パキスタン洪水支援 速報第3弾 鼻をつく悪臭...想像以上の被害が目の前に
被災者200世帯に緊急支援物資を配りました
パキスタン北西部で起った洪水被災者への緊急支援のため、8月6日に東京事務局の大西清人が現地入りしました。11日にはさらに事務局の青木真理子、杉澤芳隆、川邉安行が現地入り。12日には、現地の協力団体NCHDとともに、被害の大きいノシェラのピール・サバック村で、支援をもっとも必要とする200世帯へ物資配布を行いました。
以下は、現地からの報告です。
すべてを流されたピール・サバック村
パキスタンの首都、イスラマバードから高速道路を走ること2時間。その後リサルプルに入りオフロードを1時間ほど走り、8月12日の午後1時ごろ、パキスタン北西のノシェラ郡ピール・サバック村に到着しました。車の車窓には、洪水の被害により瓦解した家屋や、浸水したままの畑の光景が、鼻をつく悪臭とともに広がります。
ピール・サバックは、人口22,000人の村です。村の近くを流れるカブール川の氾濫により、村は3日間浸水の状態が続き、一時浸水は5~6mの高さにまでおよびました。その間、村人たちは小高い丘の上に避難し、いつまた氾濫するかわからない川を眺めながら生活をしていました。この村の生活を支えているとうもろこし畑もそのほとんどが水に浸り、多くの家畜も洪水の濁流に飲み込まれてしまったようです。レンガ造りの家屋もほとんど倒壊しており、家屋の前の用水路は緑色に変色し、水溜りには虫がわき、悪臭を放っていました。道中浸水したままの道を、胸まで水に浸かりながら自転車を押して歩く少年。洪水は、小さな村の生きる糧も、人々の生活もすべて流してしまったのです。
午後2時、支援物資配布を開始しました。物資の中身は、お米や砂糖、豆、カレー粉、食用油、すぐ食べることのできるデーツ(なつめやし)、干しぶどうなどの食糧品や、ろうそく、石けんなどの生活必需品。猛暑の中、支援物資を乗せたトラックの前には、今回の配布対象者である200世帯の村人が待っていました。我れ先にと手を伸ばし現場は混乱したため、途中一時中断しましたが、一人ひとり名前を呼び、IDカードで確認しながら配付を進め、約2時間で配布を終えることができました。
「私にも、ください」・・・泥だらけの少女
ピール・サバック村は、パシュトゥン民族の家庭がほとんどであり、配布の際はパシュトゥン語が飛び交っていました。パシュトゥン民族の家庭では、伝統的に 女性は家事をし、外に出て働いたり食料を買ったりするのは男性の仕事です。そのため本日の配布場所に集まった住民のほとんどが男性でした。
そんな中、一人の女の子がいました。かわいい民族衣装は泥だらけ、泥道を裸足で歩いて来て足もとも泥がこびりついていました。目が合うと、愛くるしい笑顔で恥ずかしそうに手を振ってくれます。
女の子の名前は、バズグーラちゃん。年齢は、6歳くらいでしょうか。袋をもらうと、とても嬉しそうにしてくれました。袋の重さは、20キログラム。きっとバズグーラちゃんの体重と同じくらいの重さです。両親は近くにおらず、お姉さんと一緒に避難しているとのこと。お姉さんのもとに向かうバズグーラちゃんは、手にした袋を大切そうに持って帰って行きました。どうか生活の足しになりますように、そう願いながら手をふり見送りました。
国連の発表によると、被災地では食料不足も深刻化しており、国連は4億6000万ドル(390億円)の緊急支援を要請しました。国連のホームズ事務次長は今回の洪水被害は近年で最悪の規模だと指摘し、被災者数は、2005年のパキスタン地震、2004年のインド洋津波、今年1月のハイチ地震をすべて合わせた数より多いとしています。
難民を助ける会では、パキスタン洪水被災者への緊急支援を続けます。引き続き、皆さまのご支援をお願いいたします。
【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
東京事務局 青木 真理子
2007年9月よりアフガニスタン・カブール事務所に駐在、2008年11月より東京事務局海外事業担当。大学卒業後、IT関連の企業に勤務。その後英国の大学院で紛争解決学を専攻後、難民を助ける会へ。(千葉県出身)