ミャンマーサイクロン「ギリ」緊急速報第2弾・「まだ食料が足りません」
難民を助ける会では、2010年10月22日~23日にかけてミャンマー(ビルマ)西部を襲ったサイクロン「ギリ」の被災者への緊急支援のため、ジャパン・プラットフォーム(JPF)の助成と皆さまからのご寄付で、1,200世帯(約6,000人)への緊急支援物資の配付活動を行っています。
難民を助ける会の呼びかけに対し、2010年11月15日~12月7日までに皆さまから寄せられたご寄付は、2,826,734円に上りました。心より感謝申し上げます。
以下は、11月23日~30日まで現地入りした野際紗綾子からの報告です。
収獲目前の農地が海水で水浸しに…
今回、ヤカイン州を襲ったサイクロン「ギリ」は、2008年5月に同国エヤワディ管区やヤンゴン管区を襲ったサイクロン「ナルギス」と比較すると、被災者数は約10分の1でした。ナルギスの経験から、各村に設置された警報サイレンを聞いた人々が安全な場所に避難することができたおかげです。しかし、海からの高波により、収獲を目前にした水田や農地などが水浸しとなり、食料を中心に甚大な被害が出ています。また、様々な制約から、被害状況については海外だけでなくミャンマー国内でもほとんど知られていません。
山道を車で3日走り、壊れそうな橋を渡り、さらに船で6~8時間かけて被災地へ
支援物資の配付先は、最も被害の大きかったヤカイン州のチャウピュー地区とミエボン地区。チャウピュー地区へはヤンゴンから北西へ車で3日かかります。しかも、山間部の橋は、トラックが重すぎると壊れてしまう危険があったため、1台当たりの支援物資の積載量を少なくし、数台に分けて運びました。
ミエボン地区は、そのチャウピュー地区からさらに船で6~8時間かかる場所にあります。小さい川なので、ボートでないとたどり着くことができません。そうしたアクセスの悪さもあり、世界各地から支援団体が今回のサイクロン被災者に対して支援を行ってはいるものの、なかなか支援物資が被災者に行き届かないのが現状です。そんな中で、難民を助ける会からの食料は、被災者の方たちに心から喜ばれました。
「食料が手に入らない中、日本からの支援に感謝です」アウン・イン・ユーさん(女性・53歳) | |
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「サイクロン前は、お菓子を売って生活していました。けれどもサイクロンが来てからはお客がめっきり減り、私の収入も途絶えてしまいました。その一方で、食料などの物価がみるみる上がり、困り果てていたところに難民を助ける会からの米が届き、どんなにありがたかったことか。本当にありがとうございます。」 |
「津波が押し寄せ、孫と一緒に必死で逃げました」ヌエ・ター・ピューさん(女性・73歳) | |
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「サイクロンと一緒に、海から1メートル以上の津波が押し寄せてきました。私は孫と一緒に、倒れた木を避けながら高台に逃げました。本当に怖かったです。サイクロンが過ぎてからは、ずっと食料不足が続いています。近所の人たちからお米を借りて、飢えをしのいでいました。難民を助ける会から50キロの米が届き、とてもありがたいです。ご支援くださった方々に感謝の気持ちを伝えたいです。でも、将来のことを考えると、不安で涙が止まりません。」 |
今回の被災地であるヤカイン州は、外国人援助関係者の立ち入りが制限されているため、ミャンマー人職員が中心となって活動を行っています。彼らの奮闘により、日本の皆さまの善意を被災者一人ひとりに確実に届けることができています。 難民を助ける会では、引き続き食料の配付を行いますが、まだまだ支援を必要としている方々すべてに届けるための資金が足りません。皆さまのさらなるご支援を、どうかよろしくお願い申し上げます。
【報告者】 記事掲載時のプロフィールです
東京事務局 野際 紗綾子
2005年4月より東京事務所スタッフ。アジア事業を担当。2008年ミャンマー(ビルマ)サイクロン「ナルギス」被害の発生直後から、被災者支援活動を担当している。2009年スマトラ沖大地震、2010パキスタン洪水の緊急支援、2010年ミャンマー(ビルマ)サイクロン「ギリ」を担当。(東京都出身)