活動ニュース

パキスタン地震 活動モニタリングおよび評価報告

2006年03月09日  パキスタン緊急支援
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2005年10月8日に発生したパキスタン地震の2日後、難民を助ける会は職員を派遣し、被災者への緊急支援・地域の復興支援を行ってきました。第1段階(2005年10月14日~11月末)として、ファミリーセット(食糧、乾燥食品、香辛料、台所用品、日用雑貨、肌着類、プラスチックシート)500世帯分及びプラスチックシート1,000枚を配布、第2段階(2005年12月中旬~2006年1月中旬)では仮設住宅建設用のトタンを246世帯に配布しました。2006年1月末より難民を助ける会職員が行った支援活動のモニタリング(プロジェクトの実施状況を確認すること)と評価の結果を以下に報告します。

熱烈な歓迎をうけて

美しい首飾り(レイ)をいただいて、熱烈な歓迎をうけた

バタン村住民による出迎え。(右から二人目が紺野事務局員)

そもそも自分が寄付したお金は被災した人のために使われたのか?そしてその団体が行った支援は被災者の役に立ったのか?素朴な疑問だけれど一番大切な点である。そのために、そして今後実施する支援活動の調査のために、1月末、パキスタンの被災地を訪れた。

当会がパキスタンの団体と協力してトタン配布をした村を訪ねた時のことだ。村に到着して驚いた。なんと村人30人くらいだろうか、男たちが列をなして待っている。手にはレイ(首飾り)を持っている。村人から熱烈大歓迎を受けた。次々とレイをかけてくれ、握手する。

何か一言あいさつをして欲しい、といわれたので、ちょっとセレモニー過ぎる気もしないでもなかったが、一言だけあいさつする。

「みなさんへの支援は多くの日本のみなさんの気持ちで成り立っています。日本のみなさんの支援が役に立ったとすればうれしいです。またこうやって歓迎してくださったことも大変ありがたいし、この村に来られたことを誇りに思います。ただ、一つだけお願いしたいことがあります。これからいろいろと村の中でお話しをお伺いしたいのだが、頼むから、お茶は出さないでください。みなさんの親切心はとてもよく分かるのですが、全ての家でお茶を飲んでいるとお話しを伺う時間もなくなってしまうし、何よりトイレに行きたくなってしまうから。」

真剣に聞いていた村の男たちから笑い声がして、あいさつはおしまい。

何とか住居を

早く完成させて寒さをしのぎたい

トタンの小屋を建設中

バタン村で私たちが大歓迎を受けたのには大きなわけがある。それは、バタン村はほとんど支援を受けていなかったようなのだ。そこにトタンがやってきた。これでとりあえず小屋を作って寒さをしのげる、とのこと。自分たちの支援物資が喜んでもらえるのは本当にうれしい。確かに村の中ではどう見てもぴかぴかのトタンを利用して建てた小屋がところどころで見られる。この村では110世帯のうち必要としている38世帯にトタンを配布した。

トタンの小屋が完成

完成した小屋の前で

トタンで建てた小屋の中にはベッドと布団があり、小屋の中で眠るという。また、地震の前にお店をやっていた人は、本格的な再開の目途は立たないけれど、子ども向けの品物などを販売する店としても活用している。大工道具を近所から借りたのだろう、少しづつではあるけれど、村に仮の住まいができつつある。テントよりは寒さもしのげるだろうし、快適だろう。翌日他の村に行っても、新品のトタンでできた小屋が見受けられた。トタン小屋で何とかこの冬を乗り切って欲しいと願う。

支援の行き届いていない地域へも

村の中で死者は20人にのぼった

村はほぼ全壊

難民を助ける会がパキスタンのNGOであるSPADO(Sustainable Peace & Development Organization)と協力して配布したテントの使用状況をモニタリングしに行った。現地協力団体であるNCHD(National Commission for Human Development)の事務所のあるマンセラから北へ50キロにあるバタグラムまでは2時間半の道のり。わずか50キロ、されど50キロ。マンセラやサッチャ村、バタン村に住む人々とは外見が大きく異なる。なんと言ったらいいのか、そう、限りなくアフガニスタンに近い感じを受ける。ひげもじゃの人もターバンの人もかなり多い。

バタグラム周辺を見ていると、復興がサッチャ村やバタン村周辺よりも遅れているように感じる。国連の車も大手NGOの事務所の看板もあるわりには、テント暮らしが目立ち、トタンで小屋を建てている人は少ないように見える。

寝転ぶ程度しかできないテント内部

テントの内部

テント35張りと毛布30枚を配布したバザルゲ村はバタグラムから車で30分。川が合流するところにある村。村の中心はほぼ全壊。鉄筋コンクリートと思しき残骸も残っている。この村では難民を助ける会がSPADOと協力して配布したテントを使用している家庭が多い。80世帯のうちの35世帯が受領しているからそう見えるのだろう。また、村は二つの集落に分かれており、上の方の集落では場所がないためテントがひしめき合っている。そして、テントの中にはベッド、そしてマットが引いてある程度。家によっては若干の家具がある。厳しい生活環境だなぁと思う。

質問表による調査

今回は緊急支援に対するモニタリングと評価で複数の村を訪問した。村によって難民を助ける会が実施した活動は異なっている。例えば、テントを配った村もあれば、トタンを配った村もあり、食糧、プラスチックシート、台所用品、日用雑貨、肌着類などを一まとめにしたファミリーセットを配った村もある。

まず、ファミリーセットを配布した地域については質問表を利用して簡単な調査を行った。ファミリーセットを配布した500世帯から31世帯を抽出、質問を行い、4つの質問に対しての回答をグラフにまとめた。

難民を助ける会が実施した「ファミリーセット配布」調査の結果

配布物資の中で役に立ったもの

(70%以上が役に立ったと回答)

ガラムマサラ、石けん、砂糖、米、紅茶などが好評

食料を中心に配布した物資が被災者の満足を得、有効に利用されていた。最も役に立ったと皆が答えたのは「ガラムマサラ」であった。

配布物資の中で役に立たなかったもの

(30%以上の人が役に立たなかったと回答)

パンツ、肌着、たわしなどはあまり役に立たなかったようだ

肌着類はあまり活用されなかったようだ。緊急支援で物資配布を行う場合、通常は食糧だけとか、日常雑貨と衣類とか比較的配布する物資を限定する。しかし、今回はそうではなくたくさんの物資を一まとめにして配布した。というのも、被災した地域に支援の手が行き届いておらず、いつ支援を受けられるかまったく分からなかったためだ。肌着類はあまり有効度が高くない点など、もう少し丁寧に事前に聞き取りすべきだった。

配布時にもっと欲しいと思ったもの

(70%以上の人が欲しいと回答)

米、砂糖、紅茶、食用油は全員がもっと欲しいと答えた

配布のタイミングは?

「ちょうどよい」45.2%、「予想より早かった」38.7%

配布のタイミングが高い評価を受けてよかった。被災してから一週間後に被災地を訪問し、情報収集し、調達して、大急ぎで配布にこぎつけたのは被災してから二週間。米屋のおじさんに「早く米を届けてくれ」といったり、予定時間を過ぎても配布物資を指定の場所まで持ってきてくれない業者にやきもきしたりしたり、香辛料のため鼻水が止まらない中物資を袋詰したことも、報われた気がする。

まとめ

今回のモニタリングおよび評価で支援物資が有効に活用されたことも確認できたし、まだまだ支援が必要なことも理解できた。

今後も難民を助ける会では、下記の二点に主眼をおきながらパキスタンの団体と協力して支援活動を継続していく。

  1. 社会的に弱い立場にいる女性や障害者が受益できること
  2. コミュニティが広く支援の恩恵を受けられること

まずは、今回訪問した村々の給水システムの復興からはじめていく。そして地震により生計手段を失った人々の生計手段の回復や女性への支援も行っていきたいと思う。

【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

東京事務局 紺野 誠二

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