長 有紀枝
理事長ブログ第32回「『世界難民の日』に寄せて~トルコ出張報告②」
2008年7月よりAAR理事長。2009年4月より立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授。2010年4月より立教大学社会学部教授(茨城県出身)
記事掲載時のプロフィールです
AAR理事長、長有紀枝のブログです。
6月20日は、「世界難民の日」(World Refugee Day)。難民の保護と援助に対する世界的な関心を高め、国連機関やNGOによる活動に理解と支援を求めるために、2000年に制定されたものです。第二次世界大戦後最悪と言われる難民、国内避難民の数は、現在世界で6500万人を超えています。
こうした中で日本は何ができるでしょうか。日本政府は、先のG7伊勢志摩サミット、そして、その直前に開かれた世界人道サミットに際し、「中東地域安定化のための包括的支援」策を打ち出しました。その具体的取り組みの一例として挙げられたのが、「シリア人留学生受け入れ」です。シリア危機により就学機会を奪われたシリア人の若者に教育の機会を提供し、将来のシリアの復興を担う人材を育成する観点から、JICAの技術協力と国費留学制度を活用して、年間で前者が20名、後者が10名、5年間で最大150名のシリア人留学生を受け入れる、というものです。
シリアでは多くの学校が破壊され、あるいは閉鎖され、難民となって逃れた隣国、トルコやヨルダン、レバノンでは高等教育はおろか初等教育さえままならない状況です。欧州に逃れ、欧州で高等教育を受ける機会に恵まれるシリア難民もいるでしょう。しかし彼らが将来帰国するかは不明です。将来シリアで和平が成立したとしても国を背負う若者がいないことになります。2011年のシリア危機発生以来、この5年、ほとんど学校に通うことができず、母国語も避難先の言語もともに読み書きのできないシリア人の子どもたちが大勢います。まさに一つの世代が「失われた世代」になろうとしているのです。
AAR Japan[難民を助ける会]のトルコ事務所にも、アレッポ大学の日本語科で学んだ卒業生がおりますが、こうした状況下で打ち出された留学生の支援は、「難民としてではなく、留学生として学びたい」という切実な声に答え、将来のシリアの復興を担う人材を育成する観点からも大きな意味ある支援です。
他方で、トルコでは、人口の3%にも上る270万人を受け入れています。単純な数字の比較は意味がないとしても、あまりに開きのある数字です。ただ、日本政府がより大規模な受け入れを表明できないのは、景気の低迷もさることながら、私たち国民に、その受け入れの素地がない、という判断かもしれません。他方で、「日常を破壊する『異物』は嫌だ、排除したい」と願うのは、欧州の移民や難民の排斥運動を見るまでもなく、程度の差はあれ、人間がもつ普遍的な感情かもしれません。多くのあるいは一部の日本人が、難民の受け入れに対して抱く否定的な感情は、日本人特有の「島国根性」などではなく、難民受け入れ国や地域が抱く、ごくごく普通の感情と言えるのかもしれない、そんなことを、先日のトルコ出張の際に感じました。
AARの事業地の一つ、シャンルウルファ県はシリア難民の最大受入国であり、また現在世界最大の難民受け入れ国トルコの中でも、最も多くのシリア難民を受け入れている県です。そのウルファ事務所で夕食をともに取りつつ、シリア人とトルコ人職員と3人で雑談になった時のこと。今ではすっかり同僚として打ち解けているトルコ人職員がシリア難民の職員に向かって言いました。
「実を言うと自分は、難民に対して、かなり偏見を持っていた。難民が押し寄せると仕事がなくなるし、犯罪が増えて治安が悪くなると思っていたから」。
思わずシリア難民の職員を見ると、驚いたことに、難民である彼自身が、うなずきながら「よくわかる」と言います。「シリアにいたころ、イラクから大量の難民が来たときに、まったく同じことを考えていたから、トルコやヨーロッパの人の気持ちがよくわかる」と言うのです。
現在、世界最大の難民発生国であるシリアですが、シリア危機が発生する前年、2010年時点では、世界の3大難民受け入れ国の一つでした。2010年の統計では、アフガニスタンとイラクが世界最大の難民の出身国であり、それぞれ、総人口の1割に当たる約300万人、6%にあたる170万人の難民を出していました。そして、これらの難民の多くが周辺国にとどまり、その結果、パキスタン(190万人)とイラン(110万人)、シリア(100万人)の3カ国が2010年時点で世界の3大難民受け入れ国だったのです。
のみならず、イラク難民が流入したシリア、ヨルダン両国は60年以上にわたり何十万人ものパレスチナ難民を受け入れており、イラク難民の大量の流入は両国にとってさらなる経済的・社会的負担となっていました。
その世界三大難民受け入れ国の国民として、難民とともに、暮らしていた人々が、現在難民となっています。
先のシリア人職員が言います。「今、自分は両方の立場を経験したから、受け入れ側の疑心暗鬼や難民は『お荷物』と思う気持ちも、ほかに行き場のない難民の気持ちも、両方ともよくわかる」と。
私たちは彼らに、そして世界で6500万ともいわれる難民や国内避難民に、一体何ができるでしょうか。最大の解決策は人道支援ではなく、政治的解決であるとしても、トルコで話を聞いたシリア難民、そしてイラク難民一人ひとりに、とても「難民」「シリア難民」という言葉ではひとくくりにできない、そして看過できない、それぞれの物語がありました。
トルストイの小説『アンナ・カレーニナ』の冒頭にこんな一文があります。「幸福な家庭はどれも似かよっているが、不幸な家庭は、それぞれに大きく異なる」というものです。
シリアと国境を接する地域で、話を聞いたシリア難民一人ひとりに、一軒一軒のお宅に、言葉にならない物語があり、それぞれ感情移入していると、正気を保てないのではないかと思うほどです。
私自身、「想像力を」といつも授業や講演で口にします。しかし、こうした現状を見るにつけ、つらいことに関しては、あまり想像力を働かせないことが、自分のこととして捉えないことが、人間が人間として生きていくための防御本能なのではないかとさえ思います。現に、AARのトルコの事務所では、こうしたシリア難民の窮状に日々触れる、AARの現地職員の心のケアも大きな課題となっています。
もう一つ、今回のトルコ出張で忘れられない一コマがあります。
AARが運営するコミュニティセンター(CC)のトルコ語教室でのこと。自身が、ラッカからの難民であるシリア人職員が「まったく上達しないけれど、とっても熱心に通っている50代の男性がいる」と教えてくれました。年齢の近い私が、「新しい言葉を覚えるのがきびしい年齢じゃないかと思う」と口にすると、「年齢ではない」とまだ20代の彼女は断言します。
「私も、難民になってトルコに来てから、自分が自分でなくなった気がする。シリアにいるときは、いろいろなことを記憶できたし、何でも、てきぱき仕事ができた。それが今は、モノを覚えられないし、以前の自分のように、さっさっと動けない」
何百万人というシリア難民の方々が、家族・親族を失い、友人を失い、家を失い、故郷を失い、過去に何世代にもわたり築いてきた財産を失い、仕事を失い、日常を失い、将来への希望を失い、またある方は、体の自由を奪われました。
今までと同じでいられるはずがないのです。
本日のブログ、冒頭で「日本人として何ができるだろう」と、自分で投げかけた問いの答えとなってはいませんが、難民となった方々の生活が「異常」なのではなく、平和な国に暮らす、私たちの日常こそが「特異」なのかもしれないと思うほど、世界は紛争や困難に満ち満ちています。やはり、最低限、想像力を捨て去らず、思いを馳せることを怠ってはいけないと思うのです。そして、日本のNGOとして、「世界の難民問題を他人事にしない」というご支援くださる皆さまのお気持ちを、現地に届けてまいりたいと思います。
(2016年6月20日 「世界難民の日」に)