ミャンマーで保健医療・栄養改善・障害者支援の活動を開始しました
難民を助ける会では、5月2日にミャンマー(ビルマ)を襲った大型サイクロンによる被害者への支援を行っています。サイクロン発生から4ヵ月が経過した9月からは、被災地での保健医療・栄養改善・障害者支援の活動を行っています。
次の収穫までがんばって!被災者の生活再建
2008年5月2日の被災直後から8月31日までの約4ヵ月間、米などの食糧、生活用品、蚊帳、ビニールシートなどの緊急支援物資を、より支援の届きにくい奥地の被災者や障害を持つ被災者を中心に、約9万人に配布してきました。
そして、サイクロンから早5ヵ月。サイクロン発生直後と現在とでは、被災した人々が求めているものも変化してきています。生活再建への支援を求める被災者の要望に応えるため、9月1日からは、新たに(1)保健医療サービス・心のケア、(2)栄養改善(食糧・肥料の配布と栄養教育)、 (3)障害理解促進の活動を行っています。
この活動の特長は、保健医療や障害者支援、心のケアなど、様々な専門知識を持つスタッフを1つの巡回支援チームにまとめ、そのチームが被災地の村を回りながら、多面的な支援活動を行うことです。船やボートを使わなければ行くことのできないような交通アクセスの悪い被災地を中心に、1ヵ所に2週間程度滞在して支援活動を行っています。
ヤンゴンから陸路を12時間、ラプタ地区中心部の港からボートで南にさらに4時間。ベンガル湾とラプタ川が交わるこの村は、交通アクセスが悪いため、支援物資がほとんど届いていませんでした。川で小魚や海老を少しずつ採りながら何とか生活できていますが、主食の米を中心に食料が不足している状態でした。
難民を助ける会の巡回支援チームも、雨季の大雨・高波のため、途中の村での待機を余儀なくされ、ようやく村に到着した際には、あと3日で村の米が尽きてしまうような状態でした。早速、1世帯あたり米12キロ、豆2キロ、食用油2リットルを配布しました。また、今回配布した食糧が尽きてしまった後も、自分たちで作物を収穫できるよう、肥料も配布。肥料会社の社員ボランティアが使用方法を詳しく説明し、収穫量を増やすための指導も行いました。
今後は、周辺の複数の村を対象に栄養改善や障害理解促進のためのワークショップや医療サービス・心のケアを1ヶ所あたり約2週間かけて行います。そして、この2週間のサイクルを約5ヵ月間にわたって、被害の大きかった村々を訪れながら進めていく予定です。
様々な機関・団体・被災地の人々と協力しながら活動しています
村ごと流されてしまったような被災地に行くと、あまりの課題の多さに圧倒されそうになります。でも、この状況に立ち向かうための方法があります。それは 「様々な機関・団体、そして被災地の人々と協力すること」です。難民を助ける会は、1999年からミャンマーにて活動する中で培ってきたネットワークを活 かし、下記のような連携を通してより効果的な支援を目指しています。
一つ目は、現地NGOと一緒に活動することです。ミャンマー身体障害者連盟やミャンマーバプテスト教会連盟の医療部門と協力しながら、それぞれの知識やネットワークを活かして相乗効果を目指します。
二つ目は、国連・政府機関やNGOとの定例会議への積極的な参加です。各団体が行っている活動内容や被災地の最新情報を共有し、活動地域や内容に偏りがないように調整しています。
三つ目は、被災地の人々との協力の輪を広げることです。外国人である私たちより被災地のことをよく知っているのはそこに暮らす人々。これから、復興までの長い道のりを担っていくのは他でもない彼らなのです。
娘の死を乗り越えて、サイクロン被災者支援に奔走するフラ・チャインさん
肥料会社のラプタ支店長のフラ・チャインさん(48歳)はサイクロンで28歳の娘を亡くすという悲劇におそわれました。しかし、被災者におかゆを無料で配 る他、ご自宅を被災地に向かうスタッフの休憩場所として提供してくださるなど、他の被災者を支援するために奔走しています。
また、フラ・チャインさんは、肥料会社のラプタ支店長でもあることから、支援物資として被災地で配布する肥料を低価格で提供してくださり、社員を被災地に派遣して、肥料の効果的な使い方を指導するなど、ボランティアで難民を助ける会の活動に協力してくださっています。
ラプタ地区の米はミャンマーで一番おいしいという人も多く、値段も少し割高なため、村人の貴重な収入源の一つとなっています。フラ・チャインさんの会社の肥料は、海水に強い有機肥料であるのが強みです。この肥料が、少しでも多くの稲穂をもたらすことを願っています。
「私たちを忘れないで」
ティンガンジー村からラプタの港へ戻ろうとボートに乗ろうとしたときに、村人の一人から何の変哲もないボールペンをプレゼントされました。その時は気付き ませんでしたが、ボートの中でこの報告を書きながらふとボールペンを見てみると、村の名前「Thingan Gyi(ティンガンジー)」がセロハンテープで貼られていました。「この村を忘れないで」そんな切実な思いが込められているように感じました。難民を助け る会は、ティンガンジー村をはじめとして、被災者の方々のことを忘れず、彼らの期待に応えられるよう、スタッフ一同ベストを尽くしてまいります。
被災した村の多くでは、次の収穫まで、生きるために必要な米などの食糧が大きく不足するなど、緊急に支援が必要な状況がまだ続いています。米は2kgが約100円で購入できます。皆さまの支援を心よりお待ちしております。
※この活動は、多くの方からのご寄付に加え、ジャパン・プラットフォームの助成も受けて行っています。
【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
ミャンマー事務所駐在 野際 紗綾子
2005年4月より東京事務所スタッフ。アジア事業を担当。ミャンマーサイクロン被害の発生直後から、被災者支援活動を担当している。(東京都出身)