パキスタン大地震被災地での給水施設復旧支援
難民を助ける会では、2005年10月8日にパキスタン北部で発生した大地震を受け、東京とアフガニスタン・カブールよりそれぞれスタッフを派遣し、テントや毛布、ビニールシートなどの緊急支援物資の配布を行いました。現在は、北西辺境州のガリハビブラ周辺地域にて、現地パートナー団体であるNCHDとともに給水設備の復旧及び整備支援を行なっています。
今年2月、給水施設の復旧支援事業の現状を確認するため、松本理恵事務局員とともに現地入りしました。
大地震から2年4ヵ月。現在の状況は?
首都イスラマバードから、現地のパートナー団体NCHD(National Commission for Human Development)の事務所のあるマンセラまで車でおよそ3時間半、地震発生直後は救援物資を満載するトラックの姿が印象的でしたが、今回は総選挙を控え、選挙カーが目立ちます。
難民を助ける会が支援している村々は、計5村。マンセラからさらに車で1~2時間の距離にあるガリ・ハビブラ地区およびタルハッタ地区に点在しています。
プーリ村へは、途中ジープに乗り換え、急勾配の坂道を駆け登ってやっと到着。
地震発生から2年以上が経過し、家屋の多くは再建が進んでいるものの、やっと再建が始まったばかりの家も見かけます。パキスタン政府から支援金が提供されていますが、分割払いのため、工事が滞っている例もあるとのことです。
給水タンクには安心して飲める水が
この村では、給水タンク建設と各家庭への水道管敷設を支援しています。地震後は、水道管が破損し、1時間も かけてロバで生活水を運ぶ必要がある上、水質が悪く、煮沸しなければなりませんでした。
村人の案内で、村内にある給水タンクへ。タンクの中を覗き込むと、きれいな水が満ちています。タンクの元栓を朝晩開け閉めし、節水につとめながら、 村内の各家庭で生活水として利用しています。
訪問したどの村でも村人から温かいチャイと甘物のおもてなしを受けます。今回は村の人たちが「ミーター・パーニー(甘い水)」と呼ぶ、湧水も頂きました。たしかに、喉ごしの良いお水です。
新給水タンクには、良質の湧水が流れ込んでいるので、水運びの重労働から解放されるだけでなく、みんなが安心して飲める水が手に入るようになりました。
女性たちの負担が軽減
ルンディ・スグダール村では水道管敷設、タルハッタ地区のジャビ村では水源そばの貯水タンク建設と水道管敷設の支援を行いました。
公の場に女性が姿を現さない土地柄のため、村の女性たちの声を聞き出すのは、松本事務局員の担当です。
ルンディ・スグダール村では、地震後、毎日3~4回、片道45分かけて水汲みに通っていました。水汲みはおもに女性、子どもの仕事だったとのこと。
ジャビ村でも、地震後は、1日2回は片道20~30分かけて水汲みに出かけ、水がめを頭に載せて運んでいたとのことです。
日常生活の基本である炊事、洗濯に必要な水が確保され、皆さん大変喜んでいます。
村人全員が水の恩恵に与れるように
今回の給水施設復旧支援では、各村に施設の管理を自主的に行なうための水管理委員会を設立しました。村により委員の数は3名~9名と異なりますが、各村の委員会で話し合い、村人全員が水の恩恵に与れるよう工夫しています。委員会が各世帯から利用料を回収し、給水施設の管理費・維持費に充てています。
ジャビ村の水管理委員、 モハマッド・ナシム・カーンさんは現在57歳、地震当時は森林保護官として働いていました。
「地震のため家は全壊、7人家族全員、1年余りテント生活を余儀なくされました。地震直後は、様々な団体が食料やテントなどを配布しましたが、日常生活を取り戻すには時間がかかります。 水は村人全員にとっての生命線ですので、自分も何か役立ちたいと思い、委員になりました。」
まだまだ残る課題
支援した村々は、幹線道路から外れ、山の斜面にへばりつくように点在しているため、学校や病院といった社会基盤の整備も遅れています。 また、就業の機会が限られていることも大きな課題です。
しかし、村人たちが知恵を絞り合い、助け合いながら、給水施設を復旧し、維持、管理する姿勢に、我々も勇気づけられました。
地震直後から、ご支援をくださっている皆さまに対し、改めて感謝申し上げます。
【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
東京事務局 事務局次長 大西 清人
2004年から2年間、アフガニスタンに駐在し、地雷対策活動に従事。またパキスタン大地震(2005)、レバノン空爆(2006)、ミャンマーサイクロン(2008)、フィリピン台風(2009)で緊急支援を担当。(広島県出身)