長 有紀枝
理事長ブログ第38回「トランプ米大統領の難民に関する大統領令に思うこと」
2008年7月よりAAR理事長。2009年4月より立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授。2010年4月より立教大学社会学部教授(茨城県出身)
記事掲載時のプロフィールです
AAR理事長、長有紀枝のブログです。
トランプ米大統領は、就任からわずか1週間後の1月27日、「外国テロリストの米国入国からの国家の保護」("Protecting the Nation From Foreign Terrorist Entry Into the United States")と題した難民・移民に関する大統領令に署名しました。「米国第一主義」に基づくこの大統領令は、中東・アフリカ7ヵ国の全ての人の90日間の入国停止、新たな審査制度が整備されるまでの間、すべての難民の120日間の受け入れ停止、シリア難民については、期限さえ示されず、トランプ大統領が「審査手続きに十分な対策が取られた」と判断するまで受け入れ停止、という極めて排外主義的なものです。名指しされたのは、シリア、イラク、イラン、スーダン、リビア、ソマリア、イエメンの中東・アフリカ7ヵ国。AAR Japan[難民を助ける会]の活動地や支援している難民の出身地を含みます。
これを受け米国各地の国際空港で大きな混乱が起き、全米各地で多様性を訴える大規模な抗議デモが続いています。トランプ大統領が、名指しで受け入れ拒否を表明した国々はじめ、フランスやカナダ、また国内でも、世界各地の優秀な技術者や研究者を雇用しているIT企業や先端企業、大学、大リーグやプロバスケットボールなどスポーツ界も抗議の声を上げています。
こうしたニュースに接し、難民問題にかかわってきた人間として、大変複雑な感情とともに、いたたまれなさを感じています。トランプ大統領のこの政策は受け入れ難いものです。しかしこの政策に、正面から反論し、異議を唱えられるのは、米国の国民と、難民・移民を多数受け入れている国の政府や国民・メディアだけではないでしょうか。
安倍晋三首相は1月30日の参議院予算委員会で、この大統領令について「米国政府の考え方を示したもので、コメントする立場にない」と述べています。これに対し野党から「日本にもどういう影響がでるか注視すべき。思考停止ではないか」「コメントする立場であり、まともにものをいえない政権でよいのか」という批判が相次いだという報道もあります。日本政府は、米政府に対し難民受け入れを強く申し入れるべきだというNGO関係者の声があることも伝えられています。
私も、心情的には全くそのとおりだと思います。しかし、冷静に考えれば、日本政府ではなく、私たち日本国民の側に、難民を受け入れようという幅広い合意やコンセンサスが形成されているとはいいがたく、安倍首相がコメントできる立場にないというのは、しごく、当然のことだとも感じます。
トランプ大統領のこの難民に関する大統領令は、2017年の会計年度中に5万人以上の難民受け入れは米国にとって有害だとし、オバマ前政権の掲げた11万人の受け入れ目標を半減させるとしています。11万人から5万人以下とは、あまりに極端な削減ではありますが、この数字を前に複雑な思いは一層つのります。
排外主義、米国第一主義のトランプ大統領が難民受け入れ制限をして打ち出した「5万」という数字は、法務省が発表した日本の2015年の難民受け入れ実績125名の実に400倍です(法務省「我が国における難民庇護の状況等」によれば、難民及びその他の庇護合計125名の内訳は、ミャンマーからの第三国定住難民19名、認定難民27名、難民不認定とされたものの、人道上の配慮を理由に在留が認められた79名)。
もちろん、日本と米国とでは、建国の歴史や国の成り立ち、社会の構成員や情勢などあまりに異なり、いたずらに数字を並べて同列には論じることはできません。しかし、私たちは、あの、トランプ大統領の400倍も、排外主義的で、閉鎖的で、自国第一主義の国民なのでしょうか。
「42.195キロのマラソンに挑戦する」と宣言した人が、誰でも1ヵ月後に走れるようになるわけではありませんが、運動不足の塊でランニングなどしたことはない、という人でも、「いつか42.195キロに挑戦する」という目標を立てることはできます。同様に、東京五輪の開催国として、国際社会にしかるべき地位を占めようという国の政府として、一定数の難民受け入れを表明し、多様性を尊重する社会を目指す、と宣言することはできる筈です。マラソンが完走できるようになるまでの期間が、ランナー一人ひとりの体力や経験によって異なるように、目標達成に至る道はさまざまです。一気に数万、数千単位の難民を受け入れることを意味しません。
国民の合意形成を図りながら、人道的に配慮が必要な人々、治療やリハビリが必要な子供たちとその家族などを優先的に、第三国定住という形で受け入れるなど、身の丈にあった貢献策・受け入れ策を講じれば、たとえそれが、10人からでも、大きな意味がある筈です。
難民の受け入れについての姿勢を問うことは、国の形を問うことでもあるように思います。私たちはどんな国で生きていきたいでしょうか。どんな国の国民でいたいでしょうか。どんな国で死にたいでしょうか。それが問われているように思います。トランプ政権の難民・移民政策を目の当たりにしつつ、私たちが指先を向けるのは、米国ではなく、私たち自身であるように思います。
(2017年1月31日)