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フィリピン台風緊急支援報告・第6弾  未だ水引かず...避難所生活を余儀なくされる被災者たち

2009年11月30日  フィリピン緊急支援
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障害ある方にとってマットレスは貴重な支援物資です

水害の大きかったリサール州タナイ町カイブト地区で、障害者に支援物資とマットレスを手渡す東京事務局の谷口正弘(11月17日川畑嘉文撮影)

難民を助ける会は、9月27日にフィリピンを直撃した台風16号による記録的豪雨と洪水被害を受け、緊急支援のため急遽スタッフ2名を派遣。

10月9日(金)には、被害の大きかったリサール州カインタの障害者支援施設「タハナン・ワラン・ハグダナン」の職員(7割が障害者)など375世帯に、生活物資のセットを配布。また、マットレスがないと寝ることのできない障害者のために、厚さ3インチ(約7.5cm)のマットレスを50枚届けました。10月15日(木)には車イス利用者へマットレス100枚を配布しました。

支援の届きにくい妊婦、乳幼児、高齢者を中心に

11月17日(火)と19日(木)には、リサール州タナイ町カイブト地区の200世帯とタナイ町ワーワー地区の202世帯に、1世帯当たり米25kg、水約5リットル、タオルケット、せっけん、歯ブラシ、皿、スプーン、フォーク、油、砂糖、缶詰、インスタントラーメンなどからなる支援物資を配布しました。

その後も同州で支援活動を継続。11月25日(水)にはハラハラ町の757世帯に、12月3日(木)にはピリーリャ町の470世帯に、12月6日(日)にはアンゴノ町の150世帯に支援物資を配布しました。

いずれの地区もラグーナ・カルデラ湖畔にある影響から、台風16号による増水が未だに引かない居住地区が残っており、住民は困難な生活を余儀なくされています。

また、障害者、妊婦、乳幼児の母親、高齢者といった方々へマットレスの配布も引き続き行っています。11月28日(土)には、カビーテ州にある高齢の障害者のための施設であるサン・ホセホームで18枚のマットレスを配布したほか、翌29日(日)にはマニラ首都圏ケソン市にある障害児支援施設「バハイマパグマハル」で20枚、30日(月)にはハラハラ町で156枚のマットレスを配布しました。

*この事業は皆さまからのご寄付の他、ジャパン・プラットフォームの助成を受けて実施しました。

住宅前でひざまで水につかる女性

2009年11月17日現在、未だ水が引かない地域が多く残り、住居の1階部分は使用困難・不能です(リサール州タナイ町カイブト地区)

冠水した道路を進むカヌー

道路は冠水し、ボートやカヌーでの移動を余儀なくされています(リサール州タナイ町カイブト地区)

水に浸かる家々

家々は水につかり、戻れる見通しは立っていません(リサール州タナイ町ワーワー地区)

避難所の様子

避難所生活を続ける住民たち(リサール州タナイ町ワーワー地区)

避難所生活に耐える子どもたち

避難所でもたくましく生活する子どもたち(リサール州タナイ町ワーワー地区)

配付物のパッケージ

11月24日、リサール州ハラハラ町の被災者に配布するパッケージの仕分けがやっと完了

配布対象者は障害者や妊婦、乳幼児、高齢者などが中心です

被災者の中でも、特に障害者などの方々を優先し、一人ひとりに手渡します(リサール州ハラハラ町にて。左は東京事務局の五十嵐豪)

支援物資を嬉しそうに運ぶ子どもたち

主食のお米は特に喜ばれました。「一人では持てないから二人でもらいに来たよ。日本の皆さんありがとう」(リサール州タナイ町カイブト地区)

(11月17~25日 谷口正弘撮影)

「台風の影響で魚も以前ほど獲れず、暮らしは厳しいです」

食事の準備をするバシータさん

「難民を助ける会の支援物資で食事ができています。日本の皆さんに感謝します」と喜ぶバシータさん(11/17 谷口正弘撮影)

11月17日、リサール州タナイ町のカイブト地区で、パシータ・ボラノスさん(49歳)からお話を伺いました。

ラグーナ・カルデラ湖畔にある2階建てのバシータさんの家は、トイレと台所のある1階部分が今も水没したままで、使うことができません。道路も冠水し、家からは小さなボートでしか地区の中心部に行くことができません。

9月26日(土)の台風16号発生当時は、家に吹きつける強い風で家全体が吹き飛ばされそうになったため、息子のメルチョーさん(36歳)がとっさに家のトタンの壁を取り払ったという話も聞かせてくれました。

台風の影響は湖の生態系にも影響しているようだ

漁で生計を立てていましたが、台風で魚網も破れ、獲れる魚も減ってしまったと話す息子のメルチョーさん(11/17 谷口正弘撮影)

パシータさんは以前ご主人を亡くし、現在は3人の息子と娘の5人家族。息子のメルチョーさん以外の3人の家族は、小学校に作られた避難所で暮らしています。しかしパシータさんは、電気も復旧せず不便はあってもこの自宅で暮らしたいと話していました。

パシータさんのように、水没した家で生活を続ける住民は他にも大勢います。しかし、水位が下がり、元のように暮らせるのはいつになるのか、その見通しは立っていません。

パシータさん一家は、ご主人を亡くしてから湖で漁をして生計を立てていました。漁に利用するボートは無事でしたが、いくつかの魚網は破けてしまい、以前のようには漁ができなくなってしまいました。また、台風後、湖自体の環境変化の影響もあるようで、獲れる魚は減ってしまったそうです。

これからも難民を助ける会は日本の皆さまからいただいたご支援とお気持ちを、最も支援を必要としている方々に確実に届けていきます。今後ともご支援をよろしく願いいたします。

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