうぞ、食べてね』と家族に言えることがとてもうれしい」とおっしゃいました。
人は、「してもらう」より「してあげたい」と思うもの。先生は私にそのことを気づかせました。もし、空腹の人に多くの食べ物を届ければ、受け取った人は、必要な分以外は、ほかのお腹を空かせた誰かに分け与える。そして、そのことで満たされるのです。自分がやっている支援に満足せず、受け取る方々の心にも思いを馳せて活動しなくてはならないことを学びました。
先生からはさまざまな場面で「教え」をいただき、多くを学びました。それらを若い方や次の世代に残していきたいと思います。でも、受け売りではダメです。自分の心に響いた教えを、自分で実践していかなくてはなりません。「先生の教え」ではなく、「自分のもの」になったとき、それを自分の言葉で伝えていけばいい。行動を伴わない人の言葉は、心には届きません。大事なのは、実践することです。そう思い、これまで一生懸命活動を続けてまいりました。
最近、ひょんなことから生前の相馬先生のインタビューの録音が舞鶴の私の元に届きました。もう20年以上前の録音ですが、そのなかで先生はこう話しています。「子どものころ、最初に父(尾崎咢堂)から教わったのは、『電気は国の財産、節電しましょう』でした」。今年の夏は、まずはみんなで節電を実践しましょうね。
※2011年の東日本大震災の後は、舞鶴市の大勢の方々が募金活動やチャリティコンサートなどを行い、約700万円のご寄付を被災地支援にお寄せくださっています。