フィリピン台風緊急支援・被災者の声 「とにかく怖かった...」「息子が行方不明です」
マニラ首都圏ケソン市バゴン・シランガン地区では、小学校が避難所となり、399家族、1797人が避難しています。死者数は45人、不明者10人。1つの教室に7~10家族(1家族5~6人)が生活しています。避難はしたものの、次の台風では浸水する危険のある地域のため、不安な日々は続きます。
10月3日、現地入りした東京事務局の広谷樹里が、被災者の方々から直接お話をうかがいました。
「本当に怖かった…」呆然とするマレーベル・ベヤジェンさん(24歳)
「夫と3人の子どもがいます。台風16号が来る前日に、自分の判断で家から避難し、上の子2人は親戚の家に預け、日曜日にこの避難所に来ました。政府からの避難勧告などはありませんでした。
家自体は無事でしたが、家財道具は洪水ですべて流されてしまいました。本当に怖かった。もう家には戻りたくありません。家は川の近くなので、小さな雨でも危険です。
この避難所の教室には、今朝入ることができました。親戚や近所の人たちが同室です。7家族12人で生活しています。教室に入る前は廊下にいました。今でも教室に入りきれない人たちが、大勢廊下で寝起きしています。教室に入れたとはいえ、生後7ヵ月の娘がいるので避難所での生活は大変です。」
(2009年10月3日、大西撮影)
「生後11ヵ月の息子が行方不明です…」アントニー・イグナシオさん(30歳台)
「妻と3人の子どもがいます。そのうち生後11ヵ月の息子が行方不明です。私の弟も、妻と息子を亡くしました。
仕事は日雇い建設作業員です。今は仕事が止まっています。
洪水で家の中に閉じ込められ、2人の子どもしか助け出すことができませんでした。11ヵ月の息子は、今も見つかりません。
家は洪水により完全に流されてしまいました。
9月27日(日)の朝6時に妻と2人の子どもとともにこの避難所に来ました。
避難所は人が多いため、暑さと騒音で夜は眠れません。早く避難所を出て他の場所に移りたいですが、お金も戻る家もなく、今後の見通しがまったく立っていません。」
以下は、広谷樹里事務局員からの、避難所や周辺施設の様子の報告です。
避難所に並んだ子どもの棺
避難所となっている小学校に隣接した体育施設にも、数百人の被災者が避難していました。こちらは屋根のみで壁も仕切りも全くないため、小学校よりさらに悪い環境です。歩く隙間も無いほどマットで埋まり、足を伸ばして休むスペースはありません。仮設トイレが4つありますが、子どもがその辺で用を足しており、衛生状況の悪化も懸念されています。病気になった場合は隣接するヘルスセンター(市政府が運営)で診てもらえますが、医師や看護師も不足しています。
施設の端で、洪水による死者の葬式が行われていました。フィリピン人の多くはクリスチャンのため、日曜日に埋葬されます。
体育館には亡くなった方々の棺が並べられ、家族が寄り添っていました。28人の死亡者リストのうち、15人が15歳以下の子どもでした。
洪水により水位が天井近くまで到達
マニラ首都圏ケソン市内でも土地が低く、被害が甚大だったバゴン・シランガン地区。ここは近くに山があり、ダムが3つ建設されていましたが、台風による豪雨でダムが3つとも決壊。大量の水が低地である同地区に流れ込みました。
水は家の天井まであふれ、人々は屋根の上や高い土地に避難しましたが、多くの家が2階、3階まで水に浸かり、逃げおくれた人も大勢いました。
この写真はこの地域に立つ地区センターですが、洪水発生時はこの壁に残っている線の高さまで水位が達したそうです。
(2009年10月3日、大西撮影)
一刻も早く、被災者がもとの生活を取り戻すために
難民を助ける会では、洪水により生活の見通しが立たない被災者へ、緊急支援物資を配布する予定です。
皆さまのご理解とご協力をお願いいたします。