長 有紀枝
理事長ブログ第49回:震災から10年 ~ 東日本大震災と「人間の安全保障」(1)
2008年7月よりAAR理事長。2009年4月より立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科特任教授。2010年4月より立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科・立教大学社会学部教授。2019年10月より立教大学副総長(茨城県出身)
記事掲載時のプロフィールです
AAR理事長、長有紀枝のブログです。
東日本大震災の翌年、2012年の末に、私は『 入門 人間の安全保障 恐怖と欠乏からの自由を求めて 』(中央公論新社)と題した新書を出版しました。「ジェノサイドや貧困をなくすために何をすべきか」と帯に書かれたとおり、主として海外の事例をまとめたものですが、第8章として大きく紙幅を割いたのが東日本大震災と「人間の安全保障」です。
ここで取り上げたことは、「1.弱者に集中・しわ寄せされる被害」として、日本の人口構造の特殊性と高齢者の死亡率が高いこと、高齢者同様に高い死亡率を記録した障がいのある方々であること、途上国同様、先進国の被災地でも、女性が負った負担が大きいこと、の四点です。
次に、「2.東日本大震災が可視化させたもの」として、日本で発生した国内避難民問題として、自治体ごと、役場ごと、避難を余儀なくされた福島の方々の二次避難、三次避難、時に四次避難の様子を、一部の構成員に犠牲を強いる社会として、原発で働く被ばく労働者の方々の実態を、そして、官の領域を補完する市民団体の役割として、緊急期に存在感を示した国際協力NGOの活動や、先進国にとっての「人間の安全保障」概念の導入の重要性について述べました。
教科書的な記述も多いことから、この本は、難民を助ける会の理事長としてより、大学教員あるいは人間の安全保障の研究者として、書いたものです。しかし、今読み返してみると、特にこの東日本大震災と人間の安全保障を記した8章は、当時の、そして現在まで続く、難民を助ける会の活動を色濃く反映していることに気づきます。それは、被災した東北の3県、岩手、宮城、福島における障がいのある方々、障がい者福祉施設に対する支援、福島の方々への支援です。
東日本大震災から10年を前にした今年1月、この本の増補改訂版『 入門 人間の安全保障 恐怖と欠乏からの自由を求めて 』(中央公論新社)が発行になりました。初版の発行から8年、データについては全面的に改訂し、文章を書き換え、また新たに書き下ろした新章もありますが、東日本大震災と「人間の安全保障」の第8章については、統計以外、ほぼそのまま残しました。お年寄りや障がいのある方など、弱者に集中・しわ寄せされる被害や、女性が負った負担は、その後の復興過程でも、また東日本大震災後に各地を襲った災害でも、同じことが繰り返されてきたからです。そして、福島の放射能被害も現在にまで及んでいます。東日本大震災を「人間の安全保障」の視点からみる分析は、今でも忘れてはならない視点である、との思いを強くしました。
他方で、増補改訂の作業をする中で、初版の時には考えも及ばなかったごくごく当たり前の事実に気づくようになりました。
それは、「被災者」あるいは「被災地」という言葉で一括りにできないほど、震災から10年を経た被災した方々お一人おひとり、あるいは一家族ひと家族、被災した地域ごとに、復興・復旧のプロセス(過程)も度合いも、今、あるいは今後必要なものも、大切なものも異なる、ということです。
これはコロナ禍に見舞われた現在の社会とも共通しています。立教大学の元同僚の(といっては失礼にあたるほど大先輩ですが)哲学者、内山節(たかし)さんが、新聞連載で、「 「国民」という名の虚構 」という大変興味深い文章をつづっています。少々長いですが、抜粋引用します。
振り返ってみると、今年(2020年)は「国民」という言葉が風化した年だった。「国民の命を守る」とか「国民の生活を守る」というような言葉をよく耳にしたが、ここで語られていた「国民」とは誰のことなのか。コロナの下で背負った課題はさまざまであり、「国民」という言葉でひとくくりにすることができるものではない。国民というひとかたまりでとらえられた人間像は、制度がつくった虚構のように思えてくる。考えてみれば国民という言葉は、政治の上で用いられる都合のいい言葉でしかなかった、国民というひとつの言葉では、まとめることができない人々。それが国民なのである。しかも社会のメンバーには、日本国籍をもたないさまざまな人々がいる。そのすべての人々を視野におさめず、ひとかたまりにされた国民がいるかのごとく発言されると、私たちは国民という言葉自体の虚妄性に気づくことになる。( 『東京新聞』 2020年12月20日付 「時代を読む」 ) |
内山節先生の国民とは誰か、という問いは、拙著『 入門 人間の安全保障 』の中で問うた「人間」とは誰を指すのか、にもつながります。そして、今、東日本大震災発生から10年を前に考えるのは、一体「被災者とは誰か」ということです。
一人ひとり、職業も年齢も性別も家族構成も、被害の度合いも、失ったものの性質や大きさも、故郷への思いも、家族の結びつきも一人ひとり異なる、東日本大震災の被害を受けた人々を「被災者」として一括りにしたのは、政府や政治であり、私たち援助団体かもしれません。
コロナ禍にあって、内山先生のご指摘どおり、「国民」という言葉の醸し出す虚構に私たち「国民」が気づいたように、東日本大震災の「被災者」の方々は、あるいは、福島の原発から逃れた人々は、最初から「被災者」「被災地」という言葉のもつ虚構に気づいておられたのかもしれません。
「国民」「日本人」「被災者」「障がい者」「高齢者」「xx人」そして「難民」。
そうした虚構ともいえる、大きなくくりで、多様で個性ある人間が、ひと塊にされるのは、政治や行政の都合であり、また、これらの言葉は、戦争や大災害・大混乱の発生時など、時代や社会の転換点に登場するのだと思います。
東日本大震災の発生から10年、私たちは「被災者」という言葉を卒業し、被災した方々お一人おひとり、あるいは一つひとつの被災地に特有の課題や未来と向き合う時にきているのだと思います。
もとより政府や都道府県が行うには細かすぎる仕事かもしれません。この10年、誰よりも被災者の方々一人ひとりと向き合ってきたのは、最前線におられる市町村といった自治体の方々であり、さまざまな地縁団体、障がい者団体といった民の組織であったと思います。
「人間の安全保障」が国家の安全保障と異なるのは、脅威が多種多様であることです。国境線を危険にさらす外敵の脅威のみならず、ありとあらゆるものが一人ひとりの人間にとって脅威となります。だからこそ、そうした多様な脅威に対応するために自助や共助、そして市民社会の活動が重要なのだと思います。
難民を助ける会では、2月27日(土)に、「震災から10年、一人ひとりが願う未来の実現に向けて」と題したオンラインシンポジウムを開催します。冒頭で、私が「東日本大震災と 『人間の安全保障』 」と題した基調講演をさせていただきますが、あとに続く、活動報告・パネルディスカッションにご登壇いただくのは、岩手県で障がい者支援に携わってきた奥州市水沢に本部を置く、ひまわり会すてっぷの施設長・小山 貴さん、宮城県で、AARのリハビリ・傾聴活動をともに推進してくださった日本産業カウンセラー協会東北支部養成講座部部長の及川 志保さん、AARが行う西会津わくわく子ども塾にお子さんと一緒に参加くださり、ひまわりの家の居宅介護に関わってこられた福島県相馬市の舘岡 恵さん、東日本大震災の発生2日後から現地に入り、2年にわたってAARの東北事務所長を務め、日本障害者協議会(JD)の理事も務める当会の野際 紗綾子です。
難民を助ける会では、皆さまのご協力、ご支援をいただきつつ、これからも、福島や障がい分野の課題に向き合いながら、一人ひとりが願う未来の実現に向けた東日本大震災被災地支援を続けてまいります。シンポジウムではともに、あの時から、今日までの活動を振り返り、これからの活動につなげてまいりたいと思います。