AAR理事長 長 有紀枝(おさ ゆきえ)
理事長ブログ第2回 「相馬雪香先生のこと」
2008年7月よりAAR理事長。2009年4月より立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授。2010年4月より立教大学社会学部教授。
記事掲載時のプロフィールです
AAR理事長、長有紀枝のブログです。
今日はAARの創設者である相馬雪香前会長についてご紹介したいと思います。
AARは、1979年に憲政の父とも呼ばれる尾崎咢堂(行雄)の三女・相馬雪香(1912-2008)が、67歳のときに呼びかけ、設立した組織です。ベトナム、ラオス、カンボジアを襲ったインドシナ紛争で発生した沢山の難民の方々が、1970年代末、陸路、危険な地雷原や国境をこえて、あるいは小船に乗り、ボートピープルとして、隣国タイや日本をはじめとする国々に流れ着いたときに、日本は国際社会から批判にさらされました。「カネ」は出すが「ヒト」は出さない日本、難民に冷たい日本、そうした批判です。
特にカナダの友人から届いた「日本は本当に冷たい国だ。こんなに難民が出ているのに、2人しか受け入れていない。」という手紙でした。これに驚いた相馬がすぐ調べてみると、2人ではなくて3人だったそうです。そこで、大の負けず嫌いの相馬は、「あなたの統計は50%間違っている!」。負けず嫌いとはいえ、すごい反論です(笑)。
2人も3人も大差ないとはいえ「日本人は決して冷たい民族などではない、古来、善意の伝統が脈々と流れている。それを示さなければ」と思ったという相馬。善意の伝統というと難しく聞こえるかもしれませんが、これを一言でいえば「困ったときはお互いさま」という私たちがよく口にする発想・言葉です。日本人が古来受け継いできたこの「困ったときはお互いさま」を、自分の身近な人だけではなくて、見ず知らずの難民の人々にも広げよう、伝えていこうとして、できたのが、AARです。しかし相馬と相馬の呼びかけに集まった仲間たち(特別顧問の吹浦忠正や、現会長の柳瀬房子の父、柳瀬眞ら)には、何の後ろ盾もありませんでした。そこで当時の外務省のかなり偉い方に協力を要請しに行ったそうです。
しかし当時のことですから、「難民支援は官の仕事、民は余計なことはしなくてよい」との冷たい返事。これにカチンときた負けず嫌いの明治女の相馬は「それならよござんす。自分たちで勝手にやります」と言って、椅子を蹴って席を立ち、仲間たちと難民を助ける会を設立したそうです。
さて、AAR Japan[難民を助ける会]は、当初は「インドシナ難民を助ける会」としてスタートしました。「難民を助ける会」というといかがわしい(笑)組織の名前のように感じるかもしれませんが、相馬は当時を振り返り、「名前を考えている暇なんてなかった」と申していました。名前なんて考えている暇があったら一刻も早く難民の人を助けよう、インドシナ難民の人を助けるのだから、「インドシナ難民を助ける会」でいいじゃないか。あまりに乱暴といえば乱暴な議論ですが、当時はこの名前、かなり先進的な響きがしたのだそうです。
「困ったときはお互いさま」とともに、もう一つ、相馬が大切にした思いがあります。それは、「日本を世界の孤児にしてはいけない」「日本人の心を開国しよう」という思いです。日本が第二次世界大戦に突き進んだ当時の状況への強烈な反省と危機感を、相馬は父・尾崎咢堂から受けつぎました。日本が世界から孤立したことが、戦争への道をたどる要因の一つとなったという危機感です。「日本を再び世界から孤立させ、世界の孤児にしてはいけない」「難民支援を通じ、日本人の内向きの心を外に向けて開国させてもらおう」この思いが、相馬を駆り立てたもう一つの原動力でした。
日本を世界の孤児にしてはならないという発想・思想は、今、内向きといわれるこの時代だからこそ、私たちが日本の国際協力の在り方を考える際に大きな示唆、ヒントを与えてくれると思います。
相馬先生(ここから、そう呼ばせてください)は2008年11月、私たちが沖縄平和賞をいただいた年に亡くなりました。享年96。最後まで現役でした。忘れられない相馬語録がたくさんあります。日本で最も長い議員歴をもち、議会政治の父、尾崎咢堂を父に持つ相馬でしたから、政治にはいつも辛口でした。そしてその辛口は、私たち選挙民にも向けられていました。
「民主主義っていうのはねえ、一人ひとりが大切ってことでしょ。でも、その一人ひとりに責任があるのよ」
「誰が正しいか、じゃなくて、何が正しいかを考えなさい」
「他人の心や行動は変えられない。でも、自分は変えられる」
「最近の若い人は本当に素晴らしい。『最近の若い人は』って小言をいう年よりの方がよっぽど悪い」(といって、いつも至らぬ私たちを励ましてくれました)
「本当に大切なことは思いつきで言っちゃダメ。何かを批判する時も、新しいことを提案する時も。理屈を考え抜いてから言葉にしなさい。言葉にしたら行動しなさい」
特に好きなエピソードがあります。政治家として、ほとんど家に帰らなかった父に対して文句をいう幼い相馬先生に、日英ハーフの母のテオドラさんがこう言って諭したそうです。「お父様は、ライチャスネス(righteousness)のために働いているのよ。だから寂しくても文句を言うのはやめましょうね」。それを聞いた相馬先生は、ライチャスネスという言葉の意味は理解できなかったけれど、子ども心にそれがとても大切なものだということはわかって、文句をいうのをやめたそうです。「ライチャスネス(righteousness)」は、公正さ、正義、あるいは、正しさ、とでも訳せるでしょうか。今日はここで。(2015年3月5日、3月9日修正)