東京事務局
藤本 矩大(のりひろ)
ザンビア:消え入りそうな灯をともし続けられるように
民間企業勤務や留学を経て、2011年からAARへ。南スーダンや東北事業、トルコ緊急⽀援などに携わる。 2017年に⼤学院進学のため休職し、 2019年に復職。ザンビア事業などを 担当。
記事掲載時のプロフィールです
2018年7月、ザンビア・メヘバ事務所駐在代表だった直江篤志さんは、休暇中に訪れたトルコでマラリアを発症し、永眠しました。彼を同期として慕っていた東京事務局の藤本矩大が、出張でメヘバ事務所を訪れたときの心境をつづります。
中途採用では、職場に同期と呼べる同僚がいないことも珍しくありませんが、同時期に入職した職員には、同期と近いものを感じることがままありました。彼らの多くはすでにAARを去り、新天地で活躍しています。2018年7月、その一人であるザンビア・メヘバ駐在代表だった直江さんが、休暇中にトルコでマラリアにより永眠しました。
私は2011年にAARに入職し、海外の大学院進学のため2017年末に休職、修了後の2019年10月に復帰しました。その後、2020年8月ごろからメヘバ事業の担当となり、同年12月からメヘバ事務所に出張し、約3ヵ月間を過ごすこととなります。滞在中、時折直江さんの存在を感じることがありました。
メヘバ事務所は、直江さんが建てたものです。
彼が駐在前や一時帰国中に、東京事務所で建物のレイアウトや配線図を、夜遅くまでデザインしていた姿を思い出しながら、彼が過ごしていた宿舎に泊まり、彼が腰かけていた事務所のイスに座り、業務にあたる。彼が採用した現地スタッフから、彼がメヘバでどういう人物だったのかを聞く。
料理が得意で、みんなにふるまうのが好きだった彼が、事務所近くの難民が営む商店で、野菜やらを大量に買っていたこと。困ってる状況をほっておけない性格で、器用でもある彼が、どこかのぼこぼこな道路を、直したこと。どうやら地域の人のなかでも有名だったらしい。そのエピソードのすべてが、なんとなく彼らしいと思えるものでした。
今回のメヘバ出張は、業務上の調整によるもので、偶然にすぎません。ただ、それを自身で解釈し、考え、私なりの意味を与えることはできます。直江さんがマラリアに罹患した当時、留学中だった私は、「もし自分がまだAARで仕事をしていれば、何かしら貢献できたのでは」と考えたこともあります。そのわだかまりは消えるものではありませんが、今回のメヘバ出張で、自分の中で止まっていた何かが少し動いたような気がします。
AARのメヘバでの活動は、これからも続きます。直江さんの遺志を引き継ぎ、地域の人々の生活を支え続けることは、残された私たちの揺るぎない使命といえます。
*ザンビア北西部のメヘバは、国内最大の難民居住地の一つ。2002年に約30年続いたアンゴラ内戦が終結後、ザンビアに避難していたアンゴラ人1万人近くは、さまざまな事情で同国に残り、「元難民」として地元住民とともに暮らす道を歩み始めました。「難民」でなくなったことで、新たな疎外感に苦しむ様子を目の当たりにしてきた直江さんは、彼らを「風で消えりいそうなロウソクの火を見ているようだ」と表現し、「僕たちができることは、彼らの灯す火が消えないように支えることだ」と語りました。