長 有紀枝
理事長ブログ第44回「天皇陛下の御退位に際し」
2008年7月よりAAR理事長。2009年4月より立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授。2010年4月より立教大学社会学部教授(茨城県出身)
記事掲載時のプロフィールです
AAR理事長、長有紀枝のブログです。
天皇陛下の御退位に際し、AAR Japan[難民を助ける会]を代表しこれまでの天皇・皇后両陛下のお心寄せに衷心より御礼申し上げます。
皆様ご承知のとおり、難民を助ける会は昭和54(1979)年、故・相馬雪香前会長が、いかなる後ろ盾もないまま、「困ったときはお互い様」、「日本人が古来示してきた善意の伝統」を、身近な人のみならず、インドシナ難民の方々にも示していこう」と設立した組織です。当時は、NGOの活動に対する公的助成金の制度もなく、また不偏不党を旨として特定の組織や団体からの支援も受けていない団体の活動は、皆様からの募金のみが唯一の活動資源でした。
日本全国に募金を呼びかけると同時に、難民を助ける会が設立以来大切にしてきたのが、チャリティ・コンサートによる自助努力です。
こうした活動に対し、両陛下は、東宮(皇太子・皇太子妃)の時代から、深いご関心と理解を寄せられ、難民を助ける会主催のコンサートにも幾度もお出ましくださいました。
日本に命からがらボートピープルとして逃れてきたベトナム難民をはじめとするインドシナ難民の学生に、大学や大学院に進学するための奨学金が付与できましたのも、皆様からのご寄付とともに、こうしたコンサートの収益があったからこそです。
その後も、旧ユーゴスラヴィア難民、クルド難民、地雷対策、障害者支援、神戸の震災、東日本大震災など、難民や障害者、被災者の方々のための数多くのコンサートにお出ましくださり、終演後は、出演者にお声がけくださるとともに、当会の海外派遣の駐在員や職員、そして多くのボランティア、一人ひとりにねぎらいのお言葉をおかけくださいました。
新聞記事を通じてお知りになられた当会の活動に対してもお心をお寄せくださり、AARが毛糸のモチーフを集め、ひざかけとして旧ユーゴにおくるキャンペーンを行った際に、皇后陛下は、自ら編まれたモチーフをおおくりくださいました。平成23(2011)年にトルコで地震被災者の支援にあたっていた当会のチームがホテルの倒壊に巻き込まれ、宮崎淳さんが亡くなり、1名が負傷した事故ではお悔みとお見舞いのお電話を頂戴しました。
そのお声がけの一言ひとことに、私たちがどれほど多くの励ましをいただいたかは言葉にするのも難しいほどです。
また、平成20(2008)年初夏、相馬前会長が96歳で逝く3ヵ月前のことですが、相馬前会長が会長職を退き、柳瀬房子前理事長が会長に、私が理事長になった折に、私ども3名を御所にお招き下さり、天皇陛下もご同席の上で午餐を賜りました。その後、皇后陛下は、体調を崩した相馬会長をお見舞いくださり、お別れ会の折には白いカラーのお花とともにご参列くださいました。
青少年赤十字の活動で古くご縁のあった吹浦忠正現顧問を通じ、難民問題や地雷問題はじめ、さまざまなテーマについて、ご進講の機会も賜りました。また、他の皇族の方々とも、ご進講やご懇談の機会を数多くご高配くださいました。
こうした機会を通じ、私どもは両陛下の、日本や、世界が直面する深刻な社会課題に関するお考えやお気持ち、そして何より、お人柄に触れさせていただくという、大変貴重な機会を賜りました。
昭和・平成の時代を通じ、難民支援、地雷対策、災害で被災した方々への支援、障害のある方々への活動支援にお寄せくださいましたご厚情に、衷心より厚く、深く御礼申し上げます。
平成31年4月27日 難民を助ける会理事長 長 有紀枝
両陛下御来臨の記録(東宮時代を含む) |
1979(昭和54)年 |
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