ひとりでも多くの命を助けるために、根気強く スーダン南部で地域の保健医療を担う人材を育てています
難民を助ける会は2006年より、スーダン南部で、内戦中に国内外に逃れていた人々の帰還と定住を支援しています。活動は、井戸や給水塔の建設、衛生教育を行う「水・衛生」と、診療所の建設や地域の産婆研修などからなる「基礎保健」を二つの柱に行っています。今回は、その「基礎保健」事業について、前カポエタ駐在員の内山麻希が報告します。
生活の基盤すべてが破壊された土地で
1983年に始まったスーダンの内戦は、2005年にスーダン共和国政府とスーダン人民解放運動/スーダン人民解放軍との間で包括的平和協定が締結されて終結するまで、多くの犠牲者を出しました。22年間で死者は200万人を超え、国外に逃れた難民は50万人、国内避難民は約400万人にのぼるといわれています。戦場となったスーダン南部は、インフラが破壊され、村々は荒廃し、行政機能も麻痺してしまいました。
2005年以降、内戦の終結により、近隣のケニアやウガンダの難民キャンプに避難していたスーダン南部の人たちが、生まれ故郷の村々に帰ってくるようになりました。しかし、生活の基盤が破壊されているため、新たな生活を始めることは非常に困難でした。また、難民キャンプの方が、病院や学校などがあり、必要最低限の食糧も配布されるので、故郷に帰ることを諦めキャンプに留まろうとする人たちもいました。そこで、故郷の村に帰って新しい生活を始めてもらう後押しをするため、難民を助ける会は、地域の基本的な保健環境を向上させるため、2007年より、基礎保健事業を始めました。
地域で頼れる保健員の育成を
難民を助ける会は東エクアトリア州のカポエタ周辺で3棟の簡易診療所を建設し、運営を支援しています。同州は人口約90万人ですが、地域内に医師の常駐している病院や診療所はありません。簡易診療所が村で機能するためには、建物と医薬品だけでなく、基礎的な診察、応急処置などの治療、そして医薬品の維持管理ができる「人材」が必要です。スーダン南部では現在、医師や看護師が著しく不足しています。さらに、戦後間もないことから地方行政がまだ十分には機能しておらず、たとえ診療所が建設されても、現地の人たちだけで運営することは困難です。そのため、難民を助ける会は簡易診療所を建設した後、その運営も一部担うことにしました。州が各医療機関に配布する医薬品の運搬を支援すると同時に、重要な人材育成に取り組んでいます。各村から代表として若者を集め、彼らが地域の保健員として簡易診療所で医薬品の管理をし、簡単な診断と投薬が行えるようになることを目指し、研修しています。
安全な出産を広げるため「産婆研修」も
また、昔から村で出産を手伝ってきた、産婆さんたちへも研修を行っています。スーダンの乳児死亡率は1000人あたり102人(日本は5人)、妊産婦の死亡率も非常に高くなっています。特に公共の交通機関のない地方では、病院まで歩いて10時間もかかり、医師や看護師のもとで出産する女性はわずかです。
多くの人が村で出産しているなかで、今までは見よう見まねの知識で出産の介助をしたり、妊婦さんのお世話をしてきた村の産婆さんたちに、医学に基づく妊娠と出産の仕組みを理解し、実践してもらうことが研修の目的です。女性の身体の仕組みや妊娠期間に注意すべきこと、感染症を患わない出産方法などを伝えています。
模型やストーリーを使い、分かりやすく研修
両方の研修では、医療資格を持つ難民を助ける会の現地スタッフが中心となり、スーダン南部保健省のカリキュラムに沿う形で研修を進めています。しかし、国も新たな出発を遂げたばかりなら、人々もスタートラインに立ったばかりです。22年間の内戦は、南部スーダンの人たちが初等教育を落ち着いて受ける機会を奪ってしまいました。基礎的な算数や図形などを理解するのが苦手な人たちが大勢います。特に女性の識字率はとても低く、わずか12%といわれています。
また研修では、英語の教材を、南部スーダンの共通語であるジュバアラビック(アラビア語の一種)で説明した後、ジュバアラビックを理解できない人には、それぞれの民族集団の言葉に訳します。多様な言葉が話されるということは、多様な考え方やしきたりが、研修の場に存在するということです。研修に来た人たち全員に一つのテーマについて伝えるには、多くの時間と労力がかかります。
2009年8月、保健専門家として平山恵氏(明治学院大学准教授)をスーダンに招き、より効果的な研修を実施するために、研修内容の見直しと、難民を助ける会の現地スタッフに対する、住民への教え方のトレーニングを行いました。平山氏は、「研修で重要なのは、村の人たちが共感できるようなストーリーを織り交ぜながら、絵をふんだんに用いて、簡単な言葉を使って何度も繰り返し伝えることです」と言います。
現地スタッフたちは平山氏のシンプルかつ分かりやすい指摘に大いに納得して、テキストを平易な言葉にして絵を加えたり、模型を活用したり、産婆役と患者役にわかれて実習するなど、教え方の改善に取り組みました。
助かる命が失われることのないように
2009年10月、平山氏の指導を踏まえた、初めての産婆研修をイメドゥ村で行いました。村で産婆になるには、専門学校などを卒業する必要はなく、神から特別な力を与えられた人物として村の人たちから認められた人たちが、代々産婆になってきました。そのため、難民を助ける会のスタッフの説明が自分たちが伝統的にやってきた方法と違う場合、なかなか受け入れてくれません。産婆さんたちは、スタッフの説明が間違っているのだと、身振り手振り、時には寸劇のようなことをして主張します。
伝統的な出産方法は危険な場合も多く、介助にガーゼや使い捨ての手袋を使うなど、基本的なことを実践するだけで出産の安全性は大きく向上します。これからも根気強く、簡単な言葉を使って繰り返し伝えていくことが必要です。
研修で学んだ産婆さんたちが安全な出産方法を地域で実践していくことで、難民を助ける会の活動が、少しでも乳児死亡率と妊産婦死亡率の低下に貢献できればと願います。
【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
前スーダン駐在 内山 麻希
2008年4月より東京事務局でアジア事業を担当し、2009年9月より2010年1月までスーダン駐在。大学、大学院で行政学を専攻。青年海外協力隊員としてマラウイで活動した後、難民を助ける会へ。(青森県出身)