ハイチ大地震・速報第4弾 「お父さんが死んだ。もうここにはいたくない」
認定NPO法人 難民を助ける会(東京都品川区=理事長 長 有紀枝<おさゆきえ>)の緊急支援チーム(リーダー:大西清人 難民を助ける会事務局次長)が、マグニチュード7.0の大地震に襲われたハイチ共和国の大地震被災者支援のため、1月25日(月)に現地に向け出発。
1月27日(現地時間)に隣国ドミニカ共和国に到着し、約300世帯分の支援物資の調達を開始しました。同時に29日にはハイチの首都ポルトープランス入りし、配布に向けた調査を行いました。
以下は、緊急支援チームの川畑嘉文からの報告です。
鼻をつく腐敗臭・戦争直後のような光景
1月29日、ハイチの首都ポルトープランスの街に到着すると、遺体こそ見当たりませんでしたが、ものすごい腐敗臭が鼻をつきました。まだ倒壊した建物の下敷きになったままの人がたくさんいるのだといいます。
被災者たちの目はうつろで、時折笑顔を見せるものの、眼は笑っていません。少しも揺れていないのに、突然おびえたように建物の外に逃げ出してくる人もいます。住民たちの地震の恐怖と苦しみははかり知れません。私はこれまでアフガニスタンをはじめ紛争の現場を数々歩いてきましたが、ハイチの光景はまるで戦後のようでした。
地震の翌日に救出されるも、妹は怪我で入院。父親は助からず…
ポルトープランス近郊ペチョンビル市で支援物資配布に向けた調査を行いました。
がれきの上でぼんやりとしていたのは、クリストファー君(12歳)。ここは彼の通っていた学校で、授業中に地震がおこり崩壊。彼は、柱の下敷きになって翌日に救助されました。しかしお父さんは地震で亡くなり、妹はけがで入院中です。
将来はエンジニアになりたかったというクリストファー君は、助け出されてからは毎日何もせず、ぼーっとしているといいます。「お父さんが死んで、毎日泣いていた。もうここにはいたくないよ」
貧しい地域、地震がさらに追い打ちを
ペチョンビルにある被災者キャンプのひとつです。ここは非常に貧しい人たちが住むエリアで、崖を切り崩して家を建てていました。そのため、今回の地震で崖崩れがおき、多くの家が崩壊し、多数の住民が命を落としてしまいました。
国際支援は少しずつ入っているものの、被災者の人数に比べてまったく足りていません。
まだまだ支援が足りていません。ハイチ大地震被災者の緊急支援のために、どうぞ募金をお願いいたします。
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