長 有紀枝
会長ブログ第52回:「現場で、ともにあるNGOであるということ、規範起業家であること ~会長就任のご挨拶に代えて」
2008年7月よりAAR理事長、2021年7月より同会長。2010年4月より立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科・立教大学社会学部教授。2019年10月より立教大学副総長(茨城県出身)
記事掲載時のプロフィールです
AAR会長、長有紀枝のブログです。
6月26日に開催された難民を助ける会2021年度通常総会および理事会の決議により、会長に就任いたしました。1979年に難民を助ける会を創設した相馬雪香初代会長、創立以来41年にわたって難民を助ける会を率い、支えた柳瀬房子前会長に続き、3代目となります。ここに謹んでご報告申し上げますとともに、総会当日のご挨拶の一部を抜粋、加筆修正を加え掲載させていただきます。
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会長としての就任ご挨拶の前に、2008年6月から2021年6月までの理事長としての13年を振り返り、「できたこと」と「できなかったこと」についてお話することから始めます。
2008年の理事長就任から時をおかずに、私は大学の専任教員として奉職することとなりました。NGOの人道支援の実務家であること、そして国際関係やジェノサイド予防を専門とする研究者であること、これらは、どちらも大切な私の一部です。それゆえ、二足の草鞋を履く道を選んだわけですが、「静的」活動を主とする団体ならまだしも、紛争地や災害発生直後の現場に入って活動する「動的」団体の代表者が、専従ではなくてよいのか、という問題はこの間、常に抱えていた迷いであり、悩みでした。私が理事長を続けていてよいのか、という点を幾度も堀江前事務局長(新理事長)と話しあいながらここまで務めてまいりました。私の、こうした関わり方を受け入れ、支えてくださった支援者の皆さま、理事会を構成する役員はじめ関係者の皆さま、そして、職員ボランティアの皆さんに心から感謝申し上げます。
できたこと・できなかったこと
二足の草鞋を言い訳にするわけではありませんが、できたことはあまりに少ないです。
その中でたった一つ、事実として申し上げられる「できたこと」は、消極的に過ぎますがAARを存続させ、理事長というNPO法人の代表のバトンをつなぐことができたことです。相馬先生の言葉を借りるならば、「難民を助ける会」が必要なくなる世界を目指して私たちは活動しているわけですから、本当はこうした組織はない方がいい。残念ながら創立以来42年にわたり会が存続し続けている、そのこと自体が、実は世界が良い方向に向かっていない証左でもあります。
現に世界の難民数は今年もその記録を塗り替え、8000万人を大きく超えています。30年前、1990年1月時点の1800万人の4倍を超える人数です。その意味では、難民を助ける会の存続は決して良いことではありません。しかし、他方で、これも相馬先生の言葉を借りるなら、難民を助ける会が潰れず、存続できるのは、納税者の皆様の血税からなる外務省資金に加え、難民問題を他人事と思わない、会の活動をお支え下さる支援者の皆さまが日本全国に、東日本大震災以降は海外にもおられ、ご支援をいただけるからこそ、です。その意味で難民を助ける会の存続は、誠にありがたく、喜ばしいことでもあるのだと思います。
他方で、「できなかったこと」は限りなくあります。
その最大のことは、職員の安全確保をめぐる問題です。
2011年の東日本大震災の年、世界中から受けた沢山のご支援の恩返しがしたいと入職された宮崎淳さんが同年11月、トルコ東部のワンで発生した地震被災者の支援活動中、滞在中のホテルの倒壊で、お亡くなりになられました。
2018年には、ザンビアの駐在員であった直江篤志さんが、マラリアに罹患し、休暇で一時滞在していたトルコでお亡くなりになりました。
私の理事長の時代に二人の職員が亡くなられたことは、いつも痛恨の極みです。またこの間、交通事故等で亡くなられた現地職員や現地関係者もおられ、これらの方々に改めまして哀悼の意を表しますとともに、今後は会長として安全管理に努めてまいりますことをお約束いたします。
人権侵害をめぐる活動と私たち
さて、現在、私たち難民を助ける会には、現在行っている活動以外に、社会的に強く求められながら、行っていない重要な活動領域があります。その一つが、人権侵害に対して積極的に声をあげるという行為です。
この点を、単にできていないと捉えるか、しようとしていないと考えるか。これは非常に重要なことだと思っています。
軍事政権による人権侵害が深刻なある国で、難民を助ける会は、その事実に直接触れずに長く活動を続けてきました。この点について、当会が掲げる、「政治や宗教、主義主張に不偏不党・中立」という活動指針を引き合いに出し、「どんなに良い活動をしても、中立を、政治問題に対する無知の言い訳にすべきではない」と指摘を受けたことがあります。地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)の活動を通じて知り合い、20年以上の付き合いのある大切な仲間からです。
私自身、「政治的中立」は「無知」や「不勉強」の言い訳であってはいけない、と同時に、「無関心」の言い訳であってもいけないと強く思います。
他方で、私たち難民を助ける会が、活動地はもとより、世界各地で、またアジアで、現在進行形で起きている重要な課題に、声を上げないことには理由があります。
難民を助ける会が、その活動の現場で、起きていることに声をあげるというのはどういうことか。それは、すなわち、その現場にいられなくなることを意味します。
当局から嫌がらせを受ける程度では済まないことを私たちは承知しています。現在も各地で経験していることですが、駐在員のビザ(滞在許可)がおりなくなる、更新されなくなる、何より現地での活動許可そのものが取り消される可能性もあります。
それでも声をあげるべき時はあるでしょう。現地に事務所を持たない組織がそれはすることは可能です。しかし現地に事務所を置き、活動をしつつ声をあげることは、その代償として、その地域での撤退を覚悟し、私たちの援助で命や未来をつないでいる人々への活動を停止することを意味します。声のあげ方によって生じる危険については、私たち外国人は国外に退去すればすみます。しかし、現地職員に逃げ場はありません。時にその家族や関係者を危険にさらすことさえありうる。
声をあげることも、現場で支援活動を続けることも、どちらも大切なNGOの活動です。ただし、問題はNGOコミュニティ、NGO界全体としては両方の活動が可能だとして、現実問題として、単独のNGOが双方をすることは限りなく難しいということです。
では難民を助ける会は、どちらを選ぶのか。正解はありません。人権擁護を目的に組織されたNGOであれば、東京やワシントンやロンドンで、声をあげることがその団体の仕事であり、ミッションです。難民を助ける会は、人権侵害に声をあげることの重要性は重々知りつつも、現場で困難な状況にある方、難民の方々に寄り添うことを仕事として、発足した組織です。
このように活動を続けるために、あるいは政治的立場をとらないために、日和見であるとか、保守的なNGOであるとか、そういうご批判はあったとしてもそれを甘んじて受けながら、私たちはこれからも現場で、受益者の方々に寄り添い続けることを選び続けると思います。
もちろん、現場で活動を続けながら、当局に対して是々非々で声を上げていく。いつかそのような組織に成長できたら素晴らしいと思いますが、それには、難民を助ける会の活動が、相応の規模とインパクトをもつとともに、相手方政府が民主主義的国家として成熟する必要があります。その実現可能性がまだ低い今日、私たちは現場にいることを選択します。
NGOの役割とは
では改めてNGOの役割とはなんでしょう。会長就任に際し、改めて私の考える難民を助ける会のNGOとしての役割は次の3点です。
まず第一は、今、困難な状況に直面している人を助け、命をつなぐ。難民を助ける会が設立以来行ってきたことです。しかし、命をつなぐだけでは何も変わりません。そこで第二は、教育支援や職業訓練など、命をつないだその人が自立し、自分自身やコミュニティの未来を築いていけるような、未来につながる支援活動を行うことです。そして第三は啓発とも言えますが、別の言葉で言い換えるなら、「規範起業家(ノーム・アントレプレナー)」であることです。
「社会起業家(ソーシャル・アントレプレナー)」という言葉はよく耳にされると思います。社会起業家は、何か新しい、先駆的な仕事や仕掛けを通じて社会課題を解決し、社会に貢献する方々や組織のことです。他方、「規範起業家」は、まだ社会的に認められていないような争点や価値を、「規範(ノーム)」として社会に訴えていく、それを徐々に社会の潮流とし主流化していく仕事です。
難民を助ける会は、これまでも地雷除去などの地雷対策、障がい者のインクルージョンといった分野で「規範起業家」として活動してまいりました。これを継続するとともに、今必要とされているのは、日本の国際協力や難民支援を「貢献」や特別なことではなくて「当たりまえ」のこととしていくことだと考えます。設立40年を超えるNGOの会長が口にするには、あまりにも平凡かつ初歩的すぎると思われるかもしれませんが、今は、自国中心主義が闊歩する時代です。
国際協力が当然ではなくなりつつある昨今の風潮の中で、改めて「規範起業家」として国際協力を「貢献」でも、「余計なこと」でもなく、国際社会の一員としての「責務」であり「当たり前」のことにしていく役割が、私たちにはあるのではないかと思っております。