長 有紀枝
理事長ブログ第41回「対人地雷禁止条約署名式から20年 ― 新たな脅威に対抗して これまでも、そしてこれからも」
2008年7月よりAAR理事長。2009年4月より立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授。2010年4月より立教大学社会学部教授(茨城県出身)
記事掲載時のプロフィールです
AAR理事長、長有紀枝のブログです。
2017年12月3日は、1997年12月3日にオタワで行われた対人地雷禁止条約の署名式から20年の節目にあたります。そして、「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)が、核兵器禁止条約(核禁条約)の採択に主導的な役割を果たしたとしてノーベル平和賞を授与された12月10日は、まさにAAR Japan[難民を助ける会]もメンバーである、世界の千を超えるNGOの連合体「地雷禁止国際キャンペーン」(ICBL)がその世話人ジョディ・ウィリアムズさんとともに、対人地雷禁止条約の成立に主導的役割を果たしたという、まさに同じ理由で、ノーベル平和賞を受賞して20年の節目でした。私もICBLの日本のメンバーとしてご招待いただき、世界中の仲間や被害者の方々とともに授賞式に参加させていただきました。その日のことをまるで昨日のことのように思い出します。
ノーベル平和賞を非常に政治的と評す人がいます。しかし、そうした批判は当たらないと考えています。ノーベル財団は、国民の血税が投入された一国の政府機関でも、国連組織でもなく、北欧の一財団にすぎません。その私的な財団が、独自の平和観と世界観に基づいて、自らの信じる価値観のもとに選考した人物や団体に授与するノーベル平和賞ですから、彼らの世界観、平和観が投影されるのは当然のことです。その意味で、ICBLの受賞からちょうど20年後、人道的価値を優先し、志を同じくする有志国とNGOがパートナーシップを組んで、全会一致のシステムから抜け出して全面禁止を目指すという手法を再び体現したICANが受賞したことは決して偶然ではないはずです。ICBLの一員として、心からお祝いを申し上げたいと思います。
他方で、ICANの受賞は、世界で唯一の戦争被爆国の国民として、また長らく核兵器の廃絶を訴えてきた国の国民として、苦い思いを抱かずにはおられません。北朝鮮の脅威があろうと、米国の核の傘の下にあろうと、核兵器国と非核兵器国双方をつなぐ役割を担っていようと、その唯一無二の絶対的な経験をもつ日本が、「核廃絶というゴールは共有しているがアプローチが異なる」という理由で、この条約に背を向けたことは、遺憾や残念という言葉だけでは、到底、言い表すことはできません。このことは、戦後70年間、日本が歩んできた道を、改めて問い直し、見つめ直し、振り返り、「一体、私たち日本人とは何者なのか」という極めて重要な問いを提起しているように思えます。
日本政府が長らく、外交政策や国際協力の重要指針の一つと位置付けてきた概念に「人間の安全保障」があります。国家の安全保障のみならず、一人ひとりの人間に重きを置く「人間の安全保障」の考え方を、「本能的常識」と表現したのは、緒方貞子・元国連難民高等弁務官・元国際協力機構(JICA)理事長です。
この「本能的常識」は、「人間の安全保障」を日本に導入した故・小渕恵三元首相の、対人地雷に関する発言や政策にも共通しているように思います。1997年9月18日、オスロで開催中の対人地雷禁止条約の起草会議において条約案が採択されると、その翌日閣議後の記者会見で小渕外務大臣(当時)は、「カンボジアの地雷除去に協力する一方で、条約は認めないというのは、
対人地雷の全面禁止について日本政府がその立場を明らかにしたのは、1996年リヨンサミット直前です。橋本龍太郎首相(当時)が「我が国の対人地雷全面支持の決定について」を発表、対人地雷の全面禁止に向けた国際的努力を支持するとともに、自己破壊装置を有する対人地雷への改修等、全面禁止合意までの自主的措置を講ずる旨を発表しました。リヨンサミットにおいても地雷の規制とともに、除去活動や被害者の支援などへの取り組みの強化を表明、翌97年の早い時期に地雷除去と被害者支援のための国際会議を東京で開催することを提唱。続く12月には早期に全面禁止条約実現を勧告する国連決議の共同提案国88ヵ国の一つとなっています。
こうした度重なる全面禁止支持の発表にも関わらず、日本は全面禁止条約の策定交渉「オタワプロセス」に対して消極的対応に終始しました。対人地雷問題解決のために全面禁止という目的は支持するが、日本の防衛政策上、対人地雷は不可欠であり、留保も例外も認めず、賛同国だけで禁止条約をという過程は支持できない。真の解決を目指すなら、中国・ロシアなど地雷大国を巻き込んだジュネーブ軍縮会議(CD)で、より普遍的な条約つくりを目指すべきとの立場からです。しかし、一度脱退した筈の「オタワプロセス」に、オスロ会議直前に参加を表明、にもかかわらず、会期中はアメリカとともに、例外・留保条件の不可や発効の猶予などを主張し、アメリカ追随策との批判もありました。
そうした流れを一変させたのが先の小渕外相(当時)の発言です。
現在、「人間の安全保障」概念は、外交政策の柱というより、ODAの柱にとどまっているといえます。しかし小渕政権は、国家ではなく、一人ひとりの人間を根本におく「人間の安全保障」概念を、ODA政策を越え、外交政策そのものに反映させた政権であり、安全保障の領域で、米国が加入しない全面禁止条約に加入した対人地雷政策は、その方針がもっとも如実に表れた例ということができると思います。
過度に傷害を与え、無差別に効果を及ぼすことがあるとはいえ、通常兵器、それも周辺兵器である対人地雷と、核兵器の価値は比べるまでもなく、同列に論じられる類の兵器ではない、というご指摘はもちろんあるでしょう。しかし、それでもなお、兵器の規制、廃絶に対し、同盟国米国が一貫して反対の立場をとり続ける対人地雷の廃絶に、日本独自の立場を貫いた経験は、日本の今後に、一つのヒントを与えているように思えてなりません。
最後に皆さまに、私たちの地雷問題に対する取り組みのこれまでとれから、そして現在の課題についてご報告させていただきます。
1997年にAARが出版した地雷廃絶キャンペーン絵本「地雷ではなく花をください」(絵・葉祥明、文・柳瀬房子、自由国民社)はその後5冊のシリーズとなり、総計62万部を販売する絵本としては異例のベストセラーとなりました。この絵本の収益に、皆さまからのご支援、そして日本政府・国連機関の助成金を加え、AARは、これまで、アフガニスタン、カンボジア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ、ミャンマー、ラオス、パキスタン、モザンビーク、スーダン、ザンビア、アンゴラ、グルジア、シリアで地雷・不発弾対策(地雷・不発弾の除去、回避教育)、被害者支援活動を行ってきました。
これまでに、AARがHALO TrustやMAGなどパートナー団体とともに除去した地雷は13,641個、不発弾は37,923個にのぼります。これにより、29,743,510㎡の地雷原が安全な土地に生まれ変わりました(この広さを何かに例えてわかりやすくお伝えすることを考えましたが、1m幅の棒を使って、それを少しずつ前進させながら作業した除去要員の姿を思い出し、あえて㎡表記とさせていただきました)。
また、ミャンマーとカンボジアの職業訓練センターを修了した地雷被害者などの訓練生は2200名を超えました。この地で暮らす子どもたち、そして地域住民にAARの回避教育チームが直接、あるいはテレビやラジオ教材を通じて間接的に、地雷の危険と回避の仕方を伝える地雷回避教育を行った人の数は、およそ100万人に上ります。
個人的なことですが、AARのカンボジア事業を通じて対人地雷問題の悲惨さを目の当たりにしたのは1990年代初頭のことです。そして、対人地雷に直接かかわる事業を行いたいと準備を始めたのが1995年。ですが、そのときは、ときに砂漠に水を撒くような私たちの難民支援活動の中で、たとえ1個でも地雷を取り除くことができれば、確実に1人の人の命や足が救われる、1個でも取れれば成功ではないか、という手探りの事業開始でした。しかし、以来22年、皆さまのご支援のおかげで、除去できた地雷と不発弾と同じ数、少なくとも、52,164人の方々の命や手足が救われたことになります。20年の成果として、ここに皆さまにご報告いたしますとともに、心からご支援に御礼を申し上げます。
世界に目を転じれば、対人地雷禁止条約の署名式から20年、いまだ35ヵ国が未加入とはいえ、これまでに世界の諸国の8割にあたる162ヵ国がこの条約に加入しました※。5100万個以上の地雷が除去され、30の国や地域で除去が完全に終了しました。1990年代、1日70人、年間2万4千人以上といわれた被害者の数も地雷対策が進んだことにより、2000年には約8千人に,2012年には約3,600人に減少しました。
しかし、まだまだ課題は山積しています。
12月14日に発表されたICBL 「ランドマインモニター2017報告書」(日本語版要約は、地雷廃絶日本キャンペーン(JCBL)HPをぜひご覧ください)によれば、現在も61の国や地域が地雷で汚染されています。過去1年間、条約締約国による使用はないものの、地雷禁止条約未加入国である、ミャンマーとシリアで新たな地雷の埋設が確認されています。そして、シリアからトルコへ、そしてミャンマーからバングラデシュに逃れた難民の方々の中にも、地雷の被害者が含まれています。その結果、減少傾向にあった被害者が、過去数年間増加に転じ、2016年1年間で年間8千人の被害者が確認されています。これは、ランドマインモニターが調査を開始した1999年の9,228人に次いで、最も多い被害者数です。
紛争の終結をひたすら待ち望んでいた人々や子どもたちが、紛争の終結後に、あるいは命からがら、祖国の戦火を逃れ、必死で隣国へと逃げていく難民の方々の命が、対人地雷で奪われてゆくことを私たちは黙ってみていることはできません。また、20年にわたり、私たちAARや世界中のICBLの仲間が地雷対策を行ってきたといっても、今年、新たに地雷被害者となってしまった子どもたち、犠牲となった方々やそのご家族にとっては、そうした事実は、きっと何の意味ももたないでしょう。
対人地雷問題に対する私たちの姿勢は、活動を始めた1995以来変わりません。地雷問題の解決には包括的取り組みが必須です。すでに埋められた対人地雷や不発弾の除去、被害を受けた方々に対する社会経済的復帰の支援、子どもたちや地雷原に住む人々が新たな事故にあわないための地雷回避教育、そして新たな地雷が埋設されないための地雷禁止条約の普遍化と遵守の徹底。こうした幅広い取り組みを通じて初めて、地雷原で生きる子どもたちや人々の安全と安心が確保されるのです。
「大人になった自分の絵を描いてごらん」と言われて片足のない自分の姿を描いたカンボジアの子どもたち。そんな子どもたちが世界からいなくなりますように。そうした思いで私たちはこれからも、現場に足を置く国際NGOとして、対人地雷問題に取り組んでまいります。どうぞ皆さま、引き続きお力をお貸しください。
※2017年12月13日、スリランカが地雷禁止条約の加入書を国連に寄託したことにより、163番目の締約国となりました。同条約の定めに従い、効力の発生は、6ヵ月後の最初の日、2018年6月1日です。これにより、南アジアで地雷禁止条約に加入していないのは、インド、パキスタン、ネパールの3ヵ国みとなりました。 これら3ヵ国はいずれも地雷汚染国です。 |
(2017年12月15日)