仙台事務所
大高 いずみ
仙台:七夕まつりにかける復興への思い
専門学校卒業後、民間企業で勤務。仙台で東日本大震災を経験し、被災者支援に関わりたいと2011年6月からAAR仙台事務所へ(岩手県出身)
記事掲載時のプロフィールです
仙台市の夏の風物詩と言えば「仙台七夕まつり」。毎年8月6日から8日まで行われ、色とりどりの七夕飾りが仙台駅構内やアーケード街を彩ります。しかし、華やかな七夕まつりの一方で、震災から約1年半が経っても、多くの市民が不安や行き場のない気持ちを抱えていることも事実です。
本格的な夏を迎えた仙台の七夕まつりについて、仙台事務所の大高いずみがお伝えします。
東北三大祭りの一つ「仙台七夕まつり」
青森のねぶた祭、秋田の竿燈まつりと並んで、東北三大祭りの一つである仙台七夕まつりの起源は、伊達政宗公の時代までさかのぼるともいわれています。明治時代までは旧暦の7月6日、7日(現在の8月5日前後)に、豊作を祈る行事として行われていました。現在のような盛大なお祭りになったのは、商店街の景気を回復させようと、昭和初期に商人たちが始めたのがきっかけといわれています。
ひとつひとつの七夕飾りは各商店や学校の生徒たちの手作りです。コンテストが行われるため、どの団体も力を入れて、数ヵ月も前から飾りを作り始めます。ビニール素材などは使わず、和紙を使って作成されるのも大きな特徴の一つといえるでしょう。商店街には竹を刺すための穴があちこちに開いており、普段は鉄の蓋がしてあります。仙台の商店街は「七夕まつり仕様」であるといっても過言ではありません。
伝統的な七夕飾りは、織姫の織糸を象徴する「吹き流し」の他、「紙衣(かみごろも)」「折鶴」、「短冊」、「投網(とあみ)」、「屑篭(くずかご)」、「巾着」と、全部で七種類あります。それぞれ機織の上達、裁縫の上達、長寿、学問・書の上達、豊漁、清潔と倹約、商売繁盛の願いが込められています。なかでもメインとなる飾りは、10メートルを超える巨大な竹に5本1セットで飾られるくす玉と吹き流しです。商店街に飾られる吹き流しは、大人の顔くらいの高さまで垂れ下がり、手で払いながら歩くのが厄除けになるそうです。夜には破損防止のためにビニールで覆われたり、たくしあげられたりするので、是非明るいうちに商店街へ!
七夕まつりには毎年200万人ほどの人出があります。今年も、まつりのテーマである「願い・希望・感謝」のもと、大勢の市民と観光客が仙台を訪れました。感謝の気持ちや復興への願いを綴った短冊が飾られ、津波被害が大きかった沿岸地域の特産品や支援グッズのブースなども設けられていました。
震災からの復興を願って
2011年3月11日、私は仙台にいました。停電で真っ暗な夜の街で見た満天の星空、雪の降るなか食料品を買うために何時間も店頭に並んだことなど、今でもよく思い出します。現在は何事もなかったように新幹線が走っている仙台駅も、震災後しばらくは破損が激しく、駅構内にはまったく入れない状態でした。ホームに入れなかった新幹線が、私の家の近くを通る線路上に何日も放置されたままになっており、それを見る度にこれからどうなってしまうのかと、不安な気持ちになったのを覚えています。
震災から約1年半が経ち、仙台駅周辺の復旧工事は少しずつ進んできました。しかし、人々の「気持ち」の復旧はどうでしょうか。AARの支援活動を通じて様々な方とお話をさせていただく機会がありますが、整いつつある街並みとは裏腹に、 人々の不安の種はなかなか減っていきません。仮設住宅や借上げ住宅で長引く避難生活を送る方、家族を失った方、仕事を失った方、遺体を間近で目にしてしまった子どもたち。華やかな七夕まつりの陰には、震災前の日常とは程遠い現実が広がっています。「気持ち」は道路や建物のように元に戻すものではなく、先に進むための一歩が必要だと感じます。そして、そのきっかけは、目に見えるもの、震災前と変わらずにあるものなのかもしれません。
今年の夏、仙台駅で、大きな七夕飾りが訪れた人々を出迎えました。この七夕飾りは、復興を願う市民の思いと、再びこの季節を迎えられたという感謝の気持ちの象徴であるように思います。いつもと同じように七夕まつりを開催することそのものに、大きな意味があるように感じます。
七夕まつりが終わるとお盆がやってきます。お盆が過ぎると東北は一気に秋の気配に包まれます。短い夏を惜しみつつ、来年もまたいつもと同じに、盛大な七夕まつりが開催されることを願っています。