駐在員・事務局員日記

理事長ブログ第22回「私たちの南スーダン撤退が問いかけること」

2016年01月08日  会長ブログ
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執筆者

AAR理事長
長 有紀枝(おさ ゆきえ)

2008年7月よりAAR理事長。2009年4月より立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授。2010年4月より立教大学社会学部教授(茨城県出身)

記事掲載時のプロフィールです

AAR理事長、長有紀枝のブログです。

新年あけましておめでとうございます。難民を助ける会は、昨年11月から創設37年目の活動に入りました。37年前、ベトナム、ラオス、カンボジアというインドシナ3国から、ボートピープルとして流れ着いた難民を支援するために、文字通り「インドシナ難民を助ける」会として設立されたAAR。当初の目的を達したら、解散する予定でした。しかし、目的を達成する前の1984年、アフリカで飢餓をきっかけに大量の難民が発生したことから、活動の地をアフリカまで広げ、会の名称から「インドシナ」をとって、今日の「難民を助ける会」となりました。以来、今日まで活動を続けています。
そんな中、本日は、残念なお知らせから、新年のブログをスタートせねばなりません。私たちが当初の目的を達したわけでも、私たちが不要とされたわけでも、ニーズがなくなったわけでも、政治情勢が変わったわけでも、資金が払底したわけでもないのに、10年にわたる活動を停止せざるをえなくなった活動地があるからです。
2011年にアフリカの54番目の国として独立した世界で最も新しい国、そして安全保障法案が成立し、日本の自衛隊がPKOの枠組みで唯一活動する、南スーダンにおいてです。

難民を助ける会では、2006年以来、約10年にわたり同国の東端に位置し、南をウガンダと、南東をケニア、東をエチオピアと接する東エクアトリア州の、特にカポエタやその周辺において、保健医療や、井戸や給水施設の建設、それら施設のメンテナンスなどを継続的に行うための組織作りなどソフト面への支援も行ってきました。難民の帰還を側面から支援するためです。
しかし、「ジャパン・プラットフォームの助成を受けた南スーダン緊急支援2014(緊急2期)」事業が完了した2015年11月末をもって、当会の南スーダン事業を終了し、その後、事務所の閉鎖に伴う現地職員の解雇手続きや資産処分などの残務処理を行い、12月中旬をもってカポエタから撤退致しました。これまでの活動につきましては、現地職員が独立して新たなNGOを作るなどの現地化ではなく、これまで協力して活動を行ってきた、カポエタの郡役所に引き継いだ形です。
撤退の原因は治安ですが、治安の悪化ではありません。2013年12月中旬、政権内の主導権争いが騒乱に発展。再び230万人を超える人々が国内避難民や難民となる事態となりました。これを受けて邦人職員は一度ケニアに退避し、以来、カポエタに戻る準備をしつつ、現地職員に業務を任せる遠隔管理方式で事業を実施してきました。
その後、南スーダンは、地域的には徐々に安定を取り戻し、少なくとも難民を助ける会が活動を展開する東エクアトリア州については、国連機関や欧米のNGOは活動を再開し、当会の治安分析結果でも、日本人が活動することに何ら問題はありませんでした。しかし、助成をいただいている外務省のご指示で、安全管理の側面から邦人職員の駐在が制限されました。以来、ケニアからの遠隔管理方式でなんとか運営してきましたが、資金管理や事業の質の担保、事業実施にかかる安全管理などの観点から、現地に駐在員を置けないまま、これ以上活動を継続することは困難と判断し、閉鎖に至ったものです。
決定から、1年近くを要しての閉鎖でしたが、あまり前々から閉鎖について広くお知らせすると、強盗に襲われるなど犯罪の対象になるリスクが高まることから、知らせる先は必要最低限に抑え、昨年4月ごろから、慎重すぎるほど慎重に、少しずつ閉鎖プロセスを進めてまいりました。
それ故、大変ありがたく、また心苦しいことに、南スーダン・東エクアトリア州知事より、在南スーダンの日本大使館あてに、AARのカポエタでの活動が終了すると聞いたところ、是非活動を継続するよう協力願いたいとの陳情があり、また国連の関係者の方々からも、これまでのAARの活動について大変高く評価しており、活動の終了は大きな損失になるので何とか翻意してほしいとのご伝言もいただきました。

私たち自身、日本人なしに活動を継続する現地化も、繰り返し検討をいたしました。しかし、カポエタには資金を送金できる銀行もなく(事業に必要な現金を誰かが運ぶしかありません)、南スーダンは独立まで長い期間内戦を経験したこともあり、マネジメント業務を確実にこなせるような、高等教育を受けた人材は、多くが国外に出ているか、首都ジュバに集中しています。南スーダンには60以上の民族がいるといわれていますが、民族によっては、歴史的にあつれきもあります。AARカポエタ事務所でも、民族の違う職員が一緒に働いていました。事務所運営にたけた南スーダン人不在の中で、事業の統括を担当する、外国人であるケニア人への反発心も根強く、カポエタ事務所も日本人駐在員がいることでバランスを保てていた側面もありました。こうした状況を総合的にみて、現地化は難しいと判断しました。

駐在代表を務めていた角谷亮さんは、「2013年12月の騒乱でも明らかとなりましたが、南スーダンでは中央・ジュバの平和なくして周辺地域・他州の平和を達成することは不可能である一方、周辺地域の平和なくして中央の平和も不可能です。そして周辺地域での平和の達成には、現在の東エクアトリア州の地域行政や地域住民の財政的、人的資源を考えると、日本を含む国際社会からの支援は必要です。このような重要な時期に当会が撤退することになり非常に残念」と胸の内を語っています。

角谷さんのいうとおり、南スーダンの安定や難民となった人々の帰還のためには、首都ジュバの平和とともに、地方の平和が不可欠であり、カポエタに限らず、日本人駐在員の地方常駐は、オールジャパンとして南スーダンへの支援活動を成功させるためにも必要な取り組みだと考えます。しかし、邦人の安全管理の面から、首都であるジュバ以外の、日本人駐在員の常駐は許されていません。

「ぜひ、日本のNGOに活動してもらいたい。しかし、日本という社会においては、危険地でNGOが活動することに世論の支持が得られないので入域制限をかける。日本人が入らないなら活動を許可する」、というのが日本政府のお立場なのだと思います。「手足は縛るけどフルマラソンを走ってください、と言われているのと同じようなもの」とは海外事業部長の名取郁子さんの言葉です。

もうすぐ後藤健二さんの殺害事件から1年がたちますが、明らかに、後藤さんの事件以来、NGOの活動が「許される」治安の幅も狭められているように思います。私たちは、援助団体が誰も入らない危険地での活動を希望しているのではなく、国連機関や、国際機関、日本以外の国々のNGO(もちろん、経験のある団体に限られますが)が、それぞれ国際職員を置き、活動している現場での活動を強く希望しています。

日本のNGOや経済界、外務省により構成されるジャパン・プラットフォーム(JPF)のメンバーとして、以下のJPFの安全5原則も遵守した上での行動です。

JPF安全5原則(「安全確保のための諸措置等」)

  1. 紛争地域における緊急人道支援活動の実績のあるNGOが、経験を有するスタッフのみによって活動する。
  2. 当該地域において、国際人道機関の国際職員が活動しており、当該NGOが国際人道機関と密接な協力体制下にある。
  3. 治安情勢が悪化した場合に備え、撤退計画を事前に作成し、外務省に提出する。
  4. 在外公館、本省との連絡体制を構築し、必ず毎日最低一回は連絡を取る。
  5. 活動に伴う危険を十分に認識した上で、NGO自らのリスクで活動を行うことを再確認する。

国連の予算は各国に義務的に割り当てられる分担金(通常予算,国連PKO予算及び旧ユーゴスラビアとルワンダ国際刑事裁判所予算)と各国が政策上の必要に応じて拠出を決定する任意拠出金から構成されていますが、2016年~2018年度の国連分担金は、日本は景気の動向から大きく減額となり、10%を切る負担率となるものの、米国についで引き続き世界2位の高水準を維持してはいます。任意の拠出金でも、景気の後退から日本の拠出額は落ちてはいますが、それでも日本は、開発・人道の分野で世界有数のドナー国です。

現在、日本政府がとっている方針、つまり、国際社会から必要とされる、紛争地を始めとする危険地での活動は、国連に任せて、日本人、日本のNGOは危険な場所へは近づけないという姿勢、日本人の命だけを守ろうとする姿勢を、私たちはどのように考えたらよいのでしょうか?

大変大きな課題を含んでいるこの問題ですが、本日のブログは、問題提起のみとさせていただきます。 

(2016年1月8日、同1月12日修正)

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