ミャンマーサイクロンから2年...住民主導の生計支援を続けています
難民を助ける会では、2008年5月に起きた大型サイクロンの被災者支援を続けています。サイクロン被害から2年。被災した地域の中でも最も大きな被害を受けたデルタ地帯のエヤワディ地域にあるボーガレー、モウラミャインジュン、ラプタ3地区の43の村で、2009年5月より、3,873世帯約15,000人を対象に、生計支援を行っています。
「自分たちで立ち直る」ためのお手伝い
最大の被災地、デルタ地帯のエヤワディ地域。ここの人々は主に、農業、畜産業、漁業で、生計を立てていました。しかしサイクロンにより、そのために必要な資機材や家畜が流失。多くの人々が仕事を失いました。彼らはこの2年間で、なんとか生活を立て直そうと努力してきました。
難民を助ける会では、サイクロン発生直後の緊急支援に続き、翌2009年5月から復興支援の一環として生計支援を行い、この5月で1年を迎えました。
まず、エヤワディ地域の43の村に、村人たちの代表者5名からなる村落開発委員会を設置してもらい、生活再建が村人主導で行われるよう体制を整え、続いて、そのメンバーを対象に、農業、家畜の飼育、漁業の研修を行いした。現在はこの委員会のメンバーが中心となり、難民を助ける会からの支援を生かし、村全体の生計再建の努力を続けています。
2010年4月末現在までに、難民を助ける会からこの村落開発委員会へ、農業資材(肥料、種、栄養剤)を1,301セット、水牛238頭、豚360匹、アヒル3,000羽、鶏2,000羽、漁業道具(魚網、蟹捕り籠)を1,410セットを引き渡しました。
「お金がないから農業ができない」悪循環を断ち切るために
雨季の終わる12月頃から、エヤワディ地域では米の乾季作が始まりますが、サイクロンで受けた高波の影響により、土壌には塩分が浸透してしまいました。
こうした水田で米を育てるには、塩分の影響を減らすための肥料が必要です。また、収穫したお米を貯蔵していた倉庫や、水田を耕すための水牛が高波で流されたため、農家はまず種もみや水牛を揃えなければなりません。しかしそのお金がなく高利子で借金をするため、サイクロン被災後は米の作付け(植え付け)が難しくなりました。
難民を助ける会では、こうした悪循環に陥っている農家に対して、有機肥料を配布したり、効率的に生産高を上げる作付け農法や害虫対策などの技術研修を行いました。
新しい田植え方法で収穫高がアップ
効率的に生産高を上げる作付方法とは、日本ではお馴染みの、苗を一列に一定間隔で植える、というやり方です。
ミャンマーではこれまで種もみをばら撒く方法で作付けをしていましたが、このやり方だと稲の根付く場所にばらつきが生じてしまいます。密集して根付いた稲には栄養が十分行き渡らず、その結果、収穫高が低かったのです。
エン・ヤー・ヂャウン村は、新しい作付法に挑戦し、成果を上げた村の一つです。今年の3月末に村を訪問すると、一部の水田でちょうど稲刈りをしているところでした。昨年の乾季作では、1エーカー(約1224坪)当たりの収穫高は、少ない水田で70バック(1バックで約20キログラム)でしたが、新しい作付け方法を取り入れたこの村の水田では、最も効果が高かったところでは1エーカー当たりの収穫が120バックまで増えました。
この村の人たちは、ウ・ヂャー・ソウ村長(46歳)を中心に新しい農業技術への関心が高く、新しい作付け法を積極的に取り入れました。
村長に、「この村では今何が一番必要ですか」と質問すると、迷わず「安定した収穫を得るための農業技術です」という答えが返ってきました。「技術さえ習得すれば、種や肥料は借金をやりくりして乗り越えることができますから」。
収穫から得る稼ぎの多くは、これまで借りたお金の返済にまわってしまいますが、収穫高が上がれば、次の作付けのための負担が少なくなります。今回の乾季作でも、村全体の収穫高は増量が見込まれています。村人たちのやる気にこちらも励まされます。
一人ひとりの努力で家畜を次の世帯へつなげる
難民を助ける会では、水田を耕すための水牛をサイクロンで亡くした小規模の農家、土地を持たない日雇い労働世帯と、女性だけの家庭合わせて699世帯に対しては、家畜の支援を行っています。これまで、子豚(1世帯に2匹)やアヒル(1世帯に15羽)、鶏(1世帯に10羽)、水牛(1世帯に2頭)を配布しました。
各村では国際連合食糧農業機関(FAO)と難民を助ける会のスタッフが協力し、家畜銀行という機関を設置しました。各家庭は受け取った分と同じ数の家畜を将来家畜銀行に返還し、次に必要とする世帯へ渡すという仕組みです。豚は一度にたくさん子どもを産むので、受け取った分の2匹を家畜銀行へ返し、それ以外の子豚を育てたり売ったりすることで、収入を増やしていくことができます。アヒルや鶏についても同様です。
ウ・テン・ミンさん(46歳)も、日雇い労働をしながら豚を育てる一人です。豚はたくさんの餌を必要とするため、餌が足りなくなると隣村の家々を回ってまで食べ残しを集めたそうです。こうした努力の結果、豚は2匹とも大きくなりました。1匹はけがで死んでしまいましたが、その肉を売ったお金で小豚を2匹買い、今は3匹を一緒に育てています。「死んでしまった時はとても悲しかったけれども、村の家畜銀行に子豚2匹を返すまでは私の責任です。子豚が生まれるようにがんばって育てます」と、強い意志を見せてくれました。
ウ・テン・ミンさんのように、各家庭が努力して子豚を育てた結果、半年が過ぎた現在、村のあちこちで家畜が元気に育っています。他の地区の村では3月末、2世帯から家畜銀行へ返された20羽の鶏の雛が、次に必要とする4世帯へ渡されました。今後も、豚、アヒル、鶏、水牛が次の世帯へとうまくつながっていくよう、様子を見守っていきます。
次の課題は船着き場の修理
サイクロンにより漁業道具を流され仕事を失っていた人々は、難民を助ける会から配布された魚網や蟹捕り籠を使って捕まえる魚やえび、蟹などを一日の食糧にしたり、村や町の市場で売って米を買えるようになりました。
被災した村の人々の努力は続いています。今後の課題は、こうした努力の結果、収穫された米や魚を町の市場へ運んだり、子どもたちが学校へ通うために使う船着き場を修理し、村の生活基盤を整えることです。
難民を助ける会では、皆さまからのご寄付と国際機関や日本政府(外務省)からの助成により、2年間で多くの支援を届けることができました。今後も、安定した収穫を得るための作付農法を中心とした農業技術支援と、インフラ整備などの復興支援を続けていきます。
※この活動は、多くの方からのご寄付に加え、国連食糧農業機関、および日本政府からの日本NGO連携無償資金協力の助成を受けて行っていきます。
【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
ミャンマー事務所 久保田 和美
2009年8月よりミャンマー駐在。イギリスの大学院で開発学と教育学を学んだ後、在外公館にて勤務。その後、国際協力事業の運営に直接関わりたいと、難民を助ける会へ。(東京都出身)